交流して頂いている凛さんの記事を拝読した。
知り合いの俳優厨(Over30)は認知こそが最高のステータスだと発言している。
わたしはこれに堂々と異議を唱えたい。認知で終わっちゃっていいのかよ、俳優厨人生。
認知されてから2年が経った。(推しの「Gロッソくらいから覚えてた」との自己申告を基にしたカウント)若手俳優に認知されること自体はそんなに難しいことじゃないと思う。ちょいっと本腰入れて、舞台俳優なら最前に入りまくる、外道になるのを覚悟で出待ちをする、戦隊俳優なら全国どこへでもひっついていく、ヒーローショーの最前ガッツをする。 どれもそんなに難しいことじゃない。好きという原動力があれば。
が、やっぱり「認知がゴール」という捉え方をしている人は、周りに多い。ようになんとなく感じる。友達が認知されれば24時間テレビのマラソンランナーがゴールを迎えた大団円のごとく祝福、赤飯をたく勢いで大騒ぎ。それは間違っていない。だって若手俳優といえども芸能人に覚えられるなんて大事件なのだ。決してそれは当たり前のことじゃない。
ひとつ思うことがある。「俳優厨認知ゴール説」の有力なソースのひとつに、「認知されるとそこから先が見えなくなってモチベーションが微妙になる」というものがあると思う。わたしもよく考える。認知の先ってなんだ? そこにはなにがあった?
推しに認知してもらっているのを確認したのは2015年の春のことだった。でもそれまで団扇なしでも固定ファンサを貰っていたりしたのでああ認知されてんだなという実感はあった。もう2年くらい認知された状態で厨を続けているけど正直言ってモチベーションはどこにあるのかわからない。推し、優しいけど、優しいだけで人はカレンダーを200冊も買えちゃうのか?
「それだけ行ってて覚えられていない方がおかしい」とよく言われる通い量なので、推しに忘れてもらうのを期待するというのはこの際なし。
俳優厨を続けていればいつか必ず「認知」というイベントは発生する。絶対に発生する。イベント全通とかしてれば1年か半年以内にそのイベントは発生するだろう。それをゴールとして捉えちゃっていいのか?わたしは違うと思う。そこからがスタートだと思う。モチベーション迷子の苦境の中をふらふらと彷徨う、それが俳優厨の真髄だとわたしは勝手に思っている。
「認知の先の争い」これは間違いなく存在する。どこの現場にも存在する。そこからどうやってのし上がっていくか、または平和主義でまるく収めるか。それは人それぞれだ。でも認知は決して「最高」じゃない。富士山で言ったら五合目だと思う。そこまでは車で行けんじゃん。そっから先だよ、先。自分の足で必死に歩かなきゃいけないの。
「認知」というフラグは非常にわかりやすい。「されている/されていない」で判断可能。同厨との上下関係をそのふたつで判断して安心することが可能。でも「認知の先」は?ファンサとか対応とかリプ返とかプレ着用とかそーーーーーーーーーーいうめんどくさい争いゾーンに突入するんだぞ!!!!!それこそが俳優厨だろ!!!!!!!!!!!!!
荒れましたがこれはとてもとても私見なので悪しからず。