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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

ガチ恋夢女子ですが推しのソシャゲのサービス終了が決定しました

 私が戦刻ナイトブラッドという微妙にマイナーともメジャーとも言い難いソシャゲを始めたのは去年の8月のことだった。始めた当初から、私は森蘭丸くんというキャラのことが本当に好きだった。

 私はいわゆる夢女子という人種なので、自分と推しが付き合っていると思い込んでいる異常者である。よって、以下森蘭丸くんのことを「彼氏」と言い出すという異常事態が発生するが、しょうがないと思って読み進めて欲しい。

 不本意ながらも中華ソシャゲに彼氏の絵がパクられたツイートが微バズりするといった形でいろいろな方面に私が蘭丸くんの夢女子であることが知られるなどという事態も先日は発生した。こちらが私の彼氏です。どうですか? 可愛いですよね。

 さて、サービス終了決定を知ったのは、24日の夕方、友人に誘われた、本件とは全然関係ない、「ミュージカル版チャージマン研!の直前トークイベント」に向かうために駅までの道を歩いている最中であった。こんな状況で彼氏の死を知るのは世の中でも私くらいだと思う。お題箱にフォロワーが「戦ブラのサ終が決まりましたよ……」というメッセージを投稿してきて、その通知で私はサ終を知ったのだ。

 私は混乱のあまり、号泣しながらツイキャスをするといった異常行動に出た。とりあえず誰かに何かを喋っていないと卒倒しそうだったので号泣しながら配信をした。といっても、サ終が戦ブラのオタクにとっていきなりの知らせ、というわけでもなく、今年8月にはメインストーリーの新規更新が停止されていたし、ゲーム内イベントにおける報酬の新規カードも以前に比べると分量が減っていた(星4カードが無くなった)ので、何となく、もうそろそろなんだろうな、長くはもたないんだろうな、という感覚はあった。それがたまたま10月24日だった。それだけのことだ。

 それでも泣いても泣いても涙が止まることはなかった。

 ツイッターを開くと、身内が一様に私のことを心配している謎のタイムラインが発生していた。どうやら皆、戦ブラのサ終のニュースを見て私の精神状態を心配してくれているらしい。大丈夫? と訊かれたが大丈夫なわけはない。彼氏の新規供給が無くなることが決定したのである。大丈夫なわけはなかろう。死にそうである。私は身内たちに助けを求め、「彼氏のサービス終了が決定しためりぴょんを励ます会」が新宿東口の土間土間で緊急開催される運びとなった。結果的に10人くらいが集まってくれた。こんな機会に思わぬところで「意外と私には友人が多かったんだな……」と有り難みを感じることになった。できればこういう機会でなしにありがたみを感じたかったが……。

 私は夢女子なので、自分の中に完全に「彼氏との妄想世界」を構築しており、サービスが終了したからといってその世界がすぐに壊れてしまうわけではない。けれど、公式からの新規供給が無くなるということは、私の持つ妄想世界を裏付けする材料が、これ以上は新しく生まれないということであり、時間が経つごとに、世界が脆く、壊れやすくなってしまうような気がして、それがとても怖くて泣いていたのだ。

 新宿は雨が降っていた。私は映画「天気の子」を思い出した。ヒロインを救うために、東京に雨が振り続けても構わないと願った主人公の気持ちが私にはよく解った。蘭丸くんのいない世界なんてクソなので、もう滅びてしまっても構わないと思った。正直言うと、もう何もかもがどうでもいい。消費税増税とか、地球温暖化とか、本当にどうでも良くなってきて、今すぐ日本が滅びればいいのになと思った。記憶を失うまで泥酔したいという強い願いがあったので、ひたすら酒を飲んでいたのだが、茶割りの缶を片手に身内と新宿の交差点で信号待ちをしていたら、全然知らない男にナンパされ、「どうしたの?なんでそんなに荒れてんの?」と言われたので「彼氏が死にました」と返しておいた。ナンパ男は困惑して、「えっ……それマジなの? マジだったらヤバくない?」と言っていた。可哀想。

 身内が少しずつ土間土間の座敷に集まり、雑な感じの飲み会はその後カラオケに場所を変えて朝まで続いた。皆「ご愁傷様です……」などの優しい言葉をかけてくれたが、身内は全員身勝手なオタクなので、その後すぐに「○○くんがね~~~!」と地下アイドルの話を始めるため、私は「うるせえ! 推しが生きてる奴はいいよなあ!」と暴れたりしていた。ごめん。あと、鬼滅の刃の伊黒ナントカさんの夢女子は、「推しが大正時代に生きてるよりはマシだろ」と怒っていた。なんでお前が怒るんだよ。いいだろまだ死んでないんだから。

 私は酒を飲みまくり、意識を曖昧にすることだけに全エネルギーを注力していた。正気に戻ってしまっては困るからだ。曖昧な意識の状態で、蘭丸くんと私の思い出を振り返っていた。夢番外ガチャ……イベント……ストーリー……。思い返してみるとそもそも供給が少なかったジャンルなのでたいした思い出もないといえばないのだが、それでも私にとってはひとつひとつが愛しい思い出だった。悲しくなりそうになるとまた酒を飲んで気を紛らわした。

 二次会でカラオケに行き、杏里の「悲しみがとまらない」を歌ったら、「彼を返して 悲しみがとまらない」という箇所で爆笑が巻き起こり、恐らく私のカラオケ人生で一番ウケた。そして、戦ブラのサービス終了がクリスマスなので(人生最悪のクリスマス)、山下達郎の「クリスマス・イブ」を歌って「きっと君は来な~い~」という自虐ネタを繰り出すなどの悲しい道化オールナイトを過ごした。彼氏の死が決定した人間が体を張って自虐ネタをやると死ぬほどウケるのでおすすめです。まあ彼氏が死なないのが一番いいのですが。

 余談だが、なぜかクリスマスソングの定番のようになっている山下達郎の「クリスマス・イブ」は、「きっと君は来ない」し「一人きりのクリスマス・イブ」だし、冷静に聴いてみるとむちゃくちゃ悲しい歌なのに、なぜクリスマスが近くなると街中で流されているのか永遠の謎である。縁起でもないだろ。

 そして私は何を血迷ったがOfficial髭男dismの「Pretender」を入れるなどの体を張った失恋芸に走ったのだが、Aメロの「君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った」あたりから号泣してしまい、身内の皆が合唱してくれるという優しく感動的な展開が訪れた。ありがとう。

 朝までカラオケで発狂し倒し、私の気はどうにか紛れたのだが、朝6時の電車に乗り込みひとりになると、途端に「彼氏のソシャゲのサービス終了が決定した現実」が猛威を振るいながら私に襲いかかり、あまりの悲しさに涙を流した。

 エゴサしたのですが、「蘭丸くんの夢女の人、大丈夫かな?」などと心配してくださった皆さん、ありがとうございました。大丈夫ではないですが、もう仕方がないので、何とか生きていきます。

 

 自分勝手ですが、ソシャゲの、まあソシャゲに限らず万物の――夢女に伝えたいと思うことを書きます。

 彼氏の更新があるというのは幸せなことなので、いまを幸せに元気に生きてください。

 まあ、それだけなんですが。

 

 私はこれまで、大好きなコンテンツとの別れを何度も経験してきた。大好きなラノベの著者が亡くなったことも、ヒーロー番組の放映が最終回を迎え、戦隊が解散したこともあった。だからすべてのものはいつか終わる、いつか別れなくてはならない日が来るという観念が自分の中にあり、ショックを受けたって仕方がないという考えもあったりした。

 けれど、いざその日が来ると、悲しいものは悲しいし、どうしたらいいかわからなくなってしまう。12月25日にゲームはサービスを終了するそうだが、その後の私の毎日というものが、どうにも想像がつかなくて、なんだか困ってしまうのだ。ログインしない毎日、彼氏のカードを眺めない毎日、ガチャ解禁を待たない毎日。

 幸いにも私のフォロワーは狂っているので、「らんもえ(※勝手に作り出した彼氏と私とのカップリング名)はこれで永遠ですね」などの狂ったお題箱をたくさんくれて、確かにそうだな~と元気が出た。元気を出すな。私が蘭丸くんのことを想い続けている限り、この関係は永遠なのだが(妄想なので)、けれどいつか、私が蘭丸くんのことを「忘れることができる」日が来ることが今は怖い。できるだけ早く忘れたほうが私にとっても幸せなのはわかっているので、「忘れることができる」という表現なのだが――蘭丸くんはもう、コンテンツから私が離れたって「待っていてくれる」わけじゃない。終了しているから。いつでも私の帰る場所があるわけじゃない。無いから。だから私が忘れた途端に、なんだか全てが消滅してしまいそうで怖いのだ。

 

 ちなみに、戦刻ナイトブラッドは「マイネット」という、私が勝手にソシャゲホスピスと呼んでいる会社に譲渡されて約1年でサービス終了決定を迎えた。

 マイネットは多分大手の会社で採算が取れていない感じのソシャゲを引き取って少ないコストで運営しながら利益を出すようにがんばり、どうしてもダメになったらサ終する、という形態のビジネスをやっている会社である。限界ソシャゲ界隈には「マイネット送り」という言葉があったりもする。

 けれど私は、マイネットに対しては感謝をしている。戦刻ナイトブラッドと似たような扱いを受けていたマーベラス開発の乙女系ソシャゲに「千銃士」があったのだが、そちらはマーベラス本体に残り、戦ブラよりも早い終焉を迎えたので、延びた分はマイネットが頑張ってくれたんだなあと勝手に思ったりしている。何も知らんけど。末期に至るまで、蘭丸くんのカードを出してくれてありがとうございました。色紙プレゼント企画という最期のありがとうキャンペーン的なやつも催してくださりありがとうございました(当たった)。

 戦ブラで遊べて幸せでした。

 いつかは忘れてしまうけどね。

 

BYE-BYE ボクらの キミとボクとが 出会った何か

BYE-BYE ボクらの キミとボクとが 作った何か

BYE-BYE ボクらの キミとボクとが 思った何か

BYE-BYE ボクらの キミとボクとが 行ったとこ

――有頂天「BYE-BYE」

 


[PV] 有頂天 - BYE-BYE

 

#もえのシチュCD修行 その4<ミッドナイトキョンシー 第六ノ封印 色芭>

 

カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー」 第六ノ封印 色芭 CV.木村良平

カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー」 第六ノ封印 色芭 CV.木村良平

 
カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」 第参ノ封印 色芭 CV.木村良平
 

 

 いや~~~シチュCDって本当にいいもんですね~~~~

 

 回ごとに異様にテンションが違うことでお馴染み、シチュエーションCDレビューも今回で4回目を迎える運びとなりました。本当に同じブログ? 賢明な読者の方であれば、そろそろ私のテンションからツボだったかそうでないかがわかる頃合いではないかなと思います。今回は相当ツボだったCDの話をするので冒頭からウキウキです。当たりを引いたときの風俗レビューブログの中の人ってこんな気持ちなんだと思います。もう私は日ピン研を笑えません。

 このCDが本当に好きすぎますし、私がNASAの偉い人だったら、ボイジャーのゴールデンレコードに「ミッドナイトキョンシー 第六ノ封印 色芭」と「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯 第参ノ封印 色芭」を収録すると思います。仮に遠い未来、地球が滅亡しても新しい文明にこのCDを届けたい。あとフォロワーに勧められた作品をただただ聴いているんですが今のところすべてRejet作品なのがヤバすぎる。オタク女は若手俳優や地下アイドルを経て最終的にRejetにハマるな。

 さて皆さんは気だるげなヤンデレの美少年は好きですか?

 私は大好きです。

 「ミッドナイトキョンシー」と「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」は合計2時間ぐらいの作品なのですが、本作を聴いたとき私はシラフではありませんでした。ハイプロンを3錠ほど飲んで楽しくなった状態で再生したのですが、なぜか色芭くんの声とハイプロンの相性が異常に良すぎるせいでドンギマリ最終的に号泣していました。夜中にシチュCDを聴いて涙を流す成人女性、怖すぎる。犯罪。ハイプロンは決して怖いドラッグではなく、個人輸入で購入できる、飲むと妙にシャキシャキして楽しくなってしまう眠剤なのですが、ここまでキマったことは過去に無かったので普通に怖くなりました。なぜ異常にキマってしまったのか翌朝冷静に分析してみたのですが、恐らく色芭くんの声の浸透性が私の脳に対してやたら高かったんだと思います。浸透性の高い声って何?と思った人は試聴してください。

 気だるげで色素の薄いヤンデレの美少年というだけで私にとっては役満なのですが、全体的に脳に対して異常に効くのでシラフで聴いても相当キマります。こちらを終始洗脳してくる色芭くんの語りかけが非常に良いです。何でこんなに脳に効くのかは不明です。

 「ミッドナイトキョンシー」の前半ではデレる前の色芭くんが存分に堪能できるのですが、これがなかなか良くて、イライラして部屋中の家具を破壊した色芭くんがこちらに対して「君の存在価値ってなんなの?なんのために生きてるの?」などの相当洗脳度の高い罵倒を繰り出してきます。何度でも聞きたい罵倒。大好きですね。「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」では学校に行かない色芭くんに強要されているのか気づいたらヒロインが不登校になっており、ヤバい共依存の極みといった感じで相当良いですし、学校に行かずに喫茶店でチェリーパイを食べるというめちゃくちゃエモい展開には意図せずとも引きずり込まれを禁じ得ません。なんでこんなにエモいんですか?

 個人的に号泣したのは「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」のトラック5なのですが、色々あって狂気の淵に落ちてしまった色芭くんが廃墟に火をつけ、燃え盛る炎の中で語りかけてくるという良すぎる展開。パニック状態に陥った色芭くんのやたら脳に効く混乱度合いとか、ヒロインのことが好きすぎるあまりに狂ってしまっている色芭くんの、ガチ恋経験者には妙に刺さる語りが涙を誘います。シチュエーションCDのキャラの気持ちがわかりすぎて泣いたのは初めてです。ヒロインに抱きしめられた色芭くんの「本当、嫌になるよ……これだけで気持ちが落ち着くなんて」という呟きとかリリックが冴えすぎているとしか言いようがありません。脳に効く。色芭くんは完全に無意識下なのでしょうが、「もうどうする気も起きない……生きる理由もないもの、だって君に愛されないんだから」「君に愛されないなら消えたほうがマシだし、俺を愛してない君なんて生きてても仕方ないよ」とか、感情をリリックにする能力が冴えまくっています。もっとも、キョンシーなので色芭くんは既に死んでいるのですが……。

 本作を完走するためには色芭くんの暴走特大ガチ恋感情を終始受け止める必要があり、正直言うとめちゃくちゃハードなのですが、気だるげで色素の薄いヤンデレ美少年が好きな人は是非聴いてほしいですね。洗脳の純度が高いので、「君が何かを考える必要はないよ」とか言ってくるのが最高ですし。恐らくドラッグとの親和性が異様に高いのはそういう思考を放棄させてくる発言が散りばめられていることが要因だと思います。全体的にめちゃくちゃエモいのでメンヘラ女の皆さんには是非聴いてほしい。あと健康保険を適用してほしい。絶対に電気けいれん療法よりも効くので…………。

#もえのシチュCD修行 その3<大正偶像浪漫 帝國スタア 参番星 参邇>

 

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

 

(ネタバレを含んでいます)

 

 近代以降における日本の歴史は、発展の歴史であると同時に災害の反復の歴史であるということはもはやここで詳述するに足らないであろう。先日、「TOKYO2021」美術展を観に行った。キュレーションを担当した黒瀬陽平氏は、戦後日本の「災害と祝祭の反復」についてこう述べている。

つまり、この国の祝祭はいつも、災害に先行されている。災害が繰り返すからこそ、祝祭もまた繰り返されるのである。この認識を抜きに、祝祭について考えることはできない。

このような繰り返しを、災害大国であるこの国に宿命付けられた「忘却と反復」であり「もうひとつの永劫回帰」なのだとする歴史観もある(「悪い場所」)。しかし、今まさに眼前で繰り広げられようとしている忘却と反復のなかで、「宿命」に抗い、反復の外へ出るための術を模索することこそ、芸術の「使命」であるはずだ。 https://www.tokyo2021.jp/bizyututen/

 本作が発売された2014年は言うまでもなく東日本大震災の3年後であり、また作中では関東大震災が大きなターニングポイントになっている。ヒロインを「不細工」と罵り、泥水を飲ませる攻撃的メンヘラの参邇はDisc2において最終的には穏やかな形でヒロインとの恋愛的コミュニケーションを成立させるのだが、その大きなファクターとなるのが関東大震災だ。

 関東大震災を「萌え」のために、いわばギャルゲーのイベント的に消費する、つまり学園系恋愛シミュレーションゲームにおける文化祭や卒業式と同等に消費する態度が本作の中では顕著にみられる。そのような態度は一見すると不謹慎にも感じられるだろう。しかし日本人と「萌え」の歴史において、この「萌え」消費の形態はまさしく反復であり、例えば終末妄想ともいえるであろう「セカイ系」消費が日本のサブカルチャー界で成立していることがそれを示している。痛々しい災害の記憶さえも「萌え」に転化する態度の浸透は、映画「君の名は。」がヒットしたことにも現れている。

 東日本大震災の3年後に、関東大震災というイベントを攻略キャラの改心のためのファクターとして消費する態度はまさしく反復であり、また「震災以後」のサブカルチャーの気分を端的に示す興味深い例だ。

 また、本作においては参邇のメンヘラリティが全面に押し出され、特にDisc1においては参邇が暴虐の限りを尽くしている。個人的にDisc2は参邇が徐々に正気に戻っていくのであんまり好きではないのだが、それはともかくとして、参邇の生育歴からくる不幸、売春行為、養父からの虐待といったテーマが、大正時代を舞台にしているものの、現代とあんまり変わらないためにこれもまた反復になっていることが非常に興味深い。

 参邇はヒロインに構ってほしいために、瓦礫の下敷きになったと嘘をつく等の「試し行為」を繰り返し行う。彼は非常に境界性人格障害っぽい言動と行動を取る。このメンヘラリティが持つ"気分"はあまりにも現代的だ(決してリアリティの欠如と批判したいわけではない)。

 この参邇の不幸が持つ"気分"がどうして現代的に感じられるのかといえば、参邇の語りが極端にリアル系ケータイ小説のようだからだろうか。参邇を心配し、華族相手の援助交際(と定義していいのかは不明だが。どちらかといえば「パパ活」に近いだろう)を辞めるように説得するヒロインはまるでケータイ小説に登場する諭し役のようである。本作ではその不幸気分さえも萌え要素として消費するに至っている。

 災害、攻略対象の不幸、そして最後に萌えにおける問題の重なりがみられるポイントが擬似家族の構築である。「家族」は繰り返し、萌えコンテンツにおける大きな問題として取り扱われてきた。さまざまなフィクションの中で本物の家族を作れない者たちは擬似家族の構築というかたちで「家族」にありつこうとする。(ゲーム「家族計画」などはその顕著な例である)

 本作において最後に参邇は不幸な子供たちを救うために「孤児院とはいえないまでもそういうもの」を設立し、自らが「父さん」になり、ヒロインを「母さん」にしようとする。この異様さは作中前半~中盤における暴力と試し行為によってやや霞んでいる感があるが、文に起こしてみるとかなり怖いことがわかる。参邇はメンヘラリティを抱える中で最後に擬似家族への憧れに辿り着き、震災後、崩壊したセカイの中でヒロインとの擬似家族を作ることで自らの居場所を再構築しようと試みる。その心の動き自体は平凡なもののように思えるが、しかし作中前半~中盤における参邇の態度がかなり異様なものであるため、急な感は否めない。とにかくシンプルに怖い

 萌えコンテンツは繰り返し「災害」「不幸」「家族」というテーマに対峙してきたが、シチュエーションCDという形態における左記のテーマへの向き合いの臨界点が本作であるように私は感じた。

 あとキャストトークにおける梶裕貴さんの態度が参邇に対して「難しいところでした……」という感じなのが一番面白かった。素直すぎる。