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残酷歌劇「ライチ☆光クラブ」/前衛と商業のはざま、内ゲバと思春期病

 

残酷歌劇 ライチ☆光クラブ [DVD]

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 タイムマシンがほしい。2015年に戻って最前列で観たかった。どうしてタイムマシンは無いんだろう。日本国の優秀な技術者の皆様におかれましてはどうか切実にタイムマシンを実現して頂けますように日々努力を重ねてくださいますと私が泣いて喜びます本当に。

 個人的にここ数週間で強烈な帝一の國フィーバーが吹き荒れており、大鷹弾!大鷹弾!と大騒ぎしてたら「ライチ☆光クラブも見なよ」と言われました。3人くらいに。でも若手俳優オタの間ではとにかく酷評されている作品という印象だったのでどうしようか迷ったのですが、友人の「赤澤燈が筋弛緩剤打たれてガクガクになりながら死ぬよ」という一言で、観るのを決めました。 そういうぶっ飛んだ作品大好き。

 と、いうわけで、これは映像だけを4回くらい見た人の文章で、私もこのブログにおいて舞台作品を単独エントリで扱う際には基本的には生で見たものしか取り扱わないようにはしているのですが、どうしてもエントリにしたい気持ちを抑えられなかったので、書いていきたいと思います。ですがやっぱりそういうの宗教上の理由で無理!という方もいらっしゃるとは思いますので、そういう際にはそっと閉じていただければ幸いに存じます。

 また前置きが長くなりましたね。

 

 本作の上演当時から「ライチはグロい」という話は散々耳にしていました。 通うおたくはキツい、見るに耐えない、という評判だったので、それは果たしてグロいからなのか、それとも作品のクオリティなのか、という疑問を抱きながら見始めたのですが。

 まあ確かにグロ耐性なければ推し目当てで劇場に来てこんなの見せられたらほんとに最悪だなって。

 私はびっくりさせられるのは苦手だけど、グロ耐性はついている人間なので(グロ注意って書いてあるページは余裕でスクロールできるけど、昔よくあったURL踏むといきなりグロ画像が出てくるのは無理!びっくりする!)グロ描写のある映画もまったくもって平気です。市川崑監督の「野火」も、グロ描写ばかり話題になって文学性があまり評価されていないのは不憫だなと思うし。同監督の「犬神家の一族」はカメラバーン!生首ゴローン!ってシーンに直面するとさすがにびっくりしましたが。 ていうか純粋にいわゆる湖の「スケキヨ」って怖いよね。足だけを水面に出せば合法的に死体をポスターにできるという狂った発想、結構すき。

 しかし、グロ耐性あっても目玉をくり抜くシーンはさすがに見ててア~痛いな~ってなってしまう。初日初演の最前とかで耐性ない人が見たら心臓止まってしまいそう。 あと、味方くんの華麗な自家発電シーン。味方くんの厨は大丈夫だったんでしょうか。あんなん推しにやられたら複雑な気分すぎて吐いてしまうかもしれない。推しが昨年ベッドシーンをやって発狂していましたが、自家発電シーンよりは全然マシだなあと猛省しました。

 でも、確かにグロいけど、血が流れまくってるけど、酷評するような出来では全然ないではないですか。

 耽美、エログロナンセンス内ゲバファシズム。これらに対して全く造詣や興味関心が無ければ、批判の矢面に立たされるのも無理はないです。これは2.5次元舞台のおたくに見せるには前衛の体を取りすぎている。天下のネルケプランニング様の商業演劇でここまでニッチな内容を盛り込んだ作品を上演するというのは、気が狂ったのかという感じです。原作ファンは見に来るかもしれないけど、俳優ファンからの受けは、理解できる人と理解不能な人の2パターンに大別されると思う。内容が苦痛な人にとっては2時間ただただ苦痛でしかないでしょう。

 だけど私は本作を評価したいです。全面的に評価したい。最後に大量の水をぶちまけて、浅い水槽みたいになったステージで、もはや崩壊した組織が内ゲバを繰り広げるというのは、あまりにも前衛的じゃないですか。衝撃。とにかく衝撃でしかない。

 アイアシアターという場所はとにかく俳優おたくと商業演劇にとって決して称賛されている場所ではなく、むしろ「負」の文脈で語られることの多い場所で、その場所に大量の水を注ぎ作中で「水没」させたのは、商業演劇に対する、壮大な前衛のアンチテーゼを含んでいると私は解釈します。反権威であり、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ的です。

東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

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  芸術家が反芸術の立場にまわった前衛活動としては赤瀬川原平の参加していた「ハイレッド・センター」が有名であり、上記の著書によってハイレッド・センターの行った活動については現在においても詳細に知ることができますが、彼らは数多の著名人や有名芸術家からの評価を受けていたとはいえ終始アマチュアの立場を崩すことはありませんでした。事実、赤瀬川原平は世間への知名度の通りその後作家に転身していますし。

 

 「少年たちの作り上げた穏やかな組織がやがて過激に変貌し、内部紛争へと発展する」というテーマも、美少年や耽美という素材によって若干マイルドになっていますが、これって連合赤軍の起こした内ゲバ(いわゆる「学生運動」などは未だにニュースで取り上げられることがあるが、それらを主導し最終的には山岳ベース事件やあさま山荘事件を引き起こした新左翼団体の最終的名称/内ゲバとは「内部ゲバルト」の略であり、一般的には新左翼系団体において行われる内部紛争やその結果による死傷者発生事件を指す)とほぼ一緒なんですね。

 この題材を扱うのも、相当気を遣うと思います。山岳ベース事件が発覚したのが1972年なので、40年超経ったからこそ上演しても完全な「創作」として受け入れられているのですが、例えるなら1995年に起きたオウム真理教の崩壊を題材にした作品を2035年に舞台化するようなものです。2035年には恐らく、オウム真理教を題材にしても事件をリアルタイムで知る世代は若手俳優のファンになりづらいと予測されるため、議論が巻き起こったりはしにくいでしょう。恐らく、このブログの読者層の方は、あさま山荘事件の背景に連合赤軍新左翼や山岳ベース事件があったとは知らず、機動隊が長野の山で鉄球使って山荘ぶち壊してテロリスト捕まえた事件ぐらいにしか認識していないだろう、と勝手に予測しています。

 個人の描く漫画とは違い、商業演劇は多数の人間が絡み、責任の所在が限りなく分散されてしまいやすいという点から、漫画ほど自由な表現が許されてはいないだろうという印象があるのですが(ボーイズラブコミックの濫造に対して、いまだに俳優界隈がそっちに突っ込んでいくのは一部の映画だけですし)原作を知らないとはいえ、ここまで実直に描写するんだ、というのは驚きました。

 まあゼラのやってる「処刑」の文脈を遡るとスターリンの大粛清やそれ以前の虐殺にまでたどり着いてしまうのでキリがないのですけれど、秘密のアジト、独特の(不条理な)ルール、壮大な目的、そして内ゲバさながらの虐殺は、原作となった漫画の原作である「ライチ光クラブ」が1985年に上演されたという事実を鑑みてもやはり山岳ベース事件からの影響は否めない、と感じました。

 戦前、プロレタリアートが芸術活動を盛んに行っていたのは1920年代に存在した日本プロレタリア文芸連盟によっても明らかなところですが、一旦分裂した演劇と左派というふたつの象徴を、ふたたび結び直した「ライチ☆光クラブ」という作品には仰天させられました。 そんなのありかよ、そんな発想ありかよ、と思った。

 

 ゼラの抱く、「大人になりたくない」「美しいままでいたい」という願望は、きっと多かれ少なかれ、誰しもが抱いたことのある感情では、と思うのです。その願望が権力と結びついてしまうとこうなる。 この作品の巧妙なところは、絶対的権力者であるゼラは実のところ脆弱性だらけで、簡単に揺らいでしまい、疑心暗鬼でいつも怯えている、という点で、彼はドイツ語を多用したり、作中でも言及されていたとおりヒトラーに憧れていたようだけれど、それこそヒトラーの悪い点までそっくりではないか、むしろその「病状」は彼が13歳~14歳であることでヒトラーよりも悪化している。「黒い星」は彼の背負っている思春期という重い罪悪の象徴です。

 私の敬愛するアーティスト、戸川純さんが、バンド・YAPOOSで「思春期病」という曲を歌っています。

思春期病 - YouTube

 この作品は「大人になんてなりたくない」という願望を、権力者が究極にこじらせるとどうなるか? という高度シミュレーションのようにも見えてきます。そして本作がただの虐殺では終わらないのは、その願望のかけらを誰しも心の中に抱えながら「思春期病」を乗り越えてきた故に、誰しもが権力を持てばゼラになる、誰しもが狂ってしまえばゼラになる、という、圧倒的な「後味の悪さ」を提供しているためだと私は解釈しました。ヒトラーも、決して優秀だからトップに立ったというわけではありません。もちろん彼は優秀でしたが、「わが闘争」を読む限り(別に読まなくてもWikipediaに載ってますけど)彼の人生は挫折だらけです。優秀であれども、別にエリートではないのです。 かなり極端な言い方ではありますが、素質さえあれば、誰でも「ヒトラー」的にはなり得るのです。

 私の結論としては、この「後味の悪さ」、そして思春期病を経験していない人間にとっては全く理解不能なゼラの動機、このふたつによって本作に対する酷評が生まれたのでは、と推測します。

 私は間違いなく、「ライチ☆光クラブ」は名作であると考えます。日頃各方面から恨みを買いまくっているネルケですが、私は本作を見てネルケやるじゃん!と認識を見直しました。観客からの評価を恐れずにここまで踏み込んだことをやれるなら、何でもやれると思う。一観客として、頑張ってほしいです。

 

 個人的に、「エルトン・ジョンのピアノ」の曲が好き。 曲は全部好きだけれど。サントラを出してくれないでしょうか……。

 カネダくんは原作においてはあまり顔立ちが綺麗ではないという設定のようですが、2012/2013年版での演者が廣瀬大介くん、そして本作での赤澤燈くんというキャスティング、良い方向に設定をガン無視していて素敵です。私はめちゃくちゃかっこいいと思うよ。

 考えれば考えるほどに永遠に観たくなってしまいます。危ないなあ。2012/2013年版はギャグ要素が多いとのことなので、どうなのかなあとは思っていますが、一両日中に観ます。映画版も。