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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

大森靖子「超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS」のリアコ論

  という投稿がask.fmにありました。

 2016年のリリース以来ずっとガチ恋の曲だと信じ続けていたので正直解釈違いが発生したことにビビっています。長くなるしaskに書いて流れるのも嫌だなという感じなのでエントリとして残しておきます。

 

スーサイドライン抜け出して

眩しい朝一目惚れ

  私はメンヘラのどん底になっていたところを推しを好きになってやや外向的になれたという経験がある上、推しに一目惚れだったので、Aメロ冒頭のこの歌詞で「そう!それ!」という気持ちになってしまいました。つかみは大事です。

こびりつく悲しみを引っ掻いては

君を探していた

 誰しも心の中にいろんなトラウマを抱えていると思うけど、そのトラウマとかつらいこととかを抱えながらも結局は「君」=推しを探しているんだよ、ずっと探してさまよっているんだよ、ってことなのかなと思ってます。

ライングループ抜け出して

思い出も全部燃やすから

一生かけて恋をしよう

 思い出を燃やす、っていうのは、過去はいらないってことですよね。「ライングループ抜け出して」っていうのはそれまでの交友関係もかなぐり捨てて「一生かけて恋をしよう」ってことである意味最強の求愛宣言じゃないですか? それまでの価値観とか人間関係みたいなものを捨ててでも君が好きだよって意味です。リアコなら誰しも現実での友人関係を犠牲にしてヲタ活に励んだことがあるとは思いますがまさしくそういう詞です。

クライマックスな毎日にバテて

僕はくらくら

帰りたい家があるんだ

 一目惚れして、過去を捨てて、現場続きでクライマックスな毎日。リアコの辿る道筋そのものだと思うのですがどうでしょう。いくら好きでも現場に行くとやっぱり(好きだからこそ、もあるけど)バテてしまいます。それこそ「くらくら」する。という点でここの部分の詞の言語感覚はすごいと思います。

ブルースを捨てたら

空っぽになってしまうけど

君が好き

  ブルースというのは音楽論的には「悲しみ」や「憂鬱」を表すジャンルを指して言うのですが、ここで使われているブルースというのはまさしく「憂鬱」の比喩だと解釈しています。 この曲はリアコの曲だけどある意味メンヘラリティのある人間しか共感できないかなと思うのはそういうところで、憂鬱を捨てても空っぽにならない人はこの詞に入り込めないと思うのです。「憂鬱以外には何もない私だけど、君が好き」ということです。自分は無力な人間で持たざるものだけど、それでも好きだよ、と。

カステラ プライベートキス

覚めない夢を認めて

既成事実だけI love you

嘘 もう 剥がれる

 「さめないゆめをみとめて」 部分は大森氏が自認している通り「さ、ゆ、み」の言葉遊びなのであまり深い意図はないだろうと解釈しているのですが、リアコしていることが「さめないゆめ」であることはきっと間違いないと思います(まあ、だいたい覚めますけど/でも夢を見ているときから絶対にいつか覚めるものなんだって心から信じるのって嫌じゃないですか?)。既成事実っていうのは、たとえば対応だったり、ファンサだったり、思い出だったり、いろいろかもしれないけど、推しに対していちばん沸けるのって妄想ではなく事実なのは間違いないし、「既成事実だけI love you」だし、でもリアコしているときに推しを疑ってしまう気持ちとか粗探しをして「嘘」の剥がれ目みたいな部分を探してしまう相反した、夢を見たいけど夢の出口を必死に探す閉塞感が詰まっていると思うのです。

壁ドンじゃ足りないI love you

もっと出していいんだよ

 まさしくおたくの気持ちじゃないですか。壁ドンなんかじゃ足りねえよという魂の叫び、ではないでしょうか。

 

幸せに生きる奴との壁は

ひっぺがしたはずなのに

なんでも幸せになれるなら

僕の特別とらないで

 多分、おたくとして一番共感できるのはここの部分なんですけれど、たとえば一般的な価値観で俳優のこと好きになるのは「不幸」だとしてもそれを自分の解釈で「至上の幸福」にして幸せになっている(世間的に「幸せ」とされている奴との壁をひっぺがした)んですよ。でもその幸せって(リアコだから誰でもいいってわけでもないし)特別な、言い方を変えればごくごく狭いもの、代えのきかないものなのに、たとえばDDとかそういう無配慮な人たちが推しにしゃしゃって幸せになっているのを見ると、「なんでも幸せになれるなら僕の特別とらないで」(なぜなら僕は「特別」に固執しているし「特別」でしか幸せになれないから)と思ってしまいます。

ドラッグじゃ足りない真面目な魔法さ

僕は信じてる 歌が好き

 推しが例えば生きているだけで自分が幸せになったりするのってまさしく「魔法」 のようなもので、それはドラッグに代えることは決してできないし、きっと足りないし、推しじゃなきゃダメなんだよという気持ち。推しの魅力は「真面目な魔法」だなという(これはきっと私の推しがそういう人だからかもしれませんが/真面目な魔法という言葉が似合う)。

声  声 絞り出した

魂のかけらは一瞬で

知らない誰かみたいに通り過ぎていく

 ここは体感的な推しに話しているときの気持ちにすごく近いというか、普段は内向的な自分だから推しと話しているのはそれこそ「知らない誰か」みたいだし、言葉はまさしく魂のかけらで、それらが声に出されて通り過ぎていく、という、感覚でしかないものが的確に言葉に表されていていつ聴いてもその通りだなと思っています。

聞きたい歌をライブで

やってくれたから死ねる

  このフレーズに関してはもはや解説する必要があるのかという気もするんですが、聞きたい歌、言葉、見たい演技、笑顔、そういうものを見られたら「死ねる」くらい幸せだよねっていうものが端的に詰まっていて、大好きな一節です。そういう気持ちでいつだって生きてる。聞きたい歌をライブでやってくれたら死ねるし、見たい演技を舞台でやってくれたら死ねる。それくらい好きです。

 

 と、いう理由でずっと「超新世代ー」はガチ恋ないしリアコの曲だと思っているし、むしろずっとその解釈しかしてこなかったので他の解釈がわからないのですが、

 もし良ければ他の解釈があればaskとかで送ってもらえると嬉しい気持ちです。

 よろしくお願いします。