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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

「風と木の詩」文庫版全10巻

なんで急にお耽美少女漫画なんか読んでるのかといいますと、そもそも唐突に舞台「パタリロ!」にはまり、原作を読み、「クックロビン音頭」の元ネタが萩尾望都先生だということを知り、その流れで入院中んじゃー暇なのでBLお耽美モノの名作と言われている「風と木の詩」読んでみるかってことになったのですが、実はわたし、そんなに腐女子じゃないんですね。

いや、それはまあ、小中時代に一大ムーブメントを巻き起こしていたナマモノジャンルに首突っ込んでいたり、二次元もちょっとかじったりしたことはありますけど、プロの腐女子のみなさんのように、腐女子をライフワークにし、BLを食糧にするまでには至らなかったわけです。だから黒羽麻璃央くんの出てた「宇田川町で待っててよ。」見てもそんなに琴線に来るものが無かったし。

という感じで読み始めた「風と木の詩」だけど、こりゃBLというより、大河だね、大河。この作品が1976年連載開始ってとこにまず私はぶったまげました。1976年って、あーた、YMOも結成されてませんで。矢野顕子の「JAPANESE GIRL」と同じ年でっせ。おー怖い。

主人公として対をなすふたり、ジルベールコクトーとセルジュ・バトゥールが学園で恋に落ちて、駆け落ちして色々あってジルベールは死ぬっつーのがこの話の本筋なんですけど、まあとにかくこんなんありかよって設定が盛りだくさんなんですよねコレ。しかもこんなんありかよって設定もその割によく考えると結構BLあるあるだったりするんだけどもしかして「風木」が元ネタだったりするの? そうなの? ねえねえそうなの?

ちなみに文庫版で読むと(私は知ってたからいいけど)第3巻のあとがきでわかぎえふ氏が思いっきりジルベールが死ぬということをネタバレしてます。えーんかい白泉社……。

 

絶世の美少年、金髪で華奢で美少女のような見た目を持つジルベールコクトーは学院内で無数の男たちと関係を持つ現代的に言うならクソビッチです。しかもその原因は大好きな叔父(実は父親なんだけど)に捨てられて全寮制の学園に入れられたからというメンヘラちゃんでもあります。最近話題のツイッターアカウント「暇な女子大生」みたいなヤツです。授業をサボりまくっていますが上級生と寝る代わりにレポートを貰っているので問題ありません。問題あるけど。

そしてジプシーの娼婦を母に持ち、子爵を父に持つが両親が亡くなったために学院にやってきたセルジュ・バトゥールはめーちゃくちゃいい奴です。とにかくいい奴。友達多いし。あとピアノ上手い。そんなセルジュが学院に転入してくるところから話は始まるんですが、なんやかんやあって2人はルームメイトになります。

ぐぎゃーー!! BLあるあるーー!!

ま、そりゃそーですね。そーしないと話が進まないわな、と思いつつも読み進めるとジルベールは相も変わらずいろんな男たちとヤりまくっています。学院長ともヤっています。見境なしかよ。でもそんなジルベールに偏見なく接するセルジュめちゃくちゃいい奴やんけ〜(涙)。徐々に徐々にジルベールはセルジュに心を開いていくんですけど、あるときジルベールは発狂します。休暇前、大好きな叔父のオーギュストから「ちょっと行けそうにねえわ、ごめん」という手紙が届いてこの上なく大発狂するのです。もうね、ちょっと引いた、読んでる側だけど。あーたいくらなんでもメンヘラすぎるっしょ。私に言われたかないだろうけど。

そしてジルベールはヤケクソになりいろんな男に「僕を好き放題にしてくれ」と投げやりになってヤられまくります。 ボダのメンヘラ見てるみたいで悲しいです。舞台が2010年代ならジルベールリスカとブロンの合わせ技でツイのメンヘラになってること間違いなしです。

で、なんでこんなことになっちゃったのおぉってことでジルベールとセルジュの生い立ちの物語が語られるんですが、ジルベールはもともとオーギュストが義姉と不倫して生まれた子供なんですね。しかもそのオーギュストも義兄の歪んだ性癖のためにコクトー家に引き取られて慰み者にされてきた過去アリ。家庭環境からしてもーダメダメです。そんなんなのでジルベールは親の愛情を知らずに育ち、そこに目をつけたスーパーサイコのオーギュストが自分の思うがままに育てようとするんですね。で、思うがままに育つんですけど。

でもある日髭もじゃでいかにもモブおじさんって感じの彫刻家・ボナールにレイプされてジルベールは9歳にして処女喪失してしまうのです。泣くジルベール。……9歳でっせアナタ。ボナールは「お前てっきりもうオーギュストにヤられてんのかと思った、初めてならもうちょっと優しくしたのに」とか言っています。許すまじモブおじさん。

しかしそれを知ったオーギュストも負けてはいません。マジギレしたオーギュストは案の定ジルベールを抱くのです。調教されたジルベールはオーギュストの愛に飢えるメンヘラちゃんに進化。順調に歪んだジルベールは、なんとある日家出して彫刻家モブおじさん・ボナールの家に行ってしまいます。どんな鬼畜行為を受けてしまうのか!?読者に戦慄が走りますが、ボナールは意外といい奴で、彫刻の弟子に嫉妬されたりしながらもわずかながら平和な時をジルベールは過ごしたのです。見直したよボナール。レイプ魔呼ばわりしてごめんな、ボナール。

しかしジルベールメンヘラちゃんなので、なんとオーギュストのことを思うあまり3階から飛び降り自殺未遂してしまいます。3階じゃ死ねんぞとのツッコミむなしく色々あってジルベールは結局サイコなオーギュストを選んでしまいました。彫刻おじさんにしときゃ良かったやん、旅行連れてってくれるって言ってたし。

でもそんなメンヘラときどき幸せな日々も長くは続きません。オーギュストの義兄夫婦が「ジルベール邪魔」と言ってきたのです。義兄夫婦には実の子供ができていました。そっちの子供に家を継がせたいから邪魔〜とのことで、何やら大人の話し合いが行われ、オーギュストによってジルベールは激しく嫌がりながらも学院に入れられてしまったのです……。

さて一方のセルジュですが、優秀な生徒だったオトンがパリで娼婦に一目惚れしてしまい、パトロンのおっさんの手元からオカンをさらってスイスの田舎に逃亡、そこで生まれたのがセルジュ、という、ジルベールに比べればややインパクトに欠ける生育歴だったりします。

でも両親共に亡くなってしまうと生活は一変。性格最悪な伯母が後見人になり、陰口を叩かれ続けながらもお屋敷で暮らしますが、あるとき仲良くしていた従姉妹の美少女にうっかり火傷を負わせてしまい、それを申し訳なく思ったという理由で学院に転入してきたのでした。

 

さて、相変わらず微妙に打ち解けてんだか打ち解けてないんだかって感じのジルベールとセルジュですが、サイコのオーギュストが2人の間を引っかき回します。わざとセルジュに近づいてジルベールを発狂させたり(めんどくせえ…)。ヤンデレサイコのオーギュストは、なんとセルジュを容赦なくレイプ。しかし!!セルジュはめーちゃくちゃいいやつなのでむしろジルベールがあんなにお前のことを想ってるのになんでそんなことするんだ!!な方向に怒りが向きます。いいぞセルジュ。いい加減オーギュストにも呆れたのか、好きな気持ちはあるもののジルベールは一旦オーギュストから離れることにしました。

この辺になるとセルジュはもう「俺、もしかしてジルベールのこと……好き……?」って感じなのでもーそのままくっついて平和になれよーって思うんですけどジルベールはやっぱりオーギュスト大好きなのでいちいちオーギュストのことで病んで発狂します。オーギュストが婚約すれば発狂し、かといってセルジュにいい感じの女の子がいても発狂し……。

セルジュは悩みに悩み抜いた末、とうとうジルベールと一線を越えました。おめでとう。

くっつくまでがなげーーーーーーんだわ。

しかし、幸せな日々はそう長くは続きません。オーギュスト(多額の寄付で学園を牛耳っています。花男かよ)は学園の総監督に命令して不良にセルジュをボコらせたりします。学園を巻き込んだ恋。これでこそ少女漫画です。スケールの大きい恋、好きですよ。

そして最終的には同性愛が学園中にバレ、学院長に責問されることになります。お前も1巻でジルベールとヤってただろぉぉぉぉというツッコミも虚しく、オーギュストが自ら学園にやってきてジルベールはもといたマルセイユの屋敷に連れ戻されることになってしまいました。セルジュのところにも伯母(社交界でのオーギュストの知り合いだったのです。運悪いね)からマジギレした手紙が届きます。悲観したジルベールはナイフでの自殺を図ろうとしますがまたもや失敗。メンヘラの極みです。

しかしセルジュはめーちゃくちゃいいやつなので、絶望的なときでも前向きに、駆け落ちのために密かに動き始めます。学園中からは密かにカンパが集まり、級友たちの協力、そして最後にはオーギュスト側にいたと思われた生徒総監のまさかの寝返りで2人はパリへの脱出に成功するのでした。

 

まあ、でもパリに移っても全てがうまくいくわけではありません。

娼館の屋根裏部屋に住んで最初にふたりが勤めたレストランではヤクザの客にジルベールが(多分)レイプされ、それでも何もしてくれない店にキレたセルジュは辞表を叩きつけてピアノ教師に転職。良い賃金をもらい、友達もできてそれなりに充実した日々を過ごしますが一方のジルベールは引きこもり状態に。人と会いたくないので宅配便にも出ないという末期患者の様相を呈します。相も変わらずメンヘラを発揮するジルベールは、飲まず食わずでこのまま朽ち果てたい、セルジュにも「仕事に行かないでほしい」と言い、さらにヤケクソで女の子とベッドインするなどまさに

しかもセルジュは男と同棲しているという理由でピアノ教師もクビになり、仕事を探しますが最初に働いていたレストランでの一件でヤクザを怒らせてしまったので仕事が見つかりません。もはや二人して病み始めたジルベールとセルジュは海へと逃避行。死かと思われたそのとき、なんと忘れかけていた彫刻モブおじさんことボナールが彼らを救います。

捨てる神あれば拾う神あり。でもお世話になるのは申し訳ないと出ていったセルジュを追って、ジルベールも元の家に戻ってしまうのでした。

ここまでくるともはやこれはどーみても共依存です。立派な共依存です。学生時代の親友・パスカルに「別れろ」と諭されても「僕がいないとジルベールは生きていけない」と突っぱねるセルジュ。お手本のような共依存です。しかもジルベールはセルジュが働いている間にヤクザに薬漬けにされて売春を強要されています。す、救えねえ〜。

結局最後には、ジルベールはオーギュストの幻影を見たまま馬車に轢かれて死んでしまうんですけど、読後感としては、私は死にたい死にたいと言っている側だけど、中島らもの説いたように死ぬというのはやはり卑怯だ、と思った。先に死ぬというのは逃げだ。

多分あのあとセルジュはパトリシアと結婚してときどきジルベールのことを引きずりながらもなんとか幸せに暮らすんだと思う。それでも若くして死んだジルベールは、思い出のままでいつまでも綺麗なままだ。その衝撃は何にも勝る。

ジルベールって若さと儚さの体現みたいな存在だと思うんです。だって大人になったジルベール想像できないもん。死ぬことが運命付けられてたみたいな存在感放ってるよなあ。

個人的に一番クソムカつくのはオーギュストですね。なんなんだあのサイコ。頭おかしいんじゃないのか!?漫画だから悪役が必要なのはわかるんだけどそれにしても胸くそ悪かった。そしてジルベールの帰る場所はオーギュストしかないというのもまたつらい。

メンヘラがヤク中になって結局死ぬというテンプレはここらへんの少女漫画から始まって「恋空」に引き継がれているのかなと不謹慎ながらも思ってしまった。……舞台化してほしいけどジルベールの人選にめーーちゃくちゃ悩む。あ、高杉真宙くんならいけるかもしれない……。そしたらセルジュは推しで。理由?いいやつだから……。

もう限界なのでガッツ辞めます

タイトル通りわたしはついにガッツを辞める決心をした。いわゆる追っかけもおたくも辞めて茶の間になる決心をした。ファンになってから2年10ヶ月である。長いようで短かった。

振り返れば狂い咲きのようなガッツ人生だったと思う。辛かったかと言われるとそんなことはない。楽しい思い出もそうでない思い出もたくさんあった。夏の暑い中、夜行バスに乗って舞台挨拶を見に行ったこと。初めて推しと目が合った瞬間のときめき。ファンサを貰ったこと。認知されるために必死で固定ファンサを作った日々。同厨が嫌すぎて映画館のエスカレーターで喚き散らしたこと。大箱のイベントでファンサをもらって舞い上がるほど嬉しかったこと。毎朝7時に起きてヒーローショー6公演見てそのあとバイトしても全然辛くなかったこと。推しと一緒に頑張った気分になった全国ツアー。認知されてるってわかったとき、腰が抜けてしばらく動けなかったこと。初めての主演舞台に全通して大千秋楽で人目も憚らず大泣きしたこと。プレゼントをたくさん着てくれて、それがいちいち嬉しかった。舞台のスケジュールが辛くてわたしが倒れてしまって、悔しくて布団の中で泣いたこと。お花を出して素敵って言ってくれたこと。観劇に来ていた舞台で偶然会ったこと。だんだんお互いにタメ口で話すようになって一度も言ったことないけどそれがすごく嬉しかった。カレンダーが出れば誰にも負けたくないし売り上げを伸ばしたい一心で引かれるほど買った。つまらない舞台にも毎日通った。徐々に映像に活動の場を移すようになっても、懲りずにエキストラに行って推しを驚かせた。チケ発のために真冬の路上で徹夜して最前列を取ったこと。推しとどうでもいい話をするのが何より好きだったこと。

正直言うともっと頑張りたかった。体力の限り推しを追いかけていたかった。どんなにつまらない舞台でも全通してあげたかった。仕事が嫌でも推しのために頑張りたかった。

でも突然、推しを見ても気分が落ち込むようになった。推しが売れつつあるのも一因かもしれない。こうやって会えるのも残り少ないんだろうなと思うと暗い気持ちになった。今を楽しまなきゃと必死になった。

幸せなまま死にたい、と思った。

推しがさいたまスーパーアリーナのステージに立った翌日、自殺を試みた。今が幸せのピークだと思ったからだった。あっけなく失敗した。致死量というのは信用ならない。救急病院で手足を拘束されて3日間入院した。助かったとわかったとき、わたしは惨めにも、推しに会いたい、と思った。今どこで何をしているんだろう、と。

退院してふらふらになりながら、翌々日、推しに会いに行った。暗い内容の手紙を渡してしまって後悔した。でも、推しに会えて嬉しかった。それから何度も推しに会いに行った。話せることが何よりの救いだった。 それでも、推しに会っていても、死にたい気持ちは変わらなかった。死ねなかったことを悔やんでいた。

でもそれと並行して、主治医には入院を勧められていた。最初は大丈夫だと断っていたけど、徐々に仕事に行けない日が多くなっていた。死にたかったという気持ちが強くなるにつれて、気分は沈み、とうとう推しのところにも行けなくなった。布団から出られなくて、ただひたすら、生きるのが嫌だという気持ちを反芻していた。

もう終わりだと思った。

どんなに辛くても推しに会えばなんとかなっていたのに、推しのところにも行けなくなった。

なけなしの力を振り絞って推しに会っても、きっとわたしは、謝ることしかできないと思った。

力になれなくてごめんね。頑張れなくてごめんね。

今まで全通とか貢ぎとか積みとかが当たり前になっていたから、自分の精神的な理由で仕事に行けなかったり舞台や現場に行けなかったりするのが、本当に本当に申し訳なかった。今わたしが推しと話しても、ネガティブな言葉しか出てこないと思った。わたしは話に行くことを諦めた。

諦めると同時に、推しに会いに行けないなら俗世にいる意味もないと思い、わたしは医師の勧めるがまま、精神科の半閉鎖病棟に入院した。入院中のことは、他の記事でいろいろ書いたので割愛するけれど、とにかくずっと暗かった。

きのう、一時外泊して、推しの舞台を観に行った。手紙を出した。

いま精神状態が良くないので、ネガティブなことしか言えないのが予想され、迷惑をかけてしまうからしばらく話に行ったりしないこと。体力的にも精神的にも昔みたいに応援できない、それが申し訳ないという言葉しか出てこないこと。それらをささやかに書いて、出した。

来週、退院が決まったけれど、推しの舞台に無理をしてでもたくさん入ろうという気力が起こらなかった。その瞬間、ああ、これまでなんだな、と思った。

ガッツを辞めたというよりは、その資格がなくなったという方が正しい。

わたしはガッツでなくなった。

 

結局、売れたら離れてくのか、薄情だ、って言われるのかもしれない。そのとおりだ。もし推しがもっと売れていなかったら、わたしがいなくちゃという気持ちでまだ踏ん張れたかもしれないから。

しかしその反面、推しにはたくさんたくさんのファンがいるから、もう大丈夫だろうとも思っている。

過去にいた何人ものガッツとおなじように、わたしのことも、数ヶ月もすれば忘れてしまうだろう。秋のイベントでは「はじめまして」から始めないといけない。かなしいけれど、それが現実だ。

ずっとついていきたかった。わたしの体力と、気力が許すならば。わたしがどこで壊れたのか、どこで頑張れなくなったのかわからない。昔みたいに狂ったように働いてくそ舞台にも全通できるエネルギーがほしい。好きだからついていきたかった。

いままでありがとう。でもわたしは諦めが悪いからずっとこれからも好きでいるんだと思う。好きな気持ちはどうやっても消えなかった。気持ちに身体も心もついてこなくなってしまったからこんなに苦しいんだ。頑張って応援するって言ったのに、嘘になっちゃってごめんね。無理しないでって言ってくれたのに勝手に無理して自滅してごめんね。体調気をつけてって言ってくれたのにぜんぜん気をつけられなくてごめんね。

友人にリプライをもらって気づいたけど、俳優厨は、趣味だ。だからべつに茶の間でもそれが正しいといえるのだけれど、わたしにとって推しは人生に、人生そのものになってしまっていた。とても重かった。勝手にものすごい重荷にしていて、抱え込むことに必死だった。生きる意味を見失ったわたしは推しのために生きていたから、推しのためにすら生きられなくなったわたしは、無価値だ。だからいま、とても死にたい。

いままでありがとう、流星くん。営業がんばって、新しいガッツ掴んでね。たくさんハイブラ貢いでもらって公演にもたくさん入ってもらえるといいね。わたしのこと早く忘れてね。こんなくそオタのことなんて。お金落とさないやつのことなんて覚えてる必要ないよ。だから、ばいばい。

 

これからどうしよう。

次に好きになれるものが見つかるまで、ぼんやりと待とうと思う。その間は、どうしようもないのでひたすら読書をして、ときどきブログに気持ちを吐き出したい。面白い舞台があれば元気なときに見に行きたいし、推しの活動も、茶の間なりに、無理しない範囲でたまに顔を出しに行きたい。

ガッツだった約3年、楽しかったな。こんなに何かに熱中できたのは、きっと最初で最後だ。楽しい思い出をありがとう。鬱病に勝てないわたしは、俳優厨失格なのです。

 

 

ここがダメだよ!舞台「バイオハザード ジ エクスペリエンス」

まず初めに断っておくとすれば今日まで私はそこそこのスズカツ信者だったとゆーことである。「僕のリヴァ・る」も「喜びの歌」もなかなか面白かった、ところどころ難解ではあるけれど。まあ、だから今回もまあまあ期待してた。

しかし、ここまでつまんない舞台を見たのは前代未聞というくらいつまらなかった。「ミュージカル神様はじめました2016」の方がまだマシかもと思ってしまうレベルでつまらなかった。何が根本的に悪かったのかは残念ながら私にもわからない。行くつもりだった神戸千秋楽のチケットも売ることにした。バカでかい稽古場1ヶ月借りて10日間も小屋入りして出来たのがこれかと思うと涙を禁じ得ないという感じだ。もちろんキャストの努力は認めるがあまりにもストーリーに突っ込みどころが多すぎるのだ。

同じゾンビものならモーニング娘。がやっていた「ステーシーズ」の方がよっっっぽど面白かったので観劇中はずっとステーシーズで「再殺部隊」を歌った田中れいなのことを考えていた。あれは面白い。みんな見るべきです。

個人的に面白かったシーンといえば、ラストバトルで推しが覚醒したときに「おいおいそれはただの推しじゃん(空手世界大会優勝経験あり)」と思った時だった。

というわけで以下舞台「バイオハザード」をこきおろす記事なので気をつけてください。

 

登場人物がすぐパニクる

洋画のゾンビものにありがちな展開だから仕方ないのかもしれないけどとにかくイライラする。特に弁護士の木戸邑弥とIT企業の社長。君たちはダメだ。何がダメかを説明するまでもなくダメだ。何故そんなにキレ性なんだ?もうちょっと落ち着きたまえ。

 

青柳塁斗がすぐ死ぬ

早すぎだろ。いいのか?青柳厨よ。いいのか?最後まで生き残る横浜厨と速攻死ぬ青柳厨が同じチケット代なのはどうにも納得いかない。青柳厨、最初のわずかなシーン以外はずっと発狂してるし。いいのか青柳厨。いいのか青柳塁斗。ちなみに私はこれ以降脳内でガキ使のように「\デデーン/青柳、アウトー」という音声が流れるようになって笑いをこらえるのに必死だった。

 

なんか登場人物がすぐ陰謀とか実験とかに話を絡めたがる

日本人が言うとどうにも胡散臭さが拭えない。

 

東幹久「この殺し合いはすべて実験だったのだ」

山田悠介の小説かよ。今どき中学生は魔法のiらんどで小説連載したりしねえんだぞ。

 

篠田麻里子はなぜハーブを飲んだのか

説明頼む。篠田麻里子ってゲームマスター側の人間だし殺されてもまた蘇らせてくれる的な発言なかった?意味なくね。

 

忘れたけど誰かと銀行員の女が速攻で男と仲良くなって速攻で死んだ

もうちょっと引っ張ってもいいと思うんだけど。やるならしっかりやろう。しっかりやらないならいらない。

 

推し、なぜ最後の最後に篠田麻里子を抱き寄せた

文脈皆無。理解不能。いい匂いかぎたかっただけだろ。

 

無音で刺さるナイフ

銃声は爆音なのに……。

 

 

色々挙げましたが2時間の暇つぶしにはなると思うのでどうしても暇な人は見に行ってみてください。どうしてもね。保証はしない。