I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

獣電戦隊キョウリュウジャーが普通に面白い

 こんにちは!散々トッキュウジャーの話をしておいて何だよという感じのタイトルですが、先日から獣電戦隊キョウリュウジャーを見始めました。

  そもそもはトッキュウジャーの全国ツアー及び関連イベントも終わり、特に大きな生き甲斐もなく毎日抜け殻のようになって実家の床を這いずり回ったり野々村洸くんに似たホストを必死に探したりしていたところ見かねた友人が「とりあえず見てみなよ」という励ましと共に本編Blu-rayVシネマ「100YEARS AFTER」のDVDを貸してくれたことがきっかけでした。

  ぶっちゃけ野々村洸くんへの信仰心が強すぎるあまり、トッキュウジャー期間中は他の特撮に手を出すことを自制していた側面もあったので、まあいいか、と見始めてしまったのです。

  しかし何を思ったのか、普通は本編のBlu-rayを視聴し一通り見終わってから視聴に移るべきである「100YEARS AFTER」を最初に見てしまいました。

 前提条件として私はきちんと戦隊を見たことがトッキュウジャー以外に無く、恐らく特撮ファンの方ならご存知なのでしょうが、トッキュウジャーはものすごくキャラのおとなしい戦隊なのです。主要な移動を共にするメンツは幼馴染5人+人外+車掌、パペット、ロボット。敵は人間と怪人幹部たちで、「乗り換え」などの要素はあるものの幼馴染5人全員が実は子供であるということを除けばそこまでぶっ飛んだ設定は登場していません。実は子供なので5人とも結構おとなしいし、明くんは死に場所を探していたものの当初よりギャグキャラ寄りの扱いでした。

 いきなりキョウリュウジャーを見るには少々免疫のない状態であったと言えるでしょう。

 

ここまで設定を詰め込んでおいて破綻していない

  いやホントこれに尽きるんですけど、キョウリュウジャー全員キャラ濃すぎ。最初ちょっと引いた。OPの最初の歌詞が「俺たちは無敵のスーパースター」ですよ。子供戦隊のヲタクがいきなり視聴開始したらお、おう……ってなりますよそりゃ。

 最初に「100YEARS AFTER」を視聴した時点で既に映画「列車戦隊トッキュウジャーVSキョウリュウジャー THE MOVIE」は視聴済みだったので、一応の予備知識はありました。

  • ゴールドはネタキャラ
  • ブラックは超チャラい
  • 緑の子は人見知り
  • 赤い人は多分ピンクの子のこと好き

 薄っぺらかよ……。トッキュウジャーファンとしてはこの程度の印象しか残らなかったので、いまさら思い返してみればVS映画でのキョウリュウジャーの扱いはちょっと微妙だったんじゃないかなとも思ったりします。途中昏睡状態だし。作戦の主軸は当初キョウリュウジャーにあったけど結局はトッキュウジャーの面々が突入作戦してますしね。

 そんな予備知識で視聴開始した「100YEARS AFTER」はとにかくわけがわからなかったです。黒の人、めっちゃギター弾いてるし。ゴールドのキャラ崩壊してるし。赤の人超ヘタレになってるし、ていうか116歳の立風館ソウジさん強すぎだし……。

 しかし、作品全体に驚異的な勢いとスピード感があったのです。ぶっちゃけこの勢いも、スピード感もトッキュウジャーでは体験したことのないものだったので私にとってはかなり衝撃的でした。あと敵のビジュアルがあまりにもカラフルなので、鈍い色を基調としたトッキュウジャー敵幹部に慣れていた私はかなりビビりました。こんなファンシーな雰囲気の敵、果たして許されていいのだろうか……?

 Vシネマの視聴が終わり、Wikipediaでざっくり予習復習しつつ本編視聴開始。

異年齢共存戦隊

 特撮に関してはトッキュウジャーを見ただけの人間なので「なんでお前は今更それに気づいてるんだ」ということを以下連発します。すみません。

 まずこの人達年齢違うんだ……という点からして衝撃でした。32歳の自営業と16歳の男子高校生が同じ戦隊に所属している。マジか。トッキュウジャーは5人全員同級生の幼馴染、明くんは人外なのでノーカン*1です。「年齢の違いからくる人間関係の描写」というストーリー展開になるのがもう斬新すぎる。

    1. 世界中を旅してきたフリーター・20歳(自称キング)
    2. 遊び人の外国籍考古学者・23歳
    3. 妹と姪を養う自営業・32歳
    4. 剣道の家元で育った男子高校生・16歳
    5. アメリカ育ちのお嬢様・18歳
    6. 戦国時代の侍・29歳

  この6人が全員同じ戦隊の主要メンバーってよくストーリー破綻しなかったよな……というのが正直な感想です。味方の司令官、鳥だし。関根勤に操られるパペットやウサギの着ぐるみに受けた衝撃は鳥の司令官に比べれば大したことなかったのかもしれません。

 そう考えるとトッキュウジャーは結構地に足の着いた話だったんですよね。イマジネーションの概念についても「子供たちの想像する力、夢、希望」というある程度言語化された解説がなされているし、「大人になると失ってしまう何か」をエネルギーにする、という設定は古くから日本におけるオーソドックスなものです。魔法少女モノに「大人になってしまうと変身できない」っていう設定多くないですか?トッキュウジャーの変身が真に大人で代用可能なら「トッキュウジャー」の5人はそもそも生まれていないはずですし……。

 それに引き換え「ブレイブ」って一体何なのでしょう?

 キョウリュウジャーの力の源であり、ブレイブを獣電竜に認められる事でキョウリュウジャーへの変身が可能となる。弥生曰く「共に燃え上がり、絶望を乗り越える人間の魂」。

 なるほど。

 なるほどとしか言えない自分の語彙力が悔しいです。キャラの濃い上にファンタジーとリアリティが崩壊ギリギリのラインで共存した設定を持つ主要メンバー、ざっくりした「人間の魂」なる概念の力の源。ここまでメチャクチャなのに普通に面白いのがとても悔しいです。

 確かにトッキュウジャーにもファンタジーとリアリティ併存の味わいはありました。子供が大人になっていたり、乗っている列車は子供にしか見えなかったり。でもそれらの設定って、子供の頃に誰もが一度が考えたことがある、ある種の「子供にとっての現実」なのです。子供視点だと真っ当な地に足の着いた話であり、「大人はそれを理解できない」ことそのものがトッキュウジャーのメインテーマになっているのです。

 ですがなんかもう、キョウリュウジャーはそういうロジック的なものを全て超越しています。そこに何かがあるとすれば、それは圧倒的な勢いです。

なぜ戦うのか

 トッキュウジャーの変身根拠は「与えられている」 という点が大きな特徴です。彼らはそもそも、自分から望んで戦隊になったわけではありません。故郷が襲撃され、目を覚ましたら戦隊になっていた。目の前に悪い奴らがいるから戦っている、故郷を探して旅をし、正義と使命感で戦っているけれど「そもそもなんで俺たちは変身ヒーローになったのか?」という根本的な疑問への答えは第32駅という中盤にならないと明かされません

 シャドーラインは倒さなくてはいけない存在だし、故郷に帰りたいけど「何があったのか」という経緯については思い出せないまま、という状態が実のところトッキュウジャー本編の2/3以上を占めていたのです。戦隊ヒーローにおいてかなり大切な「動機」の部分を中盤まで明かさない。トッキュウジャーは受動的な、漠然とした不安を抱えた戦隊、と私は形容していますが、彼らが子供であること以上にこれが原因なのではないかと思います。

 それに比べてキョウリュウジャーは単純明快です。トッキュウジャー本編で放置されていた「動機」は第1話で語られます。「敵軍が復活した。戦隊を作るのは自分の夢。この恐竜が君たちのことを認めたから、君たちは戦隊になって戦ってくれないか」*2という内容。「戦隊になる/ならない」という選択肢を考える際にきちんと本人の意志があり、それはガブティラに認めてもらおうと奮闘するキングの行動に明確です。

 キョウリュウジャーは能動的な戦隊なので、彼らには一応「戦隊ではない」という場面も存在します。普通に日常生活を送っていて、それぞれに仕事や学校がある。トッキュウジャーには「戦隊」以外の生活が存在しません。故郷に戻ること=普通の日常生活を送ることが戦う目標なので、どっかしら雰囲気がほの暗い、というのも頷けます。

 もっと根本的な問題を言ってしまえば、トッキュウジャーって戦災孤児なのです。故郷を解放すれば街は元に戻り家族とも会える、という説明は成されているものの、現に故郷はなくて家族と会えないので「そもそも故郷は見つかるのか?解放できるのか?故郷を解放すれば本当に家族と会えるのか?というか家族と会えても自分たちは子供に戻れるのか?」という不安を抱えながらの旅を描写した1年間でした。トッキュウジャーが泣けるのって子供である5人がそういう重圧全てと戦いながら成長していく物語だからだと思うのです。十五少年漂流記みたいな。

 キョウリュウジャーとトッキュウジャーは同じ戦隊ですが、そもそも前提条件が違いすぎて「戦隊」という先入観で視聴して度肝を抜かれています。

 

戦隊内での人間関係

 キョウリュウジャー露骨に仲間割れする描写が平然と出てきます。イアンとソウジとか。最終的に仲良くなるんですけどね。私は最初めっちゃビビリました。トッキュウジャーは序盤ですらさほど露骨な仲間割れはしないままにストーリーが進行しています*3。「ギスギスと喧嘩はシンメの華」というジャニヲタの名言もあるのでやはりベストコンビの形成に喧嘩は必要不可欠な要素ではあるのでしょうが、戦隊でもそういうのあるとは思ってなかったので正直寝起きにボディブロー喰らった気分です。

 トッキュウジャーのキャラ造形は(決して否定的にではなく)記号的な側面が強かったことが私にキョウリュウジャーでの衝撃を与えたのかもしれません。自由気ままで猪突猛進な食いしん坊、賢いけれどどこか抜けているメガネキャラ、しっかり者のお姉さん、クールな一匹狼、可愛らしくて夢見がちな妹キャラ。10年代版藤子・F・不二雄式キャラ配置とでも形容したくなる記号っぽさです。予め規定された範囲の中でキャラクターが動き、ストーリーを組み立てていく。

 キョウリュウジャーはストーリーを組み立てていくというよりぶち壊すという表現が妥当な勢いです。あんな強烈な6人どうやって記号化すれば良いのでしょう。主要メンバー全員に痛いほど鮮やかな背景ストーリーが設定されていて、洪水のような勢いの中でそれらが描写されていく。

 

規模の壮大さ

 実のところ、キョウリュウジャーの物語のあまりの壮大さについてはトッキュウジャー本人たちもVS映画内で言及しています。キョウリュウジャーが負傷してしまい残された戦力がトッキュウジャーだけになった状況で、ハイパーレッシャーターミナル屋上でトッキュウジャーが集合し、翌日に控える最終決戦について話し合う場面です。

トカッチ:「僕たちだけで倒せるかな……… あ、ごめん!…倒せるかどうかじゃなくて、倒すんだよね!…なんか、武者震い、っていうか……」

ライト: 「……みんな一緒だよ、怖いのは」

トカッチ:「ライト……」

ライト: 「なにしろ、地球が壊されるかどうかだもんな。……でかすぎる、っていうか……」

ミオ:  「今までは、駅を一つ一つ、守ってたんだもんね」

ヒカリ: 「……それで精一杯でしょ、俺たち」

 すごい感動シーンなのですが、キョウリュウジャー視聴後に改めて見返してみると「そりゃそうだろ……」という感想になってきます。地球、いや宇宙規模で戦いを繰り広げていたキョウリュウジャーの世界観にいきなりトッキュウジャーが放り込まれればそうなるだろうな……、と。

 トッキュウジャーは、謂わばロードムービーです。ハンディカムで撮影された子供たちの旅の記録。しかしキョウリュウジャーは、ファンタジーなのです。ずっと一緒に旅をしてきた仲間たちだけの力で敵である闇の皇帝・ゼットを倒したトッキュウジャーとは対照的に、キョウリュウジャーの最終決戦はそれまでの四十余話で関わったさまざまな人間を巻き込んでの一大スペクタクルが展開されます。全地球の救済がキョウリュウジャーの手に託されるという超ぬるま湯に浸かっていたトッキュウジャーのヲタクにはあまりに重い展開が繰り広げられます。

 物語のスケールと感動のスケールは比例するのかもしれませんが、とにかくなんかもう泣けます(語彙が弱い)。トッキュウジャーが愛でる物語だとすれば、キョウリュウジャーは気圧される物語です。

 

超個人的な話とまとめ

  立風館ソウジくんのキャラ造形が好きです。すみません浮気して。でも好きです。

 まず「男子高校生」という単語に反応してしまうバカな脳みそを持っているので、「クリームソーダが好きで機嫌悪そうにしてるけどたまに笑う恋に鈍感なツンデレ男子高校生(剣道強い)」という属性だけでもうお腹いっぱいです。世間より2年遅れてやってきた波ですが、しばらくは強き竜の者たちが紡ぐファンタジーに溺れたいと思います。

 トッキュウジャーは6人まるっと好きだったのですが、やっぱり野々村洸くんへの強烈な崇拝精神で視聴していたので、キョウリュウジャーに対して「特に誰に対しても傾倒せず、制作側の意図した通りに面白い!すごい!とただ楽しむだけ」というオーソドックスな見方をしている自分がなんだか不思議です。

 

獣電戦隊キョウリュウジャー 変身銃 ガブリボルバー

獣電戦隊キョウリュウジャー 変身銃 ガブリボルバー

 

 

 欲しくなって検索したら超高騰してて笑った。

*1:元シャドーなので人間としての常識が欠けており、現実世界ではトッキュウジャーの5人たち以下の知識である描写も多いので年上ではあるものの違和感はなかった

*2:こう書いてみると、レインボーライン総裁は本人たちに無断でトッキュウジャーを大人にして戦わせておきながら中盤で突然解雇宣告をする、というクズとも取られかねない行動をしているので賢神トリンはやりたいことが明確で良い上司ですね

*3:明の加入を巡るライトとヒカリのやり取り等はあったものの、シャドーへの不信感から来るものでヒカリがライトを嫌悪していたわけではなかったので根本的に違う気がする