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I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

流星くんのオタク辞めることに関して

 題の通りです。

 一応、おたくをやめることにしました。しかし、また良いことや沸ける出来事があって「ぎゃあああ!貢ぐ!」ってなる可能性もあるので、「やめることにした」という曖昧な表現に終始します。

 

 ここ三日くらいの記憶があまりありません。薬飲んで記憶が薄い間に刑法に抵触してパトカーに乗って嶽本野ばらの「タイマ」みたいに調書をとられたり、飛び降り自殺しようとして結局飛び降りられなくて、なんか気づいたら救急病院で点滴打たれてたりしました。今日はとりあえずずっと寝てました。起きられなかった。あ、でも病院行きました。

 わたしは基本的に、自殺肯定学閥(勝手に名付けました)の人間です。度々書いている通り、割と物心ついたらへんからずっと死にたかったので、今回わたしが死にたすぎて社会的に問題を起こしたことに対して、自分で自分にあまり驚きはしませんでした。目が覚めたら救急病院にいたんですけど、あ、生きてる、みたいな。

 なんで死にたいかっていうと、わたしのこれまでの人生には「あああ!あそこで死んどきゃよかった!」ってポイントがいくつもあって、自分でそのとき死ねなかったことにすごく後悔しながら毎日生きてました。ていうか、毎日生きてます。

 そんな中で流星くんに出会って、「流星くんかっこいい……生きるしかないんじゃない?」って初めて思ったんです。こんなにかっこいい人がいるんだ、応援したい、楽しいことがしたい!ヲタクしたい、現場行きたい、現場のために働くの楽しい。

 初めて流星くんが思わせてくれたんです。

 

 自殺できなかったことを後悔しました。なぜかといえば、わたしいま大学生の年なんですけど、これからまあ人生50年くらいあるわけじゃないですか。人間の生活といえば、起きて、働き、食事をして、眠る。人間関係に苦痛が生じる時もあるが、耐えて、つらいことがあっても「死んではいけない」という道徳の檻にずっと入れられている。

 わたしはなぜ人間が倫理的に「死んではならない」とされているのかにすごく興味がありました。ウィキったら、キリスト教で自殺に対する道徳的否定評価が始まったのは4世紀とされているそうです。カトリック神学者アウグスティヌスの有名な著作「神の国」の中で、自殺を肯定しない見解を示した。そして旧約聖書モーセの十戒にある「汝、殺すなかれ」という一節を引用し、自殺というのは要するに自らに対する殺人だから自殺はダメだよ!って説いたのがキリスト教史における自殺否定の端緒なのだそうです。

 いや、たかだか4世紀の話じゃん。4世紀といえば、ばりばりローマ帝国が幅きかせてた感じの時代です。イスラム教でも同じく自殺は禁止されていますが、これはコーランに「勝手に死ぬな」って書いてあるから(4-29)。でもいろんな本を読む限り、当時は奴隷が社会を動かしてたので奴隷=財産に勝手に死なれたら困るから宗教的規律で自殺を禁じていたという説が濃厚っぽくて、まじ身勝手だなこいつら、とは思います。

 で、話戻るんですけど、死んじゃいけないらしいじゃないですか。百歩譲って、自殺するなっていうのはわかりました。そうですね。わかんないけどさ。たかだか4世紀に作られた理屈で怒られてもさ。けっこう長い目で見れば最近だよそれ。わかんないけど理解したふりをしないと話が進んでいかないので、わたしはいつもわかったふりをしていました。

 生きていくってことは永遠に働かなきゃいけないんですよ。ずーっと。あと50年くらい。そんなのわたしには無理です。生きていく、という営みは基本的に、労働をベースにして形成されています。何にしろ仕事はしなきゃいけなくて、そうしないとお金がないから立ちゆかなくなってしまう。今はいいとしても、こうして働いて、生きていくことを50年続けられる自信がなくなって自殺未遂しました……。人とずっと関わりを持ち、使役をされ、お金を貰う、そのお金を生きていくために使う。

 生きていきたくないのに、生きていくことにお金を使わなければいけないのか?すごい矛盾です……。死ねればいいんですけど、死ぬことには苦痛が伴う。ですが、これから先ずっと生きていく苦痛と、死ぬ一瞬の苦痛を比較したら間違いなく後者のほうの苦痛量が少ないと思うのでこれからも懲りずに積極的に飛び降りを試みてみようと思います。

 はるしにゃんもメンヘラ神も死ねたので、わたしに死ねないはずがないのです。インターネットで色んな人に「いや死ねてないじゃん」とか言われてたけど本当それな、わたしはわたしなりに、死ねるように努力してるから許してください。

 

 それでなんで流星くんのオタクをやめるかっていうと、いまわたしが単純に、働ける精神状態にないのでこれ以上チケットを積極的に購入したりとかできないのです。

 働こうとすると、え、もう本当無理……ってなって、以前なら流星くんのために働こう!生きよう!なぜなら流星くんがかっこいいから!っていうモチベーションがあったんですけど、流星くんがいたとしても、わたしはもうこの世では生きていたくない……。働くの無理……。流星くんを応援していたいっていう気持ちでは抑えられないほどに、これからの人生への不安や恐怖や、生きる行為の断ち切りたさが勝ってしまいました。

 まあ偉そうに長々書いたけど鬱になったから働けねえんだな。お金ないから追えないし厨辞めるっていう感じです。今までだましだまし働いてたけどさ、やっぱいくらかっこよくても慣れちゃうじゃないですか、慣れちゃうとさ、すっごい頑張って働いて会おうとか、ならない。

 流星くん、超かっこいいし。とりあえず、いまの気持ち的には、チケットもってる公演とかは行って、とりあえず貯金でどうにかなる範囲の、ヲタ活はしてみます、が……。気分の上下がすごく激しいから、このブログ投稿した直後にはうわめっちゃ頑張って働くしか無くない?ってなってるかもしれないけど…。

 仕事を辞めることに関して親や主治医といろいろ相談をして、まあ辞めてニートするか学生すれば?と言われたし、わたしもわたしで引きこもってやりたいこといっぱいあって、源氏物語全巻読みたいし、いま陥っている思考的に、ニヒリズムについてもうちょっと考えてみれば、前向きになれたりしないかなとか、いろいろ思うので、そういう感じで……。

 いやでも期待してここまで読んでくれたおたくの人には申し訳ないけどわたしすごく図太いから現場にはやっぱいると思う。どっかに。でも働けないからさ。貯金ちまちま使っておたくすることになるからしょぼいおたくしかできないと思う。

 わたし基本的に生きてる意味ない人間なんですよ。流星くんを応援することに生き甲斐見出してたけど、流星くんがいたとしても、生きていたくないって初めて流星くんの厨になってから思ったんです。つまり、流星くんがいたとしてもこの世はわたしにとって苦痛なんだと。

 そして社会的に生きてる価値ない人間なのに辛うじて流星くんのヲタクをすることで養分としての立ち位置を見出していたのが、本当に病んじゃってヲタクすらできなくなって、もうどこにも立ち位置がなくて、よし!じゃあ死のう!ってなっています。

 

 人生とは楽しいこともあり、辛いこともある、と人は言うけどさ。そんなの受け入れられない。嫌なことを受け止めてまでみんな生きてるの?死ぬのよりは嫌じゃないことしかみんなの身には降りかかってこないのかな……。

 はあ、死ななければこの苦行はあと50年も続くのか……。

 父と向き合って話をしたときに、自分のことは関係なく、子供を産むのはエゴなのか?という議題になったんです。よく死なないで、と人は言うけれど、そうして引き止めた相手がそこから生きる上での苦痛を果たして肩代わりする覚悟があって言っているのでしょうか? 同じように、子供を産む、ということは産まれた子供の苦しみをこの世に作り出してしまう可能性もある行為だし、だからわたしは極力子供を作りたくないし、子供を見ているとそういうことを考えてしまうから、子供が苦手だ、と。

 わたしを産んだときに、わたしが鬱病になって苦しむとは思わなかった?って聞いたら、それは勿論そうだ、と言われた。父や母がどうとかではなくて、人間の生産的じゃないのってこういうところで、他人の気持ちを慮れとかいう割には、新しい人間、思考を持った独立した誰かを新たに生み出すことで、新しい人間の中に波、気持ちの上下、そういうのを創りだしてしまうことだ、と思う。

 確かにこういう思考ができることは、そもそもわたしが産まれたからであるわけで、親にはそういう点ではすごく感謝している。けど、「無」がいちばんよかったな、と思ってしまったのはやっぱり事実だ。

 流星くんの厨をしていた2年間は、たしかに平均値にすればだいぶ幸せでした。幸せだったけれど、すごくすごく病んじゃった。ヒーローショーにたくさん行った。お芝居もたくさん見たし、まあインターネットに書けないいろんな面白いこともあったけれど。波乱を経験する中で、わたしの人生はきっと、ずーーーーーっと波乱で、躁と鬱に翻弄されるばかりで、安らかになれることはあるのだろうか、と思ってしまったのです。これからも流星くんの厨をする限り、果てのない波があって、そのたびにわたしはとても疲れ、先の長い人生について思いを巡らせ、死ぬことについて考えてしまう。

 医療関係者などによれば、カウンセリングによってこの希死念慮は薄まるということなので、とりあえずそれを試してもらうために、厨辞めて引きこもってみたいと思います。

 長くなっちゃったな。

 

 流星くんってね。キラキラしてるから見てると死にたくなるんだな。

 この不思議な感覚は厨のひとにしかわかんないと思う。

 「おたく」というか「厨」というか、そういうのやめて、ファンになって、ちょっと気が楽になるまで、またいつか生きていきたい、流星くんの応援して生きてる感じを得たい、そうなったら、のこのこと戻ってきます(悪意ある読者に死ねと思わせる一文)。

 生きる、とりあえずじゃあ明日生きるのはいいけど、でもこの先、死ぬまで、こういう形でずっと生きなきゃいけないの!?生きるって、そういうことなの!?って、発狂してたんです。どう思います? みんな死にたくならないのかな…不思議だな。際限ないじゃないですか。日々はとても長い。ずーっと続いていく。些細なつらいことが積み重なって、いいこともあるけれど、舞い上がるようにうれしいこともあれば、死にたくなることもあって、それにずーっと振り回されて、消耗して……。だからね、わたしはますます流星くんを尊敬してます。彼はどうしてあんなに強いんだろうか。

 皆様、いつまでもお元気にお過ごしください。