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#もえのシチュCD修行 その3<大正偶像浪漫 帝國スタア 参番星 参邇>

 

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

 

(ネタバレを含んでいます)

 

 近代以降における日本の歴史は、発展の歴史であると同時に災害の反復の歴史であるということはもはやここで詳述するに足らないであろう。先日、「TOKYO2021」美術展を観に行った。キュレーションを担当した黒瀬陽平氏は、戦後日本の「災害と祝祭の反復」についてこう述べている。

つまり、この国の祝祭はいつも、災害に先行されている。災害が繰り返すからこそ、祝祭もまた繰り返されるのである。この認識を抜きに、祝祭について考えることはできない。

このような繰り返しを、災害大国であるこの国に宿命付けられた「忘却と反復」であり「もうひとつの永劫回帰」なのだとする歴史観もある(「悪い場所」)。しかし、今まさに眼前で繰り広げられようとしている忘却と反復のなかで、「宿命」に抗い、反復の外へ出るための術を模索することこそ、芸術の「使命」であるはずだ。 https://www.tokyo2021.jp/bizyututen/

 本作が発売された2014年は言うまでもなく東日本大震災の3年後であり、また作中では関東大震災が大きなターニングポイントになっている。ヒロインを「不細工」と罵り、泥水を飲ませる攻撃的メンヘラの参邇はDisc2において最終的には穏やかな形でヒロインとの恋愛的コミュニケーションを成立させるのだが、その大きなファクターとなるのが関東大震災だ。

 関東大震災を「萌え」のために、いわばギャルゲーのイベント的に消費する、つまり学園系恋愛シミュレーションゲームにおける文化祭や卒業式と同等に消費する態度が本作の中では顕著にみられる。そのような態度は一見すると不謹慎にも感じられるだろう。しかし日本人と「萌え」の歴史において、この「萌え」消費の形態はまさしく反復であり、例えば終末妄想ともいえるであろう「セカイ系」消費が日本のサブカルチャー界で成立していることがそれを示している。痛々しい災害の記憶さえも「萌え」に転化する態度の浸透は、映画「君の名は。」がヒットしたことにも現れている。

 東日本大震災の3年後に、関東大震災というイベントを攻略キャラの改心のためのファクターとして消費する態度はまさしく反復であり、また「震災以後」のサブカルチャーの気分を端的に示す興味深い例だ。

 また、本作においては参邇のメンヘラリティが全面に押し出され、特にDisc1においては参邇が暴虐の限りを尽くしている。個人的にDisc2は参邇が徐々に正気に戻っていくのであんまり好きではないのだが、それはともかくとして、参邇の生育歴からくる不幸、売春行為、養父からの虐待といったテーマが、大正時代を舞台にしているものの、現代とあんまり変わらないためにこれもまた反復になっていることが非常に興味深い。

 参邇はヒロインに構ってほしいために、瓦礫の下敷きになったと嘘をつく等の「試し行為」を繰り返し行う。彼は非常に境界性人格障害っぽい言動と行動を取る。このメンヘラリティが持つ"気分"はあまりにも現代的だ(決してリアリティの欠如と批判したいわけではない)。

 この参邇の不幸が持つ"気分"がどうして現代的に感じられるのかといえば、参邇の語りが極端にリアル系ケータイ小説のようだからだろうか。参邇を心配し、華族相手の援助交際(と定義していいのかは不明だが。どちらかといえば「パパ活」に近いだろう)を辞めるように説得するヒロインはまるでケータイ小説に登場する諭し役のようである。本作ではその不幸気分さえも萌え要素として消費するに至っている。

 災害、攻略対象の不幸、そして最後に萌えにおける問題の重なりがみられるポイントが擬似家族の構築である。「家族」は繰り返し、萌えコンテンツにおける大きな問題として取り扱われてきた。さまざまなフィクションの中で本物の家族を作れない者たちは擬似家族の構築というかたちで「家族」にありつこうとする。(ゲーム「家族計画」などはその顕著な例である)

 本作において最後に参邇は不幸な子供たちを救うために「孤児院とはいえないまでもそういうもの」を設立し、自らが「父さん」になり、ヒロインを「母さん」にしようとする。この異様さは作中前半~中盤における暴力と試し行為によってやや霞んでいる感があるが、文に起こしてみるとかなり怖いことがわかる。参邇はメンヘラリティを抱える中で最後に擬似家族への憧れに辿り着き、震災後、崩壊したセカイの中でヒロインとの擬似家族を作ることで自らの居場所を再構築しようと試みる。その心の動き自体は平凡なもののように思えるが、しかし作中前半~中盤における参邇の態度がかなり異様なものであるため、急な感は否めない。とにかくシンプルに怖い

 萌えコンテンツは繰り返し「災害」「不幸」「家族」というテーマに対峙してきたが、シチュエーションCDという形態における左記のテーマへの向き合いの臨界点が本作であるように私は感じた。

 あとキャストトークにおける梶裕貴さんの態度が参邇に対して「難しいところでした……」という感じなのが一番面白かった。素直すぎる。