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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

一目惚れなんて初恋の人に似ていただけでしょう?

みなさんの推しは自分の好きなタイプですか?

 

わたしの周りにはなぜか、容姿とか服装とか、性格とかそういうの全然好きじゃないのに推しているっていう人が多い。でもなんか納得することが多いけれど、それはこの子はこの俳優が好きなんだっていう先入観ありきでその子と接しているからで、実際のところわたしも冷静に考えてみるとなんで推しくんを推してるんだろう?って思う。

 

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わたしは推しくんに一目惚れでした。もう二年前の話になるのであんまり記憶ないんだけれど、結構な一目惚れで、ああいまこのひとに会わないと、このひとを推さないと間違いなくわたしの人生にはこの瞬間の後悔が残ってしまう! わたしはわたしの人生を完遂するために、推しくんを推さなければならない!という強烈な衝動に後押しされて推した。

大森靖子ちゃんの新曲サイコーなので聴いてください。いま思い返してみたら、推しくんは初恋の人にけっこう似ていた。小学校一緒だったサッカー部の男の子。元気にしてるかなー!?わたしは元気だよ。

 

よくこのブログ書いているときにぼんやり考えてそのままどっかに消えて行ってしまう考えなんだけど、わたしは大衆にとって俳優を推すって行為はもっとライトなものであるべきだと思ってます。わたしの周りには異常に重いおたくが多いので、うんうん考えて手首の傷の二、三本も切れてやっと「この人推します」とか、推してますとか、違うよそんなのは精神衛生に良くないよ! もっと俳優っていうのは、軽々しく、ふんわりした、ルピシアの紅茶や、ボルダリングや熱帯魚の飼育みたいな、日常にとっていたく無害で影響を及ぼさない趣味であるべきなんだ。

わたしも推しくんをもっと、紅茶や崖のぼりや、グッピーに餌をあげることのように軽い気持ちで応援していきたいと思っています。

もっとも俳優側がそれじゃ耐えられないのかもしれないなと最近ふと思う瞬間がある。俳優にとっておたくからの承認は必要なのでしょうか? 必要なのかもしれないし、まったく不必要なのかもしれない。それは平均値を算出することの難しい話なので「人による」としか結論が出せませんが。

 

そんな前置きはさておいて、映画「手裏剣戦隊ニンニンジャーVSトッキュウジャー」を観てきました。

突然ですが説明をすると、わたしが一目惚れしたのは戦隊をやっている推しくんでした。トッキュウジャーの緑のトッキュウ4号ヒカリ役の推しくんでした。推しくんおよびヒカリくんへの常識の域を逸した執着についてはたびたびこのブログでも書いているところですが、わたしは大雑把に「烈車戦隊トッキュウジャー ファイナルライブツアー2015」のツアーオーラス(2015年4月26日)以降、正確に言うとその後のDVD発売イベント以降ヒカリくんから久しく遠ざかっていたので、このままいい感じにヒカリくんを卒業して、リアコも卒業して、ルピシアの紅茶みたいに日常に溶け込ませ、ヒカリくんのことを「昔好きだった人」に消化して、遠い思い出の中、綺麗なままで置いておけるのかなーと勝手に思い込んでいました。

そんなことはなかった!! わたしは相変わらず、ヒカリくんに対しては病的な好意を捨て去ることができませんでした。

ヒカリくんは決してトッキュウジャーの中で一番人気があったわけではありませんでした。確かに大きなお友達、というよりも大きなお姉さんのお友達からは人気があったので、ツアーオーラスの最前(10席)の内訳はライトくんのファン3名、ヒカリくんのファン5名、そして迷い込んでしまった哀れな親子連れ2名でした。定価ではいっている人が2人もいたことにびっくりですね。

大きなお姉さん人気があったヒカリくんですが、その人気も長くは続きませんでした。結局のところ世の中の人は薄情なので特撮がおわってテレビに出なくなると一気にみんな興味を失ってしまうのです。舞台全通とかしてくれるファンを10人くらい常にキープするようなカリスマでいてほしいという適当ではかない幻想なんてぶっ壊されてしまうのです。悲しいね。

しかし全然関係ないですが、(わたしの観測範囲内で)ヒカリくんには病的なファンがやたらとつく傾向にありました。メンタル的にちょっとヤバそーな人とか(わたし)、メンタル的にちょっとヤバそーな人とか。誰だよ、2chのスレに「この人のファンってメンヘラ女ばっかり」って書いたの。

本人にメンヘラリティが一切ないだけに、謎は謎を呼びます。ああ話が脱線した。とにかく何度も説明しているように、メンヘラ女だったのでヒカリくんのファンになったわたしは、戦隊が終わり、どんどんヒカリくんという沈みかけのタイタニックから脱出していく他のおたくを横目に船長でもない癖に意地を張って居残り、とうとう引き返せなくなってしまったのです。

戦隊のキャラが好きな人。さっさと卒業したほうがいいです。

で。

たいてい戦隊のキャラには、本編終了、Gロッソ公演終了、ツアー終了という3つの葬儀が用意されています。ですが1年後、「VS」のときだけ甦ってくることを許される。

ヒカリくんも例にもれず、のこのことわたしの前に甦ってきました。1年前とあんまり変わんない姿で。

思ったよりもヒカリくんがわたしの知っているヒカリくんだったので、わたしはびっくりしました。ツアーの終了時には「VSなんてそんなのは欺罔だ!わたしの世界はわたしの信じているものによってだけ創造されるから、わたしの信じないヒカリくんはわたしの世界にとって異物でしかない!」と、かわいそうにも頑なに主張していたのに、いざ恐る恐るVSを観てみたら、99.999%くらいヒカリくんはわたしの知っているヒカリくんだった。

びっくりした。

 

わたしが現役のときに経験した「トッキュウジャーVSキョウリュウジャー」は、トッキュウジャーの見せ場が多くてうれしかったにはうれしかったけれど、キョウリュウジャーはせっかくの再結成だというのに中盤で昏睡してるし、そんなに日常のシーン無いし、扱いからいえば冷遇されているのかなとも思ってしまう仕上がりだったので今回のVSにもぼんやり不安を抱えていたのだけれど幸いなことにだいたいの特急厨は満足できるような脚本になっていて、良かった、とわたしは心から思った。

1年間の回想をきちんとやってくれるとは思わなかったので、初見のときは思わず大泣きしてしまった。少なくともわたしにとって救いだった。

コスプレして明を笑わせる回、ぐるぐる巻きにされるトカッチ、どーでもいい日常の数々、はじめのこと、最後のこと、わたしにとって1年間トッキュウジャーは「世界」そのものだったけれど、そのわたしが知っている世界がちゃんと凝縮されていて、わたしは安心した。良かった、と思った。わたしは心の中で、もうヒカリくんを好きでいることは1年ごとに世界観が変わってどんどん輪廻していくこの世の道理に反しているからはやくわたしの中に残る特急厨を死なせておかなければ、もう時間がない、と焦っていたけれど、もうちょっとだけ特急厨でいていいのかなという気分になった。

忍者道場でのシーンでヒカリくんがニンニンジャーの面々に対して、「家族って良い」と切り出す。トカッチが「僕たち5人でずっと旅をしてきたから」と被せて話は進んでいくけれど、母子家庭のヒカリくんが言うからこそ説得力があって、代理家族としてトッキュウジャーという構造を持ち成長したことで「家族」への執着を克服したヒカリくんがニンニンジャーに「家族」の問いかけをする場面はとても強烈に対照性を感じられた。良かった。それはささやかだったけど、それはとても大切なことだった。

最後に5人は子供の姿に戻る。それはファンサービスだと思うし、意味あるか、ないかでいえばあんまりないと思うけど、改めてわたしに事実を突きつけているようで、現実はいたく鋭利で切っ先が自在なものだなあと思った。わたしは「ヒカリくん」というレンズ、虚像であり一瞬のスパークを通して推しくんを推すことになり、ヒカリくん亡きあともずるずると推しくんのファンをしているけれどいつでもどこか心の底にはヒカリくんへの執着があって、ヒカリくんっぽいこと、ヒカリくんっぽいものに未だに素晴らしさを感じてしまうし、いつまでもわたしにとってヒカリくんは一目惚れした、初恋の人に似ている人だった。でもヒカリくんは10歳なのだ。自重したほうがよい。

トッキュウジャーが実は子供という設定は、ガチ恋系大友へのアンチテーゼも込みなのではないかと真剣に思うほどには最近被害妄想を拗らせている。一方通行だってちゃんとわかってるからそんなひどいことしないでよ……と、敗者であるわたしは言ってみる。

 

「VS」を観たけど、未だにわたしはなんでヒカリくんのことが好きなのかわからなかった。

どこが好きだろう。推しくんは一応現実世界に存在しているけれど、ヒカリくんは完全に現実から断絶した存在なので、自分との関係性はいつまでたっても生まれないし、1年かけて追っかけたけどヒカリくんとの関係性は1ミリたりとも生まれなかった。それはとても悲しいけど重要なことだった。関係性で好きになったわけではないので、わたしはここまで片想いをガンガンにこじらせているということになり、これはとても惨憺たる、と表現するに値する事態っぽい。

 

とうとう本当にこれからは日常に新しいヒカリくんがない環境で生きていかなければいけない。さすがにそろそろ平気だろう、こうしてわたしは毎日どうでもいい日々の積み重ねを、ヒカリくんと無関係にすごし、ヒカリくんはいつまでも10歳だがわたしは年をとり、老いて、死んでゆくのだと思う。ヒカリくんのことを徐々に忘れて、「昔好きだった人」になり、そういえば昔は戦隊ヒーローのことが好きだったという笑い話になり、やがてこの記事はガチな黒歴史になり、布団にダイブしてうわー恥ずかしー!!インターネットにゴミ撒き散らしてるーー!!とか、考えるのだと思う。

それでもわたしはヒカリくんのことをまだ裏切れない。ヒカリくんのことを嫌いだったということにして前進するということは到底できない。死にたいなーと思っていたときのわたしに、もーちょっと生きてみよう、来週まで、次の現場まで、というその場しのぎなやる気でも生きる意欲を与えてくれたのはヒカリくんなので、生かしてくれた恩がある。

とにかくわたしはこれから長い長い時間を過ごし、その中で一生懸命に記憶を風化させ、ヒカリくんを紅茶であり、崖のぼりでありグッピーのような「過去の趣味」というポジションに落ち着ける必要がある。

いつまでも過去に縛られることはよくない。

 

戦隊終了後は衝動のままに、溢れ出てくる悲しみとかやるせなさのままにいろいろなことを書いていたけど、いまはどちらかといえば諦念のほうが多いように思える。もう1年前や1年半前などになりつつある、ヒカリくんを追っかけていた毎日は確実にわたしの見えるところにまだあるけど、もう手は届かない。

寝る前に怖くなる。今日寝たら、また明日になって、明日が今日になり、わたしはどんどん忘れてしまう。サイボーグに憧れて記憶の保存容量を切に増設したいと願っている。

忘れることは怖いけど、執着しないためには忘れることが必要だ。板挟みで毎日毎日苦しんでいる。

ねえヒカリくん、いまなにしてる? 元気?

わたしは元気です。