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I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

紐がないバンジージャンプをする君に 最後にいいたい紐がないよと

今週のお題「夏支度」

 

題名は575になっています。

 

 昔からヲタクにとって夏というのは、狂乱であり、騒乱、熱に浮かされ、自我を失う季節であります。芸能人がなぜ夏にライブやイベントをやたらめったらにやるのかは私の中で永遠の謎とされていますがそれにしてもアイドルはなぜ夏に毎日イベントをするのか?わかりません…。俳優はあまり季節にこだわりません、もっといえば平日の真昼間だろうと、彼らは舞台をするのです。

 ジャニヲタは特に、毎年毎年反省せずに同じことをします。夏が来るぞ~とわくわくしている6月頃によくわからないイベントの案内が届き、良く分からないままに申し込んで、当選した分を振り込み、気づいたら爆音の中でイケメンが手を振っている。真夏なので思考能力が著しく低下しており、気づいたら同じ公演を10回とか見ています。そのことにあんまり根本的な疑問を持たないのもなかなか致命的です。

 お題が夏支度なので、とりあえず最近の私について書きます。

 

 最近やっとヒカリくんのいない現実を受け入れ始めました。ヒカリくんが数ヶ月いなくたって平気な自分、という自分が存在していることがあんまり信じられなくて、しばらく真夜中に頬っぺたをぺちぺちする生活が続いています。

 この前横浜流星くんをはじめて生で見てから、丁度1年だったということもあっていろいろ考えたのね。テレビを通して見ていた期間も含めれば1年数ヶ月、ずっと同じ人に固執し続けてキャラへの恋慕を変わらないハイペースで保ってるって、ちょっとやばい(引き気味のテンションで)。客観的に見ればやばいけど、それがわたしの通常運転でした。泣いて笑って、第36駅(「夢は100点」)の予告で発狂してiPodを破壊したり、Gロッソのロビーで大泣きして友人に呆れられたりなど、いろいろ暴虐の限りを尽くしましたが、別にそれって演じてたわけではなくてそのときは真摯に考えた結果の行動というか、ちょい俗っぽく言うなら"ガチ"なので、渦の流れの最中では全体の大きさに気づけないようにそのときもやばさに気づけていなかったのです。

 ここ数年の一部コミュニティにおける傾向なのでそんなことない!って人がいたら大変申し訳無いのですが、スーパー戦隊シリーズ俳優のファンってなぜか全然関係ないのに翌年のファンの様子を異様に気にかけることがあります。引退後に部活の後輩の噂へいちいち聞き耳立てる感じ。ここ最近原因がなんとなくわかるようになってきて、その渦に気づけておらず、そして1年間その渦に気づいたとしても抜け出すことはできない様子を客観的にわかってしまうからなのだなあと思ったのです。ジェットコースターのように急降下と急上昇を繰り返す無限の感情が詰め込まれた1年間を何もせずに見ているというのはただただ辛いので、とりあえず救いの手をさしのべたりします。救いになってるかはわかんないけど。でも、あーたしかにわたしあのときは狂気じみていると客観的に指摘される行動でもガチだったんだ!という反省をすることによって、狂気じみている人を理解することができる。だから、わたしは最近ちょっと狂気じみた人たちに対して優しくなることができました。渦の中で渦にいることに気づいていない人たち。夢を見ているわけでも、妄想に浸っているわけでもない、ただ現実と向きあう中で視界の現実が歪んでしまう人たちなのです。現実を確かめることができずにもがきながら走ってる。その足で。

 

 全てが終わり、メンタル的な更地が訪れた時、しばらくは空虚をただ噛みしめるだけの日々を送っていたのですが、だんだん風が夏の匂いと湿った悲しい雰囲気を運んできて、また夏が来たんだ、と実感することで次のことを頑張らなきゃと考えることができるようになりました。

 去年の夏。生ぬるい空気の中でキャリーケースを引き、5000円少々で東名高速を突っ走る冷房の調子が悪い4列シートの夜行バスに揺られて心斎橋のバスターミナルに降り立ったとき、そこに9ヶ月後も来ることになるとは思っていなかったけど、とにかく目の前に広がる景色は青い空、人の居ない国道、実体の無い自信、意味のわからないほどの元気さを携えて難波の映画館のふかふかした椅子に腰を掛けた。夏は狂乱であり、自我を失わせる。同じような季節がきて、風に去年と同じものを感じた時、去年のわたしはなんて充実していたんだ!そして今年のわたしはなんて空虚なんだ!と噛みしめると同時に、ヒカリくんがいればこんな空虚さはないんだからヒカリくんはもういないんだね、と理解することができました。草や花が気温や日照時間の変化で季節を感じ取り、花を咲かせたり、葉を散らせたりするように。

 

 めりいちゃんは、ヒカリくんを好きになって不幸になった、と、ある人に言われたことがあります。その人は恐らく、もともと不幸だっためりいちゃんはヒカリくんを好きになることによってさらに不幸さが増した、といいたかったのだろうけど。

 わたしはヒカリくんを好きになって不幸になんてなっていません。むしろ幸せですらある。すべてが終わり、思い出だけを手のひらの中で転がして、微かに残った温度から何もかもを思い出そうと目を閉じているうちに一晩が終わってしまっていても、間違いなく幸せだと、胸を張って言えます。ヒカリくんは酷い、と、ヒカリくんが第三者的視点でひどいのかひどくないのかはともかくめりいちゃんをこんなに苦しませている時点でめりいちゃん的視点ではひどい、という意見も貰いましたが、じゃあわたしがそうだと信じる限りわたしの中でヒカリくんは幸せをもたらす存在でもあるはずなのです。第三者的視点で幸せをもたらす存在なのかは、ともかく。

 結局のところ一度目の夏が楽しすぎた上、与えられすぎていただけで、二度目の夏は離乳期であるという考え方をすることにしました。それに、なんとなく平気になってきたし。ヒカリくんに激しく依存していたのを急に奪われたから発作的に代替となる依存対象を求めてしまい、いろんなところにふらふらしましたが、一通り依存対象を探したものの適切な依存対象が見つからないという現実に直面したので諦めて少ないヒカリくんを大切に大切に消費していくという方向に転換することにしました。つまり、代替エネルギーの捜索から省エネルギー化への転換です。

 

 全然関係ないけど、断捨離してます。もう面倒だし、横浜流星くんのファンになるまえのものは全部捨てようと思ったら結構お部屋がすっきりしました。そうしたら去年の春以前のことが一切思い出せなくなった!断片的なシーンとしては記憶にあるけど、連続した流れとして再生することがとても難しくなりました。でも別に思い出したいことも思い出さなきゃいけないこともないので大丈夫です。

 なのでわたしにとっては、この夏は二度目の夏。日本の夏は蒸すけど、涼しいね。

 ファイナルライブツアーのDVD全編見ました。重苦しくて(個人的に。トッキュウジャーの明るいタイプのファンの皆さん的にはとても良いDVDだと思います!)胸にずーんと石を括りつけられてどんどん重力に逆らえず下にさがっていくような気持ちになってしまったけど。挨拶を何度も何度も繰り返して再生し、自分の記憶の中にあったよりもけっこう言葉に詰まっているメンバーたちを微笑ましく思いながら、でも多くを語らずすべてを語る流星くんに感嘆したり、あんまり覚えていないと思っていたけどショーの内容を意外と覚えていたことに気づいたり、最初は大爆笑したハイパートッキュウ6連結に涙ぐんだりとか、いろいろありました。

 トッキュウジャーは暖かい家族のような場所で、流星くんがそんな暖かい家族、カンパニーで愛され、誰かを愛して、表現して、吸収して、わたしには到底わからない大切な何かを得られたなら、本当に良かった。流星くんが少しでも、誰かから与えられる愛だけで得ることができる、たとえば誰かを信じたり、誰かに憧れたりする才能を得られたなら、本当に良かったなとわたしは心から思います。

 

 と、いうわけで、ヒカリくんの2015年7月にどうか可能な限りたくさんの幸あれ!よき夏を!

 (あとスターダストプロモーションさんは横浜流星くんにトッキュウジャー超全集はやくあげてください!)