I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

横浜流星くん、めちゃくちゃ雨男すぎる問題

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

 

www.youtube.com

 

 雨が嫌いすぎる。

 けど、推しは雨男だ。それに折り合いをつけてなんとか推し続けている。

 別推し(地下アイドルちゃん)は全然そんなことないので、私が現場に行くと降るとかそういう私の問題では決してないと思う。横浜流星という20歳男子は絶対に絶対に雨男だ。これは胸を張って言える。推しがいかに雨男であるかについて今一度振り返り、エントリにして残しておきたい。それくらい雨男なのだ。

 

  横浜流星VS雨(ひいては、横浜流星厨VS雨)の歴史はここからスタートした。(私が行ってた以前の現場でも雨だったかもしれないけど、なにせ知らないので……) 2014年7月19日、映画「烈車戦隊トッキュウジャー THE MOVIE ギャラクシーラインSOS」いわゆる特急夏映画の初日舞台挨拶の日、私が夜行バスに揺られたのち御堂筋のバス停に降り立つと、大阪には容赦なく雨が降っていた。 このときはその後に3年間も推し続けることになるとは夢にも思っていなかったので、雨男では?とは思っていなかったけど……。

 1日で難波、梅田、神戸、京都をまわるハードな舞台挨拶だったので、私はものすごい早さで関西中を駆け回ることになったのだが、なんと最後、京都でものすごい雨に見舞われた。死ぬかと思うくらい降っていた。帰りにはあっさり雨は止んでいた。

 

 横浜流星厨VS雨の第二ラウンドは最悪なことに野外イベントだった。ニコラのメンズモデルを務めていたために、代々木第一体育館の敷地内で行われたa-nationのステージイベントに出演し、女子中学生に混ざって屋外でステージイベントを待っていたときになんとゲリラ豪雨!! つらい!!死にてえ!!という気持ちでステージを見たことをよく覚えている。推しは女子中学生にキャーキャー言われていた。

 

  シアターGロッソでのヒーローショー期間中(11月1日、3月1日、3月7日)にも雨が降っていたらしい。あまり記憶に無いけど…。

 

  トッキュウジャーのファイナルライブツアー(ヒーローショーで全国を回る)でもよく雨に降られた。4月5日の名古屋公演と、4月11日の広島公演が雨だった。「ざらむちゃん自重して」というのは、トッキュウ6号・虹野明(元怪人であり、怪人時代の名前がザラム)が怪人時代に雨を降らせる能力を持っていたことにちなむ。これはよく言っていた。雨が降ってもだいたい「ザラムのせいかな」と思っていた。この頃は。

 

 解散後にあったVシネマ「行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー」の発売イベントの日も雨だったらしい。この日を最後にしばらくヒカリくん(最近ブログを知ってくださった方は存じ上げないかもしれないが、私は戦隊キャラへのガチ恋をこじらせすぎてメンヘラになっていた)に会えないのが無理すぎて病んでいた。

 6月12日のアメスタの日も大雨だったのを覚えている。雨の中必死こいてAmebaプリペイドカードを買いに行った記憶があるからだ。気が狂っていたので薔薇の花(という5000円のアイテム)を8個くらい送っていた気がする。今同じのやっても多分そんなに課金しない……。

 

 舞台「もののふ白き虎」の初日も雨。

 劇場に傘持っていくの嫌いなのに持っていくはめになってバッグと傘とプレゼントのショッパーで持ち物が多すぎてしっちゃかめっちゃかだったのをよく覚えている。

 10月1日の名古屋公演も雨だった。昼間はめちゃくちゃ雨に降られて大変だったけど夕方になると嘘みたいに晴れていた。書き起こしてみて気づいたけど横浜くんの呼び寄せる雨はどちらかというとだらだら降る雨よりもゲリラ豪雨的な雨のような気がする。瞬間最大風速的に降ることが多い。

 そして11月に渋谷のパルコブックセンター(今はもうない)で行われた横浜流星2015年カレンダーイベントの当日も見事に雨であった。傘がめちゃくちゃ邪魔だった。年に一度の接触の機会に容赦なく雨を降らせてくるのは流石である。

  ついに舞台「スーパーダンガンロンパ2」初演の初日、記念すべき2015年12月3日、私は横浜流星は雨男だということに気づいた。

 彼は節目の日に雨を呼び寄せる男なのである。

 期間中、12月10日、そして楽日の12月13日にも雨が降り、季節は真冬、寒い上に雨とかつらすぎるという状態だった。できれば舞台に行くときは晴れていてほしい。しかし、私は雨男を推しにしてしまったのである。仕方ない。顔がかっこいい代償に、雨を呼び寄せるという能力を背負ってしまったのだ。

 

  ちなみに横浜流星=雨男というネタが公式化(というか関係者により扱われた)されたのは2016年7月に撮影していたドラマ「でぶせん」で主演を務めていた森田甘路氏のツイートが(私が把握している限り)初めてのことである。豪雨注意報で森での撮影ができなくなるという悲しい事件のことを忘れてはならない。

 

  その後もイベント「Seventeen夏の学園祭2016」当日、電車が神奈川県に差し掛かった瞬間に雨が降ってきたり(会場はパシフィコ横浜)、

  雪が降っていた日に「撮影しているのでは」とあらぬ疑いをかけられるようになったり、

  先日の映画「光と血」トークショーの日にも雨が降ったりと、横浜流星=雨男はもはや定説化してきている……ような気がする。 たぶん。

 これからも推しの現場における節目節目で雨は降ると思う。でもなんだか神秘的なパワーみたいなものすら感じるときもある。なにしろ「流星」って宇宙的な名前だし地球、ましてや日本の天気くらいやすやすと操れてしまってもおかしくない。これからも気まぐれに雨雲を引き連れてください。

 晴れでも雨でも、私は推しを応援したいなと思います。

 

 ちなみに横浜くんは傘をさすのがあまり好きではないらしい。帽子があるから……(頭しか守れていない)

 

 

 

映画「Please Please Please」/壁の内側にはどんな景色が広がっていたのか?

www.youtube.com

 

 感想記事。 予告編では「リアルとファンタジーが融合する」と煽っているけど、そんなのは欺瞞で、この作品は明らかにリアルを突きつけてくるし、ファンタジーというよりも、随所に妄想を描いている、に近い。非現実ではあるけれど決して「ファンタジー」のまま帰らせてくれない。例えるなら、ファンタジーの上に泥を投げつけてくる感じに近いと思う。

 人気俳優をずらずら並べたことで局地的に話題になった本作、ネットでの評価は全否定か絶賛かの二択という印象で、嫌いな人は大嫌いだけど好きな人は好き、という感じだった。そういう作品にはだいたいハマるので(逆に、ネットで全体的に絶賛されていると全然ハマらなかったりもする)見に行ってみよう、と思い立ち4月にみなとみらいで観た。めちゃくちゃおもしろかったのでDVDを買ってしまった。

slfshop.ocnk.net

 4200円。安い!

 彼らは彼らなりに(倫理に反していようとも)日常を過ごしていて、それが大したきっかけもなく突然瓦解するという文脈は散々いろんな映画で観てきたものではあるけど、呆気なさと、いかにも最初からだいたいそうなりそうだなという雰囲気については強烈なものを残してくる映画。瓦解することを前提にした日常、水没を前提にした船、墜落を前提にした飛行機、死を前提にした戦い(この映画を観て、キューブリックの「突撃」をなぜか思い出した。第一次世界大戦中のフランス軍を舞台に、作戦が失敗した責任を取らされ、3人の兵士があっけなく銃殺される)。あっけなさすぎて登場人物へ感情移入しようと思ってもなかなか難しいものがあるので、「画面ガタガタだし何言ってるかわかんないのでクッソつまんねえ」というネットの意見も、まあそれはそうだな……という感じがする。

 この映画の革新的なところは、同じ若手俳優のイケメンを使っていてもいわゆる「胸キュン映画」のようなカタルシスの強要からあっさりと脱しているところで、終始徹底的に情動やカタルシスを排除しており、緩急をつけずに印象を残す、これは多分めちゃくちゃ難しいことで、それに失敗した数々の作品の屍の上に胸キュン映画の礎は立っていて、でも「Please―」はあっけなくその屍を超えていったという点にあると思う。

  贔屓目とかは置いといてどうしてもアオイ(赤澤燈)の果たしていた役割について考えてしまうんだけど、アオイは(主要登場人物が全員社会的に死を迎えることで)崩壊した世界の語り部という点で実はもっとも主人公たる役割を果たしていて、物語は語るものがいなければ断絶するというのはよくある話だけれど、アオイは語ることを選択して世界を存続させ、ある意味で世界の実存がアオイに委ねられていたというのは、とても重要なことでは、と思った。

 「帰れよメンヘラ!」を好きなときに観たくてDVD買ったんですがそれは置いといて。

 何年もエントリを読んでくださっている方にはなんでもかんでもセカイ系にするクソ女だなと思われるかもしれないんですがやっぱりセカイ系的な人間が好きなんです。監督が何を考えているのか全く調べてないのでトンチンカンなこと言っていたら怒ってほしいのですがあの「世界」の人間を全滅させずにラストシーンでアオイを出したことには絶対に意味がある。世界は続いていく。ずっと続いていく。誰がどんなに滅びろと呪っていても続いていく。その世界の呪いを一身に背負っていくのがアオイという存在である、と思った。他の登場人物には改悛の情を持つ余地が与えられた。でも唯一救済を受けなかった人間がいる。呪いは止まらない。永遠に止まらない、と思う。

 たぶん煽りで使った「ファンタジー」要素は島に行くシーンのあっけない妄想オチのことだと思うのだけれど、初見では正直脱力したし、なんなんだよって思ったけれど、裏切られた!と観客が思うことに意味があるのかな、と考える。そんなにうまくいくかよバーカ、という嘲笑にも見える。おばあちゃんを救うことが結局できなかったようにシンジとナオも絶対に救われることはないし、救済を求めた途端に奈落の底へ突き落とされる。一旦上げておいて下げることが重要だから妄想オチそのものにあまり意味は無いのかなと思ったりした。単純に観客を叩き落としたいときに「上げる」手段にそこまで盛大なロジックは必要がないということを認識してしまった。

 ものすごく好きな作品だけど、唯一、中盤のおばあちゃんの謎の踊りにはあまり惹かれなかった。全体的に冷たい映画だから少し人間の生きている気配みたいなものは感じられるけど、なくても良かったかもしれない。

 

 ここからは映画の本筋ではなく関係ない範囲へと向かってしまう(そして私はその範囲の専門ではない)のでちょっとズレるけれど、この映画で少女は「メンヘラ」と罵られ、リストカットをし、全く望ましくない世界に「私も行きたかった」と切々な語りをするのだけれど、いわゆる「メンヘラホイホイ」役を佐藤流司が演じることってものすごく自己言及的であるなと思う。

 というのも多分(誰かを褒めて誰かを下げているのではなく純粋に動員から)最もこの映画を支持するだろう中で多いとされる佐藤流司厨の層ってそういう人たちじゃないかなと思っているからだ。

 その昔、本当に昔だけど、友達に佐藤流司のファンがいた。なぜかどんどん毎日やつれていき、死ぬんじゃないかと毎日心配した。小さなきっかけで元気になったけれど当時のことを思い出すとなんだか辛くなってしまう。

 シンジ(佐藤流司)を「解釈」できる人は恐らく、メンヘラリティのある人だと思う。私も、好きじゃないけど解釈はできる。そしてシンジの存在は決してファンタジーではないし、リアルだ、と断罪できるのは、「あの世界に行きたい」と全く望ましくない世界に向かって願ったことがあるからだと思う。

彼らは、こっちの世界へ来ないでくれ、来てはだめだ、と言っていた。私は行きたかった。そこはどんなところだったのか。でも彼らは何度も言う。頼むから来るな、頼むから来てはだめだ、来ないで、頼むから、頼むから

 この映画の中で人間は二種類に分類されていて、たとえば観客、たとえば少女たちのような「壁の外側」で「騙される側」の人間と、シンジ、ナオ(佐藤永典)たちのような「壁の内側」で「騙す側」の人間がいる。 そしてこの映画には断絶のモチーフが多く登場する。アオイが待ち受ける工場跡への入り口、廃墟になった映画館のドア、レコーディングスタジオのガラス、アオイが去った先で閉まるシャッター、最後にシンジとナオが煙草を吸う切り立った壁。そしてビルの隙間から僅かに見える海。

 ナオは自分たちのいる世界を「ゴミ溜め」だと自虐するけど、外側にいる少女たちはゴミ溜めに強い憧れを抱く。壁の内側が見たい、壁の内側に行きたいと願う。アオイは軽蔑したトーンで「刑事かよ」と言うけれど。

 たとえその世界がゴミ溜めだとしても地獄だとしても向こう側に行きたい。でも彼らはそれを拒絶する。望ましくなくてもメンヘラと罵られてもいい。 そう願ったことがある人間には、きっとこの映画は刺さると思います。そんな気持ちわかんねえよって人には絶対に刺さらない。詐欺師である彼らを美化しているのだって結局メンヘラの見た世界でしかない。実際あんなに美しくないことくらいわかってる。けど、それでも「向こう側に行きたい」そう思えてしまう人に刺さる映画だと思う。

 少女が外側から壁の内側を夢見たように、シンジもナオも内側から壁の外側を夢見ていた。服屋と歌手になって、おばあちゃんの墓を建てる。お互いがお互いの世界を夢見る物語だけど、結局どちらへの憧れも幻想でしかなかったというひどく残酷な物語で、君たちは君たちのいるべき世界に生きなさい、というメッセージなのか、(シンジとナオが捕まったことで「ゴミ溜め」から脱出できるかもしれないという観客の希望に対して、作中でナオは「別のゴミ溜めに移るしかない」と全否定している)彼らはいったん罪を清算したとしてもまた罪を生み出す運命にあり、その呪いの舞台装置がアオイで、アオイだけは壁の内側と外側を両方知っている存在なのかな、と。

 俳優オタクにこの映画を見せることそのものにコンテキストが詰まっているのは、「君たちも(そこは地獄と知っていながら)壁の内側を見たいと願うんでしょ?」と(例えばアオイに)笑われているような気がすることだ、と解釈しています。それでも私は壁の内側が見たいと思う。壁の内側に行きたいと思う。不幸な結末と知っていても変わらないと思う。そこにあるのが夢じゃなくて呪いと知ってしまっても。

 

 意味がわからない人は意味がわからないと思うけど、私は絶賛したい映画。

 映画でも舞台でも、無根拠に続く幸せに「そんなわけないだろ」と思ってしまう人や、きれいに塗られた壁に対して向こう側にはゴミ溜めが広がっているんじゃないかと疑ってしまう人におすすめです。

 

 

「行けないけど応援してます」で生計は立てられない

  アイドル界隈で上記ツイートが微妙にバズっていました。「おまいつは偉いのか偉くないのか学級会」が随所で繰り広げられており、「地下アイドルのオタクが学級会してる!!」と毎日学級会を見ている俳優厨兼同人者としては微妙に嬉しくなりました。

 きわめて偏った個人的解釈であることを前置きしておきますが、若手俳優のオタク(特に愚痴垢)は「通えば通うほどえらい」「全通は神」「金落としがすべて」「茶の間は死ね」という意見を持つ人が多い印象です。

  • なぜ通えば通うほどえらいのか→お金を落とさないとコンテンツは続かない。推しは「行けないけど応援してます」じゃ飯食えねえ。
  • なぜ茶の間には死んでほしいのか→推しに貢献してないのに偉そうだし何も知らなくてかわいそう。

 という意見がまかり通っている世界で生きてきたので、当然の行く末として私は他の現場に行くときには万が一そこの現場を仕切っている厨の人の気分を悪くしたらどうしようと怯えながら行くような人間になったのですが(ある程度俳優界隈にいる人は過剰なまでに気を遣ったり鍵垢に引きこもったりしてる人多いんじゃないかな/私も推していない俳優さんに関して突っ込んだことを言うときはだいたい鍵垢でしか言いません)、地下アイドルオタクの学級会を見に行ったら「別におまいつは偉くない」という意見が結構多くてびっくりしました。

 オタクに上下を付けることに否定的な人が多いようですが、「おまいつは偉い/偉くない」の議論は別にして、推し被りと自分を比べたりすることはないのでしょうか。 これはアイドルにも俳優にも言えることですが、被りが自分より通っている、自分より長い、自分よりもお金を落としている、という現状を認識してもなお「仕切りと自分が平等」と思えるのであれば、頭がお花畑としか言えないのではないでしょうか。

 ただし、心理面から考えると、俳優に興味はなく2.5次元舞台の原作やキャラが好き/演技が好きだがパーソナリティには興味がないという人(こういう人はたいてい炎上騒ぎが起きても動じない)、アイドル本人に至って固執しているわけではなく現場や楽曲が楽しいという人は、そもそも推し被りと自分を比較するようなことがないので序列をつける機会もなく、ある意味で「平等」だと考えているのかもしれません。

 全通したりプレゼントを入れたりする目的として、自分がただ楽しいからやっているのか、それとも推しを支えたいからやっているのかという二択によってもこの件に関する見解は異なってくると思います。(しかし、ただ楽しいから行っているという人であっても「行けないけど頑張ってください」みたいなクソリプを送るのは最悪だと思います)

 この件に関して不思議なのは、「自分よりも古参の人は『自分の知らない推しを知っている』ので単純に強い」という発想に至らないのだろうか、ということで、それは妬み嫉みを生む呪いでもありますが、しかし、古参が仕切りでいられなくなる瞬間、というのはどこの現場にもあると思うのです。その過程において新規が仕切りをぶっ倒すエネルギーって「下克上」「絶対トップになりたい」「老害潰す」というものが原動力にある気がするので、「みんな平等でみんな偉い」という意見は爆発的なエネルギーを生む可能性を殺しているようにしか思えません。

 ゆるいオタクはゆるいオタクで楽しいのでそれはそれでいいと思うんですが、ゆるいオタクである以上「通いと平等に対応される権利」みたいなものは完全に捨てるべきであって(お金を使わないことと引き換えに)、そうしないと誰もお金を使わなくなってしまいます。それをわきまえている人はたくさんいて、そういう人たちはDDとして楽しくやっているのですが(そういう人まで叩くつもりはさらさらないです)どこのジャンルにもたまに全てを履き違えている人が出現するので学級会になるのですね。

 それから、「私は茶の間も偉いと思うよ!」みたいなことを(歓心を買おうとしているにしろ、無意識にしろ)言っているガッツがたまにいますが、それは煽りにしか見えないし、そういうことを言っているガッツがいたら99%煽りです。だいたい、本当に茶の間が偉いと思っているにしても、通っている人間は通っているからこそ得られている恩恵がたくさんあり、その恩恵に気づいていないにしても周囲から見れば恩恵を受けていることは一目瞭然です。特定のヲタを指してガッツなのに干されていると笑う人もいますがそもそも物凄く干され続けていたらお金を捻出して現場に通ったりしません。本当に干されている人はさっさと降ります。 通いや仕切りがそういうことを言っていても、その実、恩恵にあずかりまくってるので簡単に信用してはいけません。