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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

死にそこないの惨めなわたしをどうか許さないで

入院生活は退屈だ。朝8時にナースに起こされてふらふらした足取りで朝食に向かう。朝からお茶碗に盛られたご飯ときっちりしたおかずが出てくる。わたしには重いがおちおち食事を残していると退院が先延ばしになるのではないかという漠然とした不安に駆られ、憂鬱な気分で食べる。食後にビニールパックに入った薬が配られ、監視下で飲み干す。この瞬間が一番憂鬱。おろかにも服薬自殺に失敗してしまって以降わたしは大好きだった薬を飲めなくなった。異物だとしか思えない。最悪だ。食後に煙草を吸っている人がなんだか羨ましい。気分転換できるだろうな。(あまりの羨ましさに電子たばこに手を出した。明日あたりから私は喫煙室でバニラのけむりをまき散らしていると思われる)9時、ナースが体温と血圧をはかりにやってくる。わたしのベッドは窓際にあるのでこのとき容赦なくカーテンが開けられ、ああ空は今日も青いんだなと思う。ずっと病院の中にいるので風や気温は感じられない。

今日の午前中は臨床心理士がやってきて、心の疲れがピークに達すると君は自殺してしまうので外に出せないという旨のことを言われた。そしてはっきり鬱だと言われた。わたしは結構へこんだ。鬱かよ、と思った。心の疲れってなんだよ。わたしはずっと死にたいんだ。それがちょっと顔を出しただけじゃないか。鬱ごときで病院にぶちこむ現代社会はとても過保護だ。自暴自棄になりすごく疲れた。かといって、退院したところで、無気力から抜け出せる保証はないのですけど。

12時に昼食。シチューとか出たりする。朝と同じルーティンで服薬まで終わらせる。午後は面会が許されている。父が来た。要望した漫画を置いていってくれたので元気なときに読みたい。不思議なのは、午後になるにつれて徐々に憂鬱な気分が治まってくることで、父とはまあまあ笑みも交えて話せるようになってきた。入院当初は誰の問いかけに関してもはい…かいや…でしか返せなかったのでこれは多分そこそこの成長。

18時に夕食。これはあまりにも早すぎると思う、文句言いたい。とろみのついた人参と細切れ肉のわけわからん煮物と、ご飯だった。今日は珍しく、推しへの手紙を書ける気持ちだったので食後にさらさらとルーズリーフ2枚ほど現状を綴った。

大事な舞台が始まるのに、私は鬱病で入院していて、主治医によると2ヶ月退院できないこと。

病院のテレビで推しを見たこと。 いままで、私なりにファンの最前線で、全力で追いかけてきたつもりだったけど、それが3年目で、ついに叶わなくなってしまったこと。 それはとても不本意であるということ。身体がいうことをきいてくれるならもっと会いにいきたかった。たくさんプレゼントもあげたかった。好きって伝えたかった。お芝居をたくさん観たかった。悔しくて悔しくて毎晩泣いていること。それでも気持ちは浮いてこないこと。死にたいとさえ思うけどいまは推しがいるし入院しているからぎりぎりのところで踏みとどまっていること。

それから、こんな状態なのにまだ好きなこと。

 

みじめだ、と思う。

人を好きでいる余力がどこに残されているのかはわからないけど、推しのことを考えると心がぎゅるぎゅると痛み始めるんだ。どうして私は限界を迎えてしまったんだろう。もっと頑張れないんだろう。ビニールパックを破くたびに、血圧計を右腕に通すたびに、ベッドのリクライニングを倒して天井を見つめるたびに、どうしようもなく苦しくなる。死にたくなる。

入院してから、しばらくの間は、推しのエゴサーチもできなかった。手紙も書けなかった。逃げたかった。現実から。いっそ忘れてしまえればいいのにと必死に念じた。でも無理だった。あまりにも好きという思念が強すぎた。推しのことを考えるたびに胸が痛むから忘れようとしても忘れられなかった。

今週末には舞台が始まる。

ますます私の死にたい症状は加速すること間違いなしだろう。推しに必要とされないわたしに、生きている価値はないんだと思う。推しの力になれなければ、動員になれなければ、この絶望的によどんだ、悲しいばかりの世界で頑張って生きている意味がない。

気持ちは十分なので、あとは勇気だけだと思う。この死にたい症状は、入院で治るのだろうか。はたして疑問ではある。

たとえ退院して、またおたくに戻ったとしても、推しはどんどん売れていって、いつかわたしを全く見向きもしなくなる日が来るんだろうと思う。現状を見るに、その日は遠くない。そうしたら、わたしの生きてる意味は本当になくなってしまう。亡霊のように生きるか、さっさと死ぬかしかない。

入院中のあまりの暇さに、最近ask.fmをやっていて、ときどき死ね系のメッセージが来るのだけど、どれもなかなかに的を射ていて早く死ななければという気持ちにさせてくれる。多少元気なときもあるけれど、それは刹那的な元気でしかなく、わたしはいつでも心の奥に黒々と希死念慮を飼ってすごしているので、あとはそいつにどうやって鞭を打つかなのだ。

こんな状態になってまで生きてる意味あるのだろうか。ビニールパックを破きながらいつも思う。もう一度推しに会いたいと思う。優しく笑ってこの気持ちをマシにしてほしいと切に願う。でも今のわたしにその資格はないとも思う。八方塞がり。衝動的に訪れる死にたさを膝を抱えて毎日待っています。