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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

舞台「ドラえもん のび太とアニマル惑星」を観てきた感想

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 若手俳優を見続けて3年になるんですが、数々の舞台を鑑賞して最終的に行き着くところがドラえもんだとは誰が想像したでしょうか。そんなんありかよ! 下北沢のザ・スズナリとかじゃないのかよ! 今をときめく小越プロがまさかの野比のび太役とのことで、化学反応的にどうなっちゃってしまうのか気になっており、行けたら行こーかな程度に思っていましたが、そういえば私ニートでした、毎日暇でした、まじかよ。 素直に観てきました。

 ふら~っと行ったので、2階で観ました。初めてサンシャイン劇場には2階があるという事実を知りました。まじかよ!階段ちょう長くて引きこもりは疲れました。最前は手すりが邪魔でぎりぎりステージが全部見えるかなって感じですね。

 またしても昼夜逆転していて、昼の11時に寝たので、19時開演のソワレに辿り着くには16時に起きなくてはならず死んでしまうかと思いました。昔さくらももこがエッセイに「夜型なので、昼間に用事があると死ぬほど苦痛」と書いていて、当時小学生だった私は、そんなわけねーだろ!と笑っていましたが、今ではその気持ちが切にわかります。さくら先生に笑ってすみませんでしたと謝りたいです。 しかもサンシャイン劇場は遠い。なぜあんなに池袋駅から遠いのか??行きは東池袋使いますけど…。キャストもつらいと思う、あの距離。箱自体は、結構好きなんですけど……。

 さて私は昔だいたい同じ内容のヒーローショーを150回とか見る気が狂ったおたくだった黒歴史があるので、小さなお友達最強説というのは身をもって実感している為、小さなお友達だらけの現場を想像して身構えていたのですが、客層はほとんどが成人女性と成人男性でした、アレ? 平日のソワレなのでしょうがないかもしれないですね。 入場したら、いきなりロビーで大道芸人の人たちがバルーンアートを披露していて、客席内では愉快な格好をした人たちがドラえもんの曲メドレーを延々と演奏していたので、来るとこ間違えたか!?と思いました。…後で知ることになるのですがその人たちは全員アンサンブルの方々でした。前説のお兄さん(ぶたさん役)の声出しが、「じゃあ僕が、亀田のあられ!!って言うので、みなさん、おせんべい!!って言ってください!!」という内容で、愉快極まりなかったです。ていうか、前説ある舞台初めてだよ……。

 地味に衝撃だったことは、開演前に2階の客席の端っこで歯磨きをしている人がいたことでした。まじかよ。ミュージカル「神様はじめました」でも客席で歯磨きをしている人がいた騒動があったなあとぼんやり思いながらその人を眺めました。その人は歯磨きが終わったら客席から去っていき、開演中も現れることはありませんでした。……関係者かなあ!? 関係者にしても、歯磨きは裏でやってください、お願いします!(こんなバカみたいなことをブログに書かなきゃいけないの本当につらい)

 

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 この驚愕のスピード感。飽き性なオタと椅子に座り続ける体力がないオタにも優しい親切設計! 嬉しい!(嗚咽) 2幕さあ、短すぎて体感的には開始15分で終わった。元ネタの映画が上映時間100分なので、時間としては忠実に再現していることになりますね。

 小越プロののび太は、さわやかなのび太で非常によろしかったと思います、すばら。「のび太は映画になると急にかっこよくなる」というのは定説ですが、そのかっこいい方ののび太ですね。ランドセル背負ってるの、最初は「!?????」ってなるけど、5分くらいすると目が慣れるのこわE。小越プロの他に驚愕キャスティングとしては、陳内さんがスネ夫役なんですよ、まじかよーーーー!!!陳内さんのランドセル、こわE。 しずかちゃんの方は、どっからどう声を聴いてもしずかちゃんで、多分アニメに出てても違いがわからないので、もう充分しずかちゃんだけでこの先食べていけるのではないかと思ってしまいました。 チッポ役の佃井さんは仮面ライダー鎧武で見て以来だったので同一人物なのかがしばらく信じられずうっそーーん!!とずっと思っていました、言われなかったらたぶん永遠にわかんないです。驚愕。 小越プロのキャスティングが決定してから、上演までに2年かかったそうです。こういう「上演までに◯年かかりました」芸は、「構想から◯年!」といった形式でしばしば世の中において見られがちですが、肝心の作品がグダっていると「◯年かかってこれかよーー!!!」とオタにちゃぶ台を投げ飛ばされるハメになるので、面白い舞台で本当に良かったなと思いました。 ドラえもんは、最初に出てきただけで客席から笑いが巻き起こるので存在がチート……。

 1幕で笑わせて2幕で泣かせるという非常にベタな構成だったけど、何かそれが良かったなあ、変にロジカルになってなくて。 見ていて、やっぱドラえもんってすごいよなーと思ったのは、キャラ造形がしっかりしていて、登場人物が何をするかがだいたい予想できて、だいたいその通りに話が進んでいくので、驚異的にストレスフリーなんですよね。何考えてるのか全くイミフなキャラのいる舞台を見てしまうとしばしば「は~~~~???」みたいな気分になってしまうんですけど、全くそれが無い。 これはすごい。革命です。ネルケはもう、テニスの王子様みたいに、ずーーーっと話だけ変えてドラえもんを上演し続けばいいんじゃないかとさえ思いました。全然あり。あり寄りのあり。

 エンタメとしてのクオリティも想像を絶する高さで、(というか、私の脳内で、ドラえもんを舞台でやるというのが要するにどういうことなのか全く理解できてなかったのもあるけど)フライングにしろ、映像投影にしろ、何というか地味にネルケの全技術注ぎ込んでる感がありながらもそれをしれっとやってのけるというところに圧倒的な好感を持ちました。そしてハイテクとローテクを有意に混ぜると面白いというのはよくある話なのですが、やっぱりタケコプター人形とドリルの擬人化でげらげら笑ってしまいました。 笑いのスタンスは、基本的にシュールだったんですけど(ドラえもんが部屋セットにふすまを使わずに平然と入るシーンとか、ジャイアン激似のゴリラとか)。鴻上さんの趣味なのかな~わたしは好きだよ!休憩の入り方も盛大なメタネタなんだけど、面白いから圧倒的に許された。

 ハッピーエンドなのがわかっている舞台ほど気楽なものってないんですけど、予想を遥かに超えて順調なハッピーエンドだったので心が穏やかに保たれたまま観ることができました。 のび太たちがニムゲと戦ってアニマル星を救出するというのが物語の主軸なのだけれど、その過程でのび太たちの中にある(べき)リビドーの描写が徹底的に排除されていてびっくりした。そのおかげで鑑賞後の感想があっさりさっぱりしているし、のび太たちはなぜアニマル星を救うのか?という議題において「正義だから」以外の答えがまるで存在しない物語世界で、のび太たちに全く自己の概念が無く、他者をただただ救うために戦っているので、全くツッコむ隙もなく「いい話」として仕上がっていました。 登場人物が世界を救う系の物語類型においては、しばしばヒーロー役のキャラクターの言動がエゴイスティックになっていることがあり、自己愛を感じてしまい(まあ、それが人間本来の姿ですけど…)萎えてしまうことがあるのですが、この作品は徹底的にそれらを排除しているので萎えることなく見られる安心設計です、やったね!! 「世界を救うこと」と、自己が全く別のものとして分離されているので、世界に自己が直結するセカイ系の対極に位置するストーリー展開が繰り広げられておりとても興味深かったです。 セカイ系の見過ぎで主人公は戦うときに必ずうじうじ悩まなければいけないものだと思っていたのでダメ人間のはずののび太があっさり「よし!戦うぞ!」って決意する展開に度肝を抜かれました。そんなんあり!? こんなの思いつくのアンチセカイ系の論客しかいない!!と思ったら元ネタが1990年だったのでwikiをそっ閉じしました、違うわ、藤子不二雄先生の心が優しいんだよな。

 笑い+ほのぼの要素+いい話という黄金パターンの揃った全年齢対象安心設計の舞台なので暇な方はぜひ見に行ってください。4月2日までだそーです。ロミちゃんは天使だよね!?

 

 

 

オタになって苦節7年、やっと二次女性向けジャンルにはまれたよ、やったね!!

苦手でした、二次元の女性向けジャンル。7年間ずーーーっと苦手でした。

誰も知りたくないだろうけど、わたしの同人遍歴書くね。 その昔、わたしがオタになった頃は、気象と伏せ字されるアイドルグループの人たちの全盛期とドンピシャでありました。 夢小説がバカみたいに流行りました。当然のなりゆきでハマりました。寝食を忘れて没頭しました。ランクの端から端までサイトを片っ端からひらき延々とパスコードを入力し続け似たよーな設定の大半は文章力の死んでいる夢小説を朝から晩まで読んでいました。まさに廃人。当然のなりゆきで書き始めました。当時ジャンルにいた夢小説書きが使っていたサーバーは大別するとフォレストページ(厨多し)かモバスペ(一番無難)かリゼ(よくわかんないけど結構いた)かナノ(そのころは広告が無かった)でした。広告嫌なのでナノにサイト作ってごりごり書いていました。何か知らないけどランカーになりました。 広告ヘイトが加速するあまり途中からトップページとinfoなどの変換機能不要なページだけは全く広告の無いsamehaに移転させて小説機能だけナノ使ってました。めんどくせーことするよな。よく頑張ってたよ。

夢小説書きのあいだに交流は特にありませんでした。そもそもナマモノだしナマモノでがりがり夢小説を書いてることへの罪悪感のようなものがあったのかはしりませんが夢書きは誰もSNSをやっていなかったと記憶しています。私もやりませんでした。サイトにかろうじて更新記録と一行日記みたいなのは載せていましたがあんまり中の人がでしゃばって現実に引き戻されてもなぁと思ったので。なのでテニスとかの二次元ジャンルでは夢書きもSNSをやると聞いて夢書きを辞めた3年後くらいにしぬほどカルチャーショック受けたのを覚えています。しかも「うちの夢主」みたいに固有の人格を作って夢主同士で交流させたりするらしいじゃないですか! うっそーん!(卒倒) 私のいたジャンルでそのような発展が全く起きなかった理由としてはそもそもナマモノであることの他に書き手がみんな「ジャニオタ」としての人格を別にちゃんと持っていたからであろうことが挙げられます。ジャニオタの中にも夢が平気な人もいれば夢完全ヘイトな人もいました。かといって夢が平気な人で固まるわけではなく皆ひた隠しにして生きていたのですね。でもひた隠しにしてさえいればジャニオタとして生きていけたのでそれでよかったのかもしれません。

そんな風にひたすらコソコソしていた夢書き時代を経てそのままスライドして類似ジャンルのBLに移動したのですが、夢小説界隈がコソコソという形容ならBL界隈は地下活動時代の共産党といった様相を呈していました。しかも全員せいぜい大学生以下だった夢小説ジャンルにくらべてBLジャンルは年齢層があがっているので世は2010年代だというのになんとまだPCサイトのサーチエンジンが生きていました。つーかばりばり現役でした、まじかよ! そう、そこはJ禁P禁N禁という名の鎖国だったのです。検索よけしないとジャンルの滅亡をもひきおこすという恐ろしい環境のなかひっそりとPCサイトを立ち上げ、鎖国状態のジャンルにおける唯一の発展手段であったサーチエンジンからの来訪者にひっそりと小説を公開していました。 隠密ジャンルにおける夢→BLという移動により地下活動をつづけてしまっていた私は外の世界の同人をしらないままオタとして数年を過ごしていました。BLジャンルではかろうじてツイッターで交流している人たちがいましたが全員鍵付きでフォロー/フォロワーがそれぞれ多くても2桁中盤くらいしかいないという超村社会状態でした。プロフィールには数字とアルファベットが書き連ねられさながら戦時下の暗号化していました。そんな超村社会で少人数相手にふわっと萌え語りをする日々でした。なんか息苦しかったです。でも背に腹はかえられないのでひたすらそうしてました。 ジャニオタをやめるのと同時にすっぱりアカウントもサイトも消しました。結局本当だったのは「ジャニオタとしての自分」のほうなので最後まで素性を明かすことができずにそれっきりでした。

さて、そのあいだも深夜アニメは延々とみていたので量産されていた女性向けジャンルにはまる機会はいくらでもあったはずなのですが、なんと残念なことに全くはまれませんでした。記憶にある中では、ヘタリアイナイレうたプリ、青エク、タイバニ、黒バスなどの数多のコンテンツたちが世の女性オタを狂喜させていたような気がするのですが、悲しいことに、全く琴線にふれることがないままに月日が経っていたのです。その間私は何をしていたかというと、ずーーーっと萌えアニメを見ていました。 涼宮ハルヒの消失劇場版制作に騒ぎ、涼宮ハルヒの驚愕発売に騒ぎ、けいおん!に騒ぎ、生産され続けるエロゲ原作アニメを真面目に鑑賞し、まどマギの展開に衝撃を受け、生産され続けるラノベ原作アニメを真面目に鑑賞し、東方同人を読んで、俺妹の原作が桐乃ENDで終わったことに発狂し(黒猫派だった)、ついでに女性声優オタにもちょっとズレて、探偵オペラミルキィホームズを観たりゆるゆりを観たりA&Gを聴いたりしていたら、なんと気づけば、女性向けジャンルの流行が3周くらいしていたのです。まじかよ。

ヘタリアの話題に取り残され、イナイレの話題に取り残され、取り残されてる間に違いの全くわからないイナイレの新シリーズが始まり、今日もやられやくが分裂騒動を起こしてやらおん!になり、うたプリは1話を見て沢城みゆきの演技に「こんなんありかよ」とドン引きして切り、タイバニはおっさんが主人公なのに2クールは長すぎるから見続けるのはキツイという理由で切りました。 しかしそれ以上に私にとって女性向けジャンルがキツかったのは、男性声優が苦手だったことでした。ポストなのはという下馬評だったのでDOG DAYSを見始めたら主人公が宮野真守だったのでこんなんありかよーー!!!と叫びながら録画を消しました(実は未だにあの鼻声がムリ)。大変失礼なのを承知で書きますが萌えアニメの主人公1人をなんとか許すだけで精一杯なのに男性声優が死ぬほど出てくるアニメを視聴するという行為は私にとって非常に困難なものがありました。 許せたのはロウきゅーぶ!梶裕貴CLANNAD中村悠一ぐらいでした。リトルバスターズ!の理樹がキャスティング変更されたときは心臓が止まるかと思いましたが、変更後が堀江由衣だったのでなんとか今まで心臓が止まらずに生きているといっても過言ではありません。

正直男性の登場するアニメで萌えるとかまじで無理という状態だったので、代わりに何で萌えていたかというと、ストライクウィッチーズで延々と萌えていました。 これは私にとって実質3つ目のジャンルでした。はまったのはアニメ2期を観てからでしたが、心優しく穏やかな百合おじさんたちがアニメ1期放映から根強く定着しており、もはや彼らの出す本や書く萌えには安心感さえありました。私は心優しい百合おじさんたちに囲まれすくすくと育ちました(??)。百合厨として。エイラーニャは文学だし、エーゲルは萌えにおいて万能やん、まじで!? 501に飽きたら他部隊にいけばいいという無限の供給の中で、しばらくはぼーーーっとスト魔女オタとしての人生を送っていました。 劇場版でハイデマリーさんが出てきたときは本当にうれしかったです。501st JFW.OAを真面目に聴き、生まれて初めて読んだ百合小説であるスオムスいらん子中隊にショックを受け、と同時に感動を覚えました。私は永遠にビューリング中尉にリアコです!!!! 中尉、付き合って!!!! ノボル先生が亡くなったときには、悲しくて泣きました。つらいです。

しかし、そんなスト魔女ジャンルの平和も長くは続かず、ガールズ&パンツァーという激ヤバコンテンツの登場と、艦これという激ヤバコンテンツの登場によって、TLにいる百合おじさんとミリタリーおじさんたちは最早みなガルパンと艦これの話しかしなくなってしまいました。 私は普通につらかったです。ガルパンも艦これも、普通に好きだけど、やっぱりどのジャンルに行っても、流行には逆らえないんだなということをいたく思い知らされた。自分の中で艦これを素直に受け入れるのには時間がかかり、サービス開始時点から存在は知っていたものの、心に整理をつけてプレイを開始するまでに半年以上の月日を費やしてしまいました。スト魔女も艦これも似たよーなもんだろというご意見が飛んできそうですが、いまだに自分の中で艦これにスト魔女ほどの熱意でのめり込むことはできません。こんなことを言うと怒られてしまいそうですが、艦これは自分の中で作業ゲーの域を脱していません。しょせんキャラ萌えで成り立ってるゲームだから物語性に乏しいだろ、と思ってしまうのです。 まあ、今となっては、ブレイブウィッチーズすら見てないジャンル外の人間ですし、こだわりの無いことなんですけど…。

その後、俳優オタになりました。

特撮にはまりました。

あろうことか、ナマモノに逆戻りです。ちーん。しかも治安がJ禁より悪かったです。年齢層がさらに上がり、主婦の人とかもジャンルに出現してきます。しかも狭いから同人者と俳優オタの境目が曖昧だし(私はきっちり両者のアカを分けてたけどそれをごっちゃにするバカがいるせいですべてが無に帰していた)、地獄かよここはってずっと思ってました。おまけに毎年毎年特撮作品だけをずーーっとスライドしてきているであろう最早なんでもいいんじゃないか的な人とか同人者兼コスプレイヤーとか出現してきて時はまさしく戦国時代。地獄だったのでさっさと抜けようと思いほとぼりが冷めたら支部もツイも消してドロンしました、薄情なやーつー。あ、ちな本命でやってたCPは推し関係ないんで、推しはそういう目でみてないっす、悪しからず! それに加えて俳優オタで東映特撮の暗黒面を知りすぎてしまったのでもう二度と特撮は見ないと決めて2017年に至ります。

 

さて、気づけばオタになってから7年が経過していました。

とくに俳優オタになってからの3年間はアニメ断ちをしていたので、最近ひきこもりに逆戻りして、またアニメを見ようと思ったら、3年間のブランクによる激しい浦島太郎に襲われ盛大に困惑してしまいました。 まず、声優が、わからねえ。ハナヤマタみて、主人公は声的に花澤香菜だろ!って思ったのに、全然違うでやんのーーー!! 5年前なら多分花澤香菜だったのにーーー!!もうあの時代は終わったんだ…。

でも萌えアニメの芯みたいなものは、ブランクを経ても特にかわっておらず、やっぱ萌えコンテンツの構造って単純だよな~!とかいいながら延々と日常系アニメをみていたのですが、それでもやっぱり、時を経ても、女性向けアニメに対する苦手意識は抜けませんでした。 思えば、二次元の男子キャラに対して、萌えとかを感じたこと、無い人生だった…。可愛いともかっこいいとも思ったことなかった。何も、胸がときめかなかった。 なんか欠落してるんだろうな―と、ずっとずっと思っていた。才能がないんだとも思っていた。

 

そんなとき、刀剣乱舞にあっさりはまった。

まじかよ、と思った。あんなにどーでもいいものだと思っていた、女性向けジャンルに身を投じる日がくるとは思わなかった。びっくりした。多分、長い(俳優厨としての)修行生活でどっか変になったんだと思う。

何か、よかったわ!!自分が人間的に歪みきっているから、メジャーな女性向けを受け入れることができないのかとずっと思ってた。コンテンツ制作側の提示する「美少年」像を死ぬまで受け入れることができずに火葬場で焼かれるのかと思ってた。安心しました。

刀剣乱舞に関しては、キャラのことを嫌だとも気持ち悪いとも思わない。それはなんでだろう?うーん、人じゃないからかな…。「人の器に心が与えられた存在」だから、ワンクッション置いてキャラと接せてるのかもしれないです。みんなかわいいよ。みんなかわいい。三日月おじいちゃんも鶴丸さんも薬研ぴょんも鯰尾きゅんも骨喰きゅんも獅子王くんも安定たそもかしゅ~もみんなかわいい!! みんなかわいくてかっこいいよ、生きてるの偉い、この世に存在してるの偉いよ!!! ちな、ミュにもステにも深入りする気はないんで安心してください…。

苦節7年、やっと普通の、そのへんにごろごろいる、どーでもいい、流行ジャンルに寄生する頭の悪いおたくになることができました。 うれしいです。 私はすごく、うれしいです。だって今まで、なりたくてもムリだったから。

でさあ、流行ジャンルの同人って、漁っても漁っても終わんないんだね、まじ困る!?!?!?無限に書き手が出現するんだけど、どうした!?ていうか、「大手」がSNSに存在するジャンルって地味に初めてなので大手解釈が同人界での公式解釈になるって聞いて怯えてるんですけど、まじですか?そんな外道なことが通用するの?そんなんありかよ…。 あと流行ジャンルのオタ女って、噂には聞いてたけどやっぱり学級会しがちなんだね!?すぐ学級会するのやめーや!自分の好きなようにやったらええんとちゃいますの…。どんな解釈しようと勝手でしょ(協調性がない)

でも、実は私は、やっぱり昔と同じように、刀でも、同人において他者と積極的に交流することはないと思います。 延々とかべうちを続けて、飽きたら勝手にドロンすると思います。 それは大変自分勝手なのですが、昔、流行ジャンルにひっついて群れる女オタの人たちに、どうしても馴染めなかった過去があるからです。結局みんな、昔はヘタとか落乱とかにいたんでしょ!?私はそういう点で、みんなと同じコンテクストを持ってないから、いわゆる純粋培養のオタ女じゃないんだよ…。何でもかんでも萌えにしたり、尊い~とか言う、才能はないんだよ。 まあ、結局そういうところでずーーーっと劣等感をかんじつづけるんでしょうね、この先。いま流行ってるソシャゲも、なにひとつやってないしな。興味が持てないから。

ところで初めて二次の女性向けジャンルに入ったから地味にショックなんだけど、なんでオタ女の人たちってオタ垢で延々と日常ツイートをするの? 垢分けという概念がないのか、そうか!!! その報告はリア垢でやれよ~みたいなツイート多いけど、垢分けという概念がないんだな!!衝撃!!そしてオタ女の人たちって何で人名を名乗らずに食べ物の名前を名乗るの?誰が誰だかわかんねえ……!!人名名乗ろうよ!!

まあ、とりあえず趣味見つかってうれしいです。てな話でした。おしまい

 

 

ネオ空気系アニメ「刀剣乱舞-花丸-」がすごい

 

 アニメやライトノベルなどのサブカルチャー領域において、対をなして定義されるジャンル類型が存在する。セカイ系⇔空気系の対比である。

 セカイ系はしばしば登場人物の心情が世界そのものの破滅や揺らぎに直結する危機的な物語類型であり、サブカルチャー批評においてはそれらがアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の影響を色濃く受けていることからしばしばポスト・エヴァンゲリオンという形容をなされるものである。 一方、空気系は登場人物(ほぼ確実に、それらは美少女である)の無意味ともとれる日常会話や日常生活をえんえんと垂れ流し、コンテクストが皆無といっていい物語進行がなされることが特徴だ。「まんがタイムきらら」系列の作品がアニメ化される際に特にその傾向は顕著とされ、内容が無いにもかかわらず、コンスタントに空気系作品が量産されていることから、一部層からの根強い支持があることがうかがえる。

 空気系に属する作品群は、はっきり言ってどの作品も物語にこれといった特徴はなく、また、キャラクター類型も斬新さがなく特徴が使い回されているにもかかわらず支持を集めているのは、空気系作品がアニオタの墓場アニオタの老人ホーム的役割を果たしているからであると個人的には解釈している。 空気系作品を鑑賞する上での最大のメリットは、「何も考えずに視聴できる」ことである。

 バトル系アニメ、登場人物の成長を堅実に描くアニメ、ハーレムアニメなどはエンターテインメントとしてかっちりと成立を遂げている点において一定の評価がなされるが、その反面視聴者は物語の解釈に相当のエネルギーを消費してしまうことになる。年間170本もの深夜アニメが放映される現代において、「アニメは見たいけど疲れたくない」「萌えたいけどシリアスな話は嫌だ」という大変ワガママなアニオタの要望にピンポイントで応えているのが空気系作品の存在である。そしてそのような、いわば「悟り」的状態(つまり、アニメに物語性や成長を求めなくなること)に到達するのは得てして大量のコンテンツを消費しきった人間であるのが、空気系がアニオタの墓場だと呼ばれる所以だ。

 本記事で取り上げるアニメ「刀剣乱舞-花丸-」は、恐るべき人気を誇るブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」の初アニメ化作品であり、もう1つのufotable制作によるアニメ化プロジェクト「活撃 刀剣乱舞」とは対をなす、いわば「ユルい方」の作品である。 アニメ冒頭でも語られるように、「とある本丸のとある刀剣男士による花丸な日々の物語」を標榜しており、基本的には広大な本丸の中で、ユルい絵柄の刀剣男士たちがユルい日常(それは畑仕事であったり、料理であったり、買い物であったりする)を延々と繰り広げるだけの物語である。たまに戦闘が挟まれたりするが、重要なのはその戦闘はあまり深い物語性を持たないということだ/つまり、それは戦闘シーンが無くても物語は成立するということを意味する。

 コンテンツ「刀剣乱舞」において重要なのは、キャラ萌えを背景としてコンテンツ全体が動いていることであり、これは原作がストーリーに依存しない(作業ゲーとも揶揄される)ブラウザゲームからきていることにも由来するが、一部キャラ間に設定されている関係性、また実在の刀をモデルにしているため、元の持ち主や逸話などに由来するストーリーを除いては基本的にキャラ萌えだけで骨組みが成り立っている。

 このような原作をアニメーション化する際、脚本家はストーリーをまったく新しく創造するか、キャラ萌えだけで引っ張って「空気系」化するかという選択を迫られることになり、たとえばアニメ「艦隊これくしょん -艦これ-」は前者と後者のどちらかをきっぱり選択することができず結果として各方面からの恐るべき低評価を受けることになったが、「刀剣乱舞-花丸-」は開き直って後者に振り切ることで「内容のある」アニメを求めていた層を切り捨ててキャラ萌え層を取り込むことに成功したといえる。

 刀剣乱舞-花丸-が女性向けアニメコンテンツにおいて非常に斬新だったのは、何も考えずに視聴できるという、いわば萌えの垂れ流しを何のためらいもなく延々と繰り広げる「内容のないクソアニメ」とも取られかねない作品を堂々と世に出し、ありそうでなかった(男性向けにおいては当たり前の)「空気系」的価値観を女性向けジャンルに提示したことである。

 当然ながらこの作品類型には反対意見も多く、原作ゲームからのキャラ改変や特定キャラの頻出、ひいては脚本そのものに対して批判が巻き起こり、インターネットでは女オタ特有の大学級会が開催されてしまった。だが、そのような議論をまったくもって愚かだと断罪せざるを得ないのは、この作品類型→批判/議論というコンテクストはサブカルチャーにおいて00年代というはるか昔に消費され尽くしてしまったものだからである。「意味のないアニメ」として作られたものに対して意味を求めるのはまったくもって消費の方法を履き違えていると言わざるをえない。

 もっとも、この世には刀剣乱舞というゲームに命をかけている人たちがたくさん存在し、自分が命をかけているゲームの初アニメ化がまさしく空気だった場合、怒りを買ってしまっても致し方ないといえるだろう。ただし本作品の作り手にとっては、(特に本作品の制作会社である動画工房は「ゆるゆり」「NEW GAME!」「未確認で進行形」「GJ部」などの空気系作品を生産しつづけてきた歴史がある)空気系というジャンルは「スタンダードな」ジャンルであった為、従来のファンとの間で齟齬が生じたという分析が可能になる。 その点、男性向けジャンルにおいて類型として確立され、消費されつづける「空気系」は、代用のきくキャラクター/代用のきくストーリー/次々に出現する新コンテンツというフレキシブルさを兼ね備えているため、このような議論は起こりにくい。

 「刀剣乱舞-花丸-」では、主人公である大和守安定の成長が描かれる……と書けば聞こえは良いが、実際物語中で安定の成長物語に割かれる時間はごくわずかであり、最終回では「安定は修行に向かい帰ってきて立派になりました!めでたしめでたし!」というかなり雑な描写がなされている。 この点、本作品は物語性を完全に放棄しているため、物語性を期待していたファンにとっては顰蹙以外の何者でもない。

 しかし、ここはアニオタの墓場なのだ。

 キャラ萌えと日常だけが垂れ流され続ける、ベーシック・インカムの導入された世界なのだ。

 中途半端に物語性を追求してコケた少女漫画アニメや奇をてらって失敗した乙女系アニメを数多く見てきた結果、女性向けコンテンツに失望していた視聴者(つまり私だが)にとって、「刀剣乱舞-花丸-」の出現はまさしく福音である。なぜ女性向けジャンルにこういう作品が今まで無かったのか! 2016年まで出現を待たなければいけなかったのは、大変に不幸なことだと思う。 物語性を放棄していてもいい。萌えがそこにありさえすれば。これは思考そのものを手放していることと同じで、いわゆる「意識高い」アニオタ層からすれば退化以外の何物でもない。謗りは免れないであろう。しかし「意識高い」層から謗りを免れないからこそ、「空気系」はサブカルチャーに留まっているということを忘れてはならない。空気系がアニオタ界において「墓場」から脱出することはないのは、空気系への没頭が退化、逃げであるからだ。彼らはアニメを鑑賞するときに思考し、没頭し、きっちり消化し考察することを美学としているため、空気系に対してしばしば「中身がない」などの評価をくだす傾向にある。そして、その評価はまったくもって正当なものであることが、問題をさらに深刻化させているといえるだろう。

 「刀剣乱舞-花丸-」が"ネオ"空気系と形容できる理由は、一見して超人気コンテンツであり、ビッグタイトルである「刀剣乱舞」が空気系というサブカルチャーの極地に身をやつしたことが大きいだろう。

 なお、やや主題から脱線するが、アニメ「ストライクウィッチーズ」との類似についても本記事で述べておきたいと思う。「ストライクウィッチーズ」は「刀剣乱舞」と同じように、擬人化作品/組織を有し、戦う/独自の世界観/キャラ萌え/日常要素という特徴を有しているが、最も異なるのはシリアス展開の有無であるといえる。しばしば「日常要素=日常系/空気系」だという誤解がアニメオタクには発生するが、空気系において重要なのは「日常が大きく揺らがない」という、一種の芯の太さであるため、作中でキャラクターたちが年を取り魔力を失っていく「ストライクウィッチーズ」は、確かにミーナ中佐がパンツの圧でネウロイを撃退するといった"空気系"回は存在するものの、どちらかといえば主軸に「有限なもの」を置いた作品であるといえる。この点、刀剣たちは年も取らず、姿も変わらなければ(「折れる」要素を作り手が有意に排除している限り)日常が大きく揺らぐこともない。