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ネオ空気系アニメ「刀剣乱舞-花丸-」がすごい

 

 アニメやライトノベルなどのサブカルチャー領域において、対をなして定義されるジャンル類型が存在する。セカイ系⇔空気系の対比である。

 セカイ系はしばしば登場人物の心情が世界そのものの破滅や揺らぎに直結する危機的な物語類型であり、サブカルチャー批評においてはそれらがアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の影響を色濃く受けていることからしばしばポスト・エヴァンゲリオンという形容をなされるものである。 一方、空気系は登場人物(ほぼ確実に、それらは美少女である)の無意味ともとれる日常会話や日常生活をえんえんと垂れ流し、コンテクストが皆無といっていい物語進行がなされることが特徴だ。「まんがタイムきらら」系列の作品がアニメ化される際に特にその傾向は顕著とされ、内容が無いにもかかわらず、コンスタントに空気系作品が量産されていることから、一部層からの根強い支持があることがうかがえる。

 空気系に属する作品群は、はっきり言ってどの作品も物語にこれといった特徴はなく、また、キャラクター類型も斬新さがなく特徴が使い回されているにもかかわらず支持を集めているのは、空気系作品がアニオタの墓場アニオタの老人ホーム的役割を果たしているからであると個人的には解釈している。 空気系作品を鑑賞する上での最大のメリットは、「何も考えずに視聴できる」ことである。

 バトル系アニメ、登場人物の成長を堅実に描くアニメ、ハーレムアニメなどはエンターテインメントとしてかっちりと成立を遂げている点において一定の評価がなされるが、その反面視聴者は物語の解釈に相当のエネルギーを消費してしまうことになる。年間170本もの深夜アニメが放映される現代において、「アニメは見たいけど疲れたくない」「萌えたいけどシリアスな話は嫌だ」という大変ワガママなアニオタの要望にピンポイントで応えているのが空気系作品の存在である。そしてそのような、いわば「悟り」的状態(つまり、アニメに物語性や成長を求めなくなること)に到達するのは得てして大量のコンテンツを消費しきった人間であるのが、空気系がアニオタの墓場だと呼ばれる所以だ。

 本記事で取り上げるアニメ「刀剣乱舞-花丸-」は、恐るべき人気を誇るブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」の初アニメ化作品であり、もう1つのufotable制作によるアニメ化プロジェクト「活撃 刀剣乱舞」とは対をなす、いわば「ユルい方」の作品である。 アニメ冒頭でも語られるように、「とある本丸のとある刀剣男士による花丸な日々の物語」を標榜しており、基本的には広大な本丸の中で、ユルい絵柄の刀剣男士たちがユルい日常(それは畑仕事であったり、料理であったり、買い物であったりする)を延々と繰り広げるだけの物語である。たまに戦闘が挟まれたりするが、重要なのはその戦闘はあまり深い物語性を持たないということだ/つまり、それは戦闘シーンが無くても物語は成立するということを意味する。

 コンテンツ「刀剣乱舞」において重要なのは、キャラ萌えを背景としてコンテンツ全体が動いていることであり、これは原作がストーリーに依存しない(作業ゲーとも揶揄される)ブラウザゲームからきていることにも由来するが、一部キャラ間に設定されている関係性、また実在の刀をモデルにしているため、元の持ち主や逸話などに由来するストーリーを除いては基本的にキャラ萌えだけで骨組みが成り立っている。

 このような原作をアニメーション化する際、脚本家はストーリーをまったく新しく創造するか、キャラ萌えだけで引っ張って「空気系」化するかという選択を迫られることになり、たとえばアニメ「艦隊これくしょん -艦これ-」は前者と後者のどちらかをきっぱり選択することができず結果として各方面からの恐るべき低評価を受けることになったが、「刀剣乱舞-花丸-」は開き直って後者に振り切ることで「内容のある」アニメを求めていた層を切り捨ててキャラ萌え層を取り込むことに成功したといえる。

 刀剣乱舞-花丸-が女性向けアニメコンテンツにおいて非常に斬新だったのは、何も考えずに視聴できるという、いわば萌えの垂れ流しを何のためらいもなく延々と繰り広げる「内容のないクソアニメ」とも取られかねない作品を堂々と世に出し、ありそうでなかった(男性向けにおいては当たり前の)「空気系」的価値観を女性向けジャンルに提示したことである。

 当然ながらこの作品類型には反対意見も多く、原作ゲームからのキャラ改変や特定キャラの頻出、ひいては脚本そのものに対して批判が巻き起こり、インターネットでは女オタ特有の大学級会が開催されてしまった。だが、そのような議論をまったくもって愚かだと断罪せざるを得ないのは、この作品類型→批判/議論というコンテクストはサブカルチャーにおいて00年代というはるか昔に消費され尽くしてしまったものだからである。「意味のないアニメ」として作られたものに対して意味を求めるのはまったくもって消費の方法を履き違えていると言わざるをえない。

 もっとも、この世には刀剣乱舞というゲームに命をかけている人たちがたくさん存在し、自分が命をかけているゲームの初アニメ化がまさしく空気だった場合、怒りを買ってしまっても致し方ないといえるだろう。ただし本作品の作り手にとっては、(特に本作品の制作会社である動画工房は「ゆるゆり」「NEW GAME!」「未確認で進行形」「GJ部」などの空気系作品を生産しつづけてきた歴史がある)空気系というジャンルは「スタンダードな」ジャンルであった為、従来のファンとの間で齟齬が生じたという分析が可能になる。 その点、男性向けジャンルにおいて類型として確立され、消費されつづける「空気系」は、代用のきくキャラクター/代用のきくストーリー/次々に出現する新コンテンツというフレキシブルさを兼ね備えているため、このような議論は起こりにくい。

 「刀剣乱舞-花丸-」では、主人公である大和守安定の成長が描かれる……と書けば聞こえは良いが、実際物語中で安定の成長物語に割かれる時間はごくわずかであり、最終回では「安定は修行に向かい帰ってきて立派になりました!めでたしめでたし!」というかなり雑な描写がなされている。 この点、本作品は物語性を完全に放棄しているため、物語性を期待していたファンにとっては顰蹙以外の何者でもない。

 しかし、ここはアニオタの墓場なのだ。

 キャラ萌えと日常だけが垂れ流され続ける、ベーシック・インカムの導入された世界なのだ。

 中途半端に物語性を追求してコケた少女漫画アニメや奇をてらって失敗した乙女系アニメを数多く見てきた結果、女性向けコンテンツに失望していた視聴者(つまり私だが)にとって、「刀剣乱舞-花丸-」の出現はまさしく福音である。なぜ女性向けジャンルにこういう作品が今まで無かったのか! 2016年まで出現を待たなければいけなかったのは、大変に不幸なことだと思う。 物語性を放棄していてもいい。萌えがそこにありさえすれば。これは思考そのものを手放していることと同じで、いわゆる「意識高い」アニオタ層からすれば退化以外の何物でもない。謗りは免れないであろう。しかし「意識高い」層から謗りを免れないからこそ、「空気系」はサブカルチャーに留まっているということを忘れてはならない。空気系がアニオタ界において「墓場」から脱出することはないのは、空気系への没頭が退化、逃げであるからだ。彼らはアニメを鑑賞するときに思考し、没頭し、きっちり消化し考察することを美学としているため、空気系に対してしばしば「中身がない」などの評価をくだす傾向にある。そして、その評価はまったくもって正当なものであることが、問題をさらに深刻化させているといえるだろう。

 「刀剣乱舞-花丸-」が"ネオ"空気系と形容できる理由は、一見して超人気コンテンツであり、ビッグタイトルである「刀剣乱舞」が空気系というサブカルチャーの極地に身をやつしたことが大きいだろう。

 なお、やや主題から脱線するが、アニメ「ストライクウィッチーズ」との類似についても本記事で述べておきたいと思う。「ストライクウィッチーズ」は「刀剣乱舞」と同じように、擬人化作品/組織を有し、戦う/独自の世界観/キャラ萌え/日常要素という特徴を有しているが、最も異なるのはシリアス展開の有無であるといえる。しばしば「日常要素=日常系/空気系」だという誤解がアニメオタクには発生するが、空気系において重要なのは「日常が大きく揺らがない」という、一種の芯の太さであるため、作中でキャラクターたちが年を取り魔力を失っていく「ストライクウィッチーズ」は、確かにミーナ中佐がパンツの圧でネウロイを撃退するといった"空気系"回は存在するものの、どちらかといえば主軸に「有限なもの」を置いた作品であるといえる。この点、刀剣たちは年も取らず、姿も変わらなければ(「折れる」要素を作り手が有意に排除している限り)日常が大きく揺らぐこともない。