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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

舞台「弱虫ペダル」新インターハイ篇 〜スタートライン〜

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1週間ぶりに外に出た。ペダステに誘われていたためである。外に出たら道の歩き方がわかんなくなっていて困った。外に出るの久しぶりすぎてバスの発車音にいちいちびびって困った。耳がつらい。

ペダステは、舞台を生でみるのは初めてであった。DVDは見たことある。鳥越裕貴・太田基裕・鈴木拡樹がそろっていた時代のやつ。何人もハンドルだけを持って猛烈にシャカシャカシャカシャカ!!とやるのはやや笑えるらしいが、私は不思議と笑えなかった。むしろ、ここまで人間の視覚から感じられる断片的な自転車乗りの情報を表現できるのはすごいと思った。ペダステにかぎらず、なんかを舞台で写実的に(かつ、エンタメにのるように)表現するというのは大変なことだと思う。それが失敗している舞台をいくつも見てきた。

ペダステのすごいところは、感情をもーれつに揺さぶってくるという点にあると思う。 ただし、ひとつ注釈しておかなければならないのは、世の中には、量産される2.5次元舞台、ばらまかれる感動に飽き飽きし、もーこんな舞台ばっかりやるのならネルケマーベラスも爆散してしまえ!!という叫びがあふれかえっているが、確かにペダステの「笑い」「泣き」はインスタントであり、ベタだ。やや人間の反射に訴えがちな「笑い」と、スポ根のテンプレートをなぞったような「泣き」には批判もあるだろう。「ペダステつまらない論」はいま世間で声高に叫ばれているが、やはり人間、同じような手法で連続して笑いや泣きをとるということには限界がある。その先にはストーリー性がなくてはならないが、2次元と2.5次元のあいだにははるか高い壁が立ちふさがっており、現在一般におこなわれている手法に革新がおこらない限り2.5次元の発展にはやがてどんづまりが訪れるであろうことは容易に予測される。

 

今回の話は、総北高校という学校がメインだった。自転車競技部の部員たちが、インターハイ出場枠をめぐって合宿で争い、特に部長の手嶋とダークホースの古賀が序盤で熱のこもったバトルを繰り広げる。ふたりは3年生だが、古賀には1年のとき膝を怪我し、インターハイを完走することなく終えたという過去があった。

最後のインターハイ。最後の夏を賭けてふたりは必死に戦う。

舞台「弱虫ペダル」はプロレス的であり、幻覚的なのだ。

大の大人がみんなハンドル持って息せき切らしながらシャカシャカシャカシャカやっているという一歩間違えればコントになりかねない状況にトリップして、必死になって見入ってしまう。もちろん、薬物が個々に対して異なる忍容性を持つように、大の大人がシャカシャカやっているシチュエーションをクソつまらんと思う人も結構いるだろう。そして、大抵のスポ根モノにもれず、冷静になってみると勝敗がもー全然隠せていないような気がするのだが、そこをすっ飛ばして、「目の前の試合をただただ見たい」と思わせるのが、この場合プロレス的だといえる。「弱虫ペダル」における自転車レースバトルは、さわやかなプロレスなのだ。

特に、演者の体力をかなり犠牲にした上で成り立っているであろう「パズルライドシステム」には眼を見張るものがある。さも自らが移動しているかのような実感で舞台を俯瞰できる。

激戦の末、部長の手嶋がインターハイ出場枠に選ばれるのだが、私はこの手嶋というキャラをめちゃくちゃいいやつだなと思った。自らが部長という立場なのにメンバー選出に際して自ら争いの中に飛び込んでいき(部長という肩書きに対して、やや管理職的な見方をしていたのもあるが)最後まで妥協を許さない。そして古賀もいいやつだ。敗者として悔しいという気持ちを、すぐにチームへの後押しに変える姿はまさにスポ根の模範。さながら感動の混戦を呈していたが、もっとも私が感動したのは青八木一という選手が手嶋に呼びかけるシーンだった。ぼろぼろと泣いた。弱い、弱すぎる。涙腺が弱虫ペダル。実は前編を見ていないので、なぜここで感動の波がきているのかはいまいちわかっていないのだが、とにかく私はシンメトリー*1のために必死に力をふりしぼって励ますという状況に弱い。

演劇界の中には、2.5次元のような舞台での「感動」を安っぽいジャンクフードのようなものだと捉える人もいるであろう。一方的に消費し、飽きたら捨て、すぐにまた同じようなものがでてくる。高尚な人たちからすれば、必ずしも好ましい「感動」ではないかもしれない。もっと文学的な、もっと婉曲的な感動を追求しようとすれば、それはいくらでも可能だ。しかし、「エンタメ」として商業的にうったえかけなければいけない2.5次元舞台において、この脚本のようなバランスのとり方は非常にちょうどいいものだと思う。

たとえば、大感動してすべてを投げ打ってでも賞賛できるような作品に出会えたら、わたしは「2.5次元はジャンクフードを超越できた」と書くかもしれない。誰かにお金をもらって感想を書いてるわけではないので、むやみにそれを乱発することはしないであろう。

さらに良いと思ったのは、1年の新人選手・鏑木一差が「神様」の存在を最後に背に受け、スパートにすべてを賭けるシーンだ。「神様」の正体は先輩の青八木であったものの、自分の信じていた「神様」に後押しを受けて未知の敵へと挑戦していく。成長譚としてはやや小規模かもしれないが、やはりひとつの舞台の中に緩急がついており、その中にこういうキレのあるエピソードが挟まれていると見てて飽きることがない。

ライバル・箱根学園とのインターハイでの猛烈なバトルを経て、レースは可能性を残したまま舞台は終わる。いわばこれは前後編の前編であり、後編も見ないとスッキリしないという1回だけ見る人にとっては上手いなあという構成になっているのだが、いっぱい見ているとなかなか後編に行かないのでうんざりしてくるかもしれないのが難点。あと、総北高校のファンと、箱根学園のファンが同じチケット代というのもいかがなものだろう。総北高校は前半をえんえん合宿に割いているが、箱根学園はおもに後半、それもスプリントを演じる銅橋以外はだいたい集団で走って終わっている。箱根学園のファンは、前半なにをしているのだろうか。ヒマじゃないのかな。

最後の「Over the sweat and tears」の合唱で、不覚にも私はまた泣いてしまった。歌詞で謳われているように、彼らには無限の夢と、輝く未来がある。このうるわしき青春の1ページに、私は立ち会えたのだ。がんばれ、総北高校。がんばれ、箱根学園。そう思いながら泣いていた。2時間半を通して放たれた、圧倒的な「青春力」の前に脳みそが麻痺してしまったのだ。その青春力は、キャストたちの輝きであり、舞台をつくりあげた人々の努力なのだ。(もちろん、この舞台の裏側を知ってしまえば、この想いは一気にさめるであろう。だから私は、自分の通う舞台に、あまり感情移入できないのかもしれない)そしてTOKYO DOME CITY HALLを半分ほど埋めた客席を見ながら、今日1回だけ来たオタク、それも誘われてふらりとやってきた私のような人間から、この1回を心待ちにし、日々の暮らしを一生懸命やってきたオタク、全通してこのペダルこぎたちとおたがい青春を捧げあっているオタクもいるんだと考えると、なおさら涙があふれてきた。この会場には、青春がつまっているのだ。みんながんばっているんだ。私はリタイアした自らを恥じながら、「Over the sweat and tears」をきいて泣いた。

そして最後には、モモーイの「ヒメのくるくる片想い」を、イケメンたちがおどっているのをみながらボーゼンと見送った。モモーイといえば、私にとっては神に等しき存在である。公式サイトで「元祖秋葉原の女王」と紹介されていたが、はたしてその意を何人が理解しているかは疑問だ。おすすめは2002年から2004年にかけて活動していた萌えソングユニット「UNDER17」の曲たち、あえてベストワンを挙げるとするならば「かがやきサイリューム」だろうか。この曲は、桃井御大のキュートな歌声の中に胸の痛くなるような切なさ、そしてプログレ的な要素もあるギターが絡まり一大協奏曲を奏でている。聴くたびに心が揺さぶられるのだ。

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ベストアルバムを3枚出している。聴いていて新鮮な驚きに満ち溢れているのは1枚目の「美少女ゲームソングに愛を!」、そして変化球に富んでいて楽しい2枚目「萌えソングをきわめるゾ!」、完成形にしてフィナーレである3枚目「そして伝説へ…」と魅力は尽きないので、ぜひペダステで桃井御大を知ったという方に聴いてほしい。

やや話はそれたが、爆音でモモーイの歌声が流れ、さっきまで熾烈な戦いを繰り広げていたイケメンたちがかわいく踊っているので、何かどっか変になったのかと最初は思った。しかし、これは重要なファンサービスなのだろう、と思う。推しがこういうことをしていたら、楽しいだろうと思う。(最初は、少しあきれるかもしれない…)

初めてペダステを見たが、話に没入できたおかげか、結構楽しかった。やはりものごとは先入観で判断されるとよくないので、楽しかったことは、素直に楽しかったと書く必要があると思う。しかし、ものごとを瞬発的に面白くすることと、継続的に面白くすることのあいだには大きな谷があり、そこを乗り越えるのはすごく難しいことであろう。ペダステの世界観には、初演から5年間で培われたであろうパズルライドシステムやモモーイの歌などの「お家芸」が確立されつつあり、このスタイルを貫いていくことが正しいのか、間違っているのか(革新を必要としているのか)は、ずっと通っている人の意見に委ねるべきだと思った。

 

 

*1:元々、ジャニーズ用語だがいまでは便宜的に「形式的・精神的に対になっている人たち」のこともさす