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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

トッキュウジャーが解散した

 ファイナルライブツアーの千秋楽が終わって1ヶ月と約2週間が経った。飲んではいけないから、と思ってなんとなくやめていたお酒も自堕落に再開し、「ツアーが終わったらきちんと学校に行く」なんて言っていたけれどなにをする気力も起きずだらだらと毎日引きこもったり、気紛れにバイトをしてみたり買い物をしたり、睡眠と飲酒と甘いものと消費行動だけが全てを占める生活を送っている。

 服を買っても着ていくところが特にない、というのはとても悲しい。悲しいと同時に、追っかけに全てを捧げてしまったあまり対象が消えると同時に自分のアイデンティティも消える、という本末転倒な事態になっているのを確信した。本来であれば自分の生きる理由というのは自分自身に見出すべきであり、決して生きている理由を他者に委ねてはいけないはずなのだけど、うっかり委ねてしまったのだ。それはとてもよろしくないことなのだと理解していたけども、依存的に傾倒してしまったのでもはや止める術がなかった、悲しいけど。

 私は美少女ではないし、世界は救えない。セカイ系のヒロインになることはできない、ということに気づいたのがいつだったか、中学生の頃だったかと思うけれど、とにかく誰かを決して救えないことに気づいている。誰かを救える存在である野々村洸に、憧れたんだと思う。ヒカリくんはこんな世界の破滅を止めてくれる私にとってのヒロイン的なヒーローだ。記号であり、救済だった。

 

 烈車戦隊トッキュウジャーというコンテンツが私の人生に及ぼした影響はとても多大なものだった。ずっとジャニヲタだった私にとって、そもそも戦隊にイケメンが出ているということ自体をはじめて知ったし、そのイケメンにここまで深入りするとは思っていなかったからだ。

 元々鬱病を患っていたので、楽しいことがないと概ねの時間鬱屈としてしまう日々を送っていたのだけれど、ちょうとトッキュウジャーを知ったときはそういう時期だったんだろうと思う。

 トッキュウジャーは底抜けに明るかった。まるでそれは徹夜明けの陽射しのようで、年中引きこもりの私には眩しかった。子供向けのコンテンツだと理解しつつも真剣にハマってしまったので、だんだん自分も子供になってしまったようで、実際イベントに通いつめているうちに自分の内面も子供っぽくなっていっているのを感じたし、今感じている孤独は子供のメンタルが急に大人の世界に放り出されてしまったから、なんだと思う。

 しかし子供に許されて大人に許されないことは、ただ無為に消費を続ける、ということだと私は思う。でも子供向けコンテンツなので、トッキュウジャーは無制限に消費だけが可能なつくりになっていた。なんの整頓も、アウトプットもせずにただただ消費を続けてしまった結果の成れの果てがこれだ、と私は平日の昼間にベッドで横たわりながら思った。それをヒカリくんのせいにするつもりは別にないし、横浜流星くんのせいでも決してないけれど、でも私は精神的に未熟で他者に原因を求めてしまうのでときどき深夜にたまらなくヒカリくんが憎くなる。すぐ冷静になるけれど。今こうして文章にできているから、多少はその憎しみも軽減されてきた。

 

 思春期を迎えてから毎日、死にたい死にたいと思っていた。生きていても、楽しいことはあれどそれ以上の苦しみは襲ってくるし、結局私という人間はなぜこの世に産み落とされてしまったのかとか考えてしまう。

 死のうと思ったことも死のうとしたことも人生で複数回ある。胃を掃除機で吸われたり閉鎖病棟に1週間居たり車に轢かれたり、こう書くと私は非常にバラエティに富んだ自殺未遂を経験している。そのたびに主治医には怒られたけど、死にたい、という衝動が沸きあがってくるとき結局誰も止めてくれる人はいない。

 トッキュウジャーを好きになった私は、イベントに行き始めてから千秋楽の日まで、一度も死にたいと思わなかった。安定剤も減ったし、薬なしでも眠れるようになった。トッキュウジャーがあまりにも、底抜けに明るすぎて、死ぬ気が起こらなかった。遊園地にいるときになぜか寂しくないのと同じ論理だと思う。むしろ、生きてやる、と思っていた。たぶん、人生においてとても珍しい感情を抱いている期間だった。来週の公演まで絶対生きてやる、という衝動の繰り返しで、立ちはだかる何かを全力でなぎ倒しながら進んでいった。

 少し私という人間は明るくなった。継続的なナチュラルハイだと形容すべきだろうか、毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。生きていることがこんなに楽しかったのはベビーベッドの中にいた乳児の時期以来だろう。

 トッキュウジャーは結局私にとっての麻薬でしかなかったので、すべての麻薬が切れてしまった今とても苦しい。ヒカリくんを追いかけることで、嬉しい苦しい悲しい楽しいというたくさんの感情を得る「つらさ」があったけれどそれ以上に苦しいのは、虚無だ、と思う。トッキュウジャーに感情を引き出してもらうことに慣れきり、他者に自分の感情をずっと委ねている生活が続いた後に何もない世の中に放り出されてしまった今、受動的にしか笑うことも、泣くこともできなくなって、ひとりだけだと何の感情も沸いてこない。 

 

 思考がうまくまとまらない。こんなことを長々と書いてもトッキュウジャーはもう戻ってこない。時間を巻き戻して去年の春からまたやり直したい。エンドレスエイトのように、たとえば千秋楽を泣かずに迎えるというフラグが立つまで抜け出せないループだとしても、無限に2014年4月から2015年4月までを繰り返していい、毎ループ全力でヒカリくんのファンをやろう、と思う。

 もうすぐファイナルライブツアーのDVDが出る。怖くて見たくないという気持ちのほうが強い。あの終わりは実は夢で、本当は今日もどこかでツアーをやっているんじゃないかという感情がある。知らない場所のどこかの子供が、トッキュウチェンジャーを細い腕につけて、両親に手を引かれて、チケットをもぎられる。

 無限に続いていく日常が私の知らないどこかにあるのではないか、という無根拠な不安に襲われることが多い。少し、整合性のとれた思考が失われてきている感じもする。

 ヒカリくんは今どこで何をしているのだろうか。深夜にふと考えるととにかく不安になる。好きだった、という事実や、好き、という感情は特に何も生み出さなかったけれど私の心に大きな痕を残したことは確かだ。

 どんどん色々なことを忘れていく。私は録音をしないし後半はレポートメモすら残さなかったので、完全に記憶だけに頼っていろいろなことを思い出している。覚えている大切なことが無意識のうちに抜け落ちていく度に、自分という存在が欠けていく感じがする。

 

 BiSの解散ライブを見に行ったのは去年の7月だけれど、たまたま知り合いの知り合いにプー・ルイさんの熱心なファンがいてチケットを斡旋してもらうことができたので、自分から進んで行った、というわけではない。BiSのアクトも数回インストアイベントで見ただけなので、代表曲しか知らない概ね素人に近い状態だった。

 熱心なファンらしい人たちが前方のアリーナに固まっていて、ときどきモニターに写される彼らは恍惚と悲しみの混紡のような表情をしていた。何かをやり抜いた人たち特有の美しさだった。BiSも美しかった。

 私はべつにトッキュウジャーの応援についてやり切ったとは思っていないし、できなかったこともたくさんある。なので、特に達成感は得られなかった。まだまだ色々な楽しいことを享受していたかったけれど、彼らはオリックス劇場で解散してしまった。彼らはやりきったのでとても美しかった。

 

 千秋楽直後はしばらく休んでいろいろなことを整理しながら考えようと思っていたものの、しばらく休んだところで何をしようという気も起こらない。

 書いた文章を冷静に読み返したら、一種の軽度燃え尽き症候群であり、そしてただ単に毎日が楽しかったことでおさまっていた鬱病が再発したのではないかという気がしてきた。

 別にトッキュウジャーは何も悪くない。これがバンドの追っかけでも部活でもこういう現象はよくあることだろうし、もっと言えば私の精神が脆弱なだけだ。

 何かを愛するということには多大なエネルギーを使うし、周りが見えなくなる。長い長いジェットコースターのような世界の中で、私は地面も天井も見たし、疲れたり楽しくなったりした。ふわふわする余り自重で崩れてしまうパンケーキのように、私は決してヒカリくんにではなく自分自身によって絞め殺されている。