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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

舞台スーパーダンガンロンパ2再演がまともな演劇だったのでまじ感動した

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な、何を言ってるかわからねーと思うが(略)

初演の感想を書いたときにボロカス叩いたことに定評のあるわたしですが、その後も舞台スーパーダンガンロンパ2はわたしの心の中にストーリーがイミフな舞台とゆートラウマを根深く植え付けたまま約1年半が経過していました。 結局20公演くらいみたんだけど20公演みても話がわかんなかったからある意味革新的。なんか当時の感想読み返したけどやっぱ純粋だわ。推しかっけーって思ってるとどんなくそ舞台でもそこそこ賞賛できるのはカルト信者だからだよな、わかった。何か当時の感想では結構オブラートに包んだディスり方してるけど、初演はまじでイミフ舞台だったからな。再演やるって決まったときは(やるだろーなーとは推しの言動的におもってて実際無印再演のカテコで発表されるだろーなーとおもってたけどさ…)ぴぎゃああああってかんじだったし。始まってからもあーあ行くのめんどくさいなーと思って2公演くらいチケット無駄にした。ごめんて。六本木までいくの本当面倒くさくて。チケット取ったけどさ―。

だって初演だと「俺は俺のままでいたいけど世界が破滅する!!どーしよ!!(発狂)」→七海『どっちも選べないならつくっちゃおうよ☆』→日向、ヘタレから突然の覚醒→俺の主人公パワーですべてを解決するぜ!!~完~ という超トンデモ展開で話が終わるので、は?意味ワカンネーこの舞台くそだな。って思いながら20公演くらい見てたですよ。だって、主人公パワーですべてが解決できるならそもそも殺し合いとかする必要ないじゃん。カムクラがー未来機関がーって言ってるけど全然説明なくてこいつら何言ってんだ状態で終わるし。 ふだんは「こんな舞台おもしろいと思うやつは頭わいてる」的なことは絶対言わないようにしてるんですがダンガンロンパ初演に関しては実写化めあての原作ファンでも盲目お花畑俳優厨でもないのにこれすげー!おもろ!!って思う人はまじで何も考えてないんだとおもいましたね。 原作やってて話の筋がわかれば勝手に脳内補完してヨカッタネーでおわれるけどあの脚本で初見がすごーいおもしろーいってなるわけねーーーーだろ。なーに考えてんだ。ばかか?

と、いう負の歴史背負いまくりな舞台スーパーダンガンロンパ2ですが、再演をみたらなんと演劇としてちゃんと成立していました!!!!! すご~い!!!! めでたーい!!!!! これは煽りではないよ、まじで。

根っこに初演の脚本があるのに、説明を地道に地道に(よくやりました…)書き足して推理部分巻いて2幕後半の説明を足して初見にも話のわかるバリアフリー舞台にしていたのは純粋に脚本演出の手腕だとおもいます、すごいね。そして舞台を見て初めて舞台って話がわかると面白いんだな~という感想をいだきました。逆にいえば話のわかんない舞台はつまんないんですね。そりゃそーだな。話わかんないのに面白いわけないわ…。

べつに悪口言うつもりじゃないんですけど(フリ)松崎脚本自体がそんなに評判よくないことに最近気づいたってゆーかとある俳優の人が松崎脚本の舞台みにいってたんで面白かった?ってきいたら松崎脚本の舞台で主演やってたくせに「うーん……まあまあまあまあ……」っていってたんでしょうがないですね。主演はったんだからお世辞のひとつやふたつも…言わなくていっか…

でも客席の埋まり具合でいうと10日間連続マチソワとかやってた初演に比べてなぜか人入りが減ってたのであーやっぱみんな飽きてんのかなーとかゲスなことかんがえてました。ごめんな。

舞台において大事なのは、話がわかることですね。お金払って舞台みてるのにこんな初歩的なことをいちいち書かなきゃいけないとか、つらすぎるわ、まじで。でも、12000円とかとってるのにストーリーを説明する気がなくて、原作しらないとちゃんと話がわかんないっていうのは、もはやそれは脚本家のオ◯ニーと一緒なのですよ。まあそーいう脚本家演出家がいるからマトモな舞台をやれる脚本家演出家が食ってけるんだって見方もできるけどさ、割をくわされた観客がまじでかわいそーだと思わないのか。

しかし、初演のトラウマでダンガンロンパ自体嫌いだったんですけど、再演みたらダンガンロンパ自体は割とクローズド・サークルものとしてはよくできてることに気づけたのでよかったです。作品に罪はないね~。…でもストーリーがちゃんと成立してるだけで感動するって感動のハードルひくいな…悲しい。

 

良かったところ

・全体的に登場人物のテンションがワントーンさがっているので銀魂かぶれの腐女子の会話をエンドレスで聞かされているような致命的むず痒さが軽減されている。あの人数とキャラの濃さで永遠にぎゃーぎゃーやられると正直つらいので良かった。

・狛枝がなぜ希望にあれほどこだわるのか、日向に執着するのか再演にしてやっと理解できた。初演のときは強迫性障害の残念な人だと思っていたし自分で倉庫に火つけたのもイミフだった。(何か未来機関とか裏切り者とかの説明がテキトーに流されていたので)

・裁判や処刑など重要局面の展開が丁寧になっていたので、とくに弐大と眼蛇夢のとりあえず殺しとけ感が薄まっていた。初演だと処理感が否めなかった。

・ペコちゃんが九頭竜の目を刺してしまう(初演ではチビモノクマに攻撃されてぶっ倒れていた)のは、原作準拠らしいので良いとおもう。

・七海ちゃんのおしおき演出がオシャレになっていた。サイケですてき~。うずくまってるの美しいなあ~。

江ノ島盾子の新録部分は音声だけ録っていたので神田沙也加のギャラを最小限におさえる努力をしたのかなあと思った…初演を1回だけ観た友人がつぎはぎに気づいてなかったのでセーフ!

・最大の謎ポイントであった、生徒たちの過去、カムクライズル、超高校級の絶望などについて真面目に説明してくれたので、話がわかった(これが一番大事)。日向くんが何か無理やり覚醒して世界救った感や、いきなり主人公パワー!!ドーン!!俺たちの戦いはこれからだ!!感が無くなっていたので、すごい。ニュアンスの問題かもしらんけど、丁寧な描写により、なぜ日向くんが重い過去を抱えているのか、なぜ日向くんがシャットダウンを選択するのかなどについてようやく解読できたので、よかった。日向くんの行動はまじで理解不能だったが、2年ごしに理解できた気がする。カムクライズル登場と狛枝とのポエトリーリーディング対戦も、まー原作ファンへのサービスかな…くらいで流せた。あれが延々続くと鬱陶しいけど。

・蜂谷さんが、初演初見では目も当てられないかんじだったのに、2年の時を経てめちゃくちゃお芝居がうまくなっていた、何したんだ!?カンパニーの中でうまい部類にはいっていた、何したんだ!?

 

 

悪かったところ

・相変わらず九頭竜が推測だけで真昼を撲殺し(させ)てしまうのかが謎。別に犯人ってきまったわけでもないのに手出すの、早漏すぎて草を禁じえない。写真とっただけで殺されるとか理不尽だわー。かわいそ。しかもそのあといいやつみたいになってるし。(ただし、再合流時にやりとりが追加されてるのでいきなり許されすぎ感はかなり薄くなっている。これは改良点)

・なぜか横浜くんの滑舌がたまに死んでた、これは稽古不足の可能性がおおいにあるので仕方ない(前の舞台終わってからダンガンロンパ初日まで10日間しかない、事務所がくそ。鈴木くん植田くんは何か2ヶ月稽古したみたいなクオリティだったのでやはり超人)、しかし最もひどかったのはいしだ壱成であった。なぜ続投なのに再演でめちゃくちゃ下手になるのか本当に謎。何があった?初演ではもっと上手かった…。喋るたびに棒だなーと思うレベルで棒なのはいただけない。ソニアさんの人も重要なセリフそこそこあるのに結構何言ってるかわかんなかったのでもったいないなー…

・三瓶のキャスティングにゴーサインをだした大人はどーかしてると思う。おまえはちゃんと稽古したのか? というか、この制作(サイト見たら、ダンガンロンパ以外原作ものやってなかったっす、笑う、まじで。こんど黒薔薇アリスやるらしいけど…)はやたらと吉本芸人をキャスティングする傾向にあり、その中でちゃんと演技できてる打率は体感的に言って5割くらいなので、吉本になんの弱みを握られてるかはしらねーが、何も目新しくないし本業でもないフィールドにひっぱりだされて棒演技をキャパ900の箱で披露するハメになる芸人がかわいそーなので今すぐその縁を切ってほしい。 ニューロマンスおにぎりは、野性爆弾くっきーより演技が上手かった。というか、くっきーはどー考えても客層に合わないギャグを毎公演連発していたので、それがない分得点が高かったともいえる。

モノクマの声が、まじでちびまる子ちゃんだったので気が散った、まー大山のぶ代ドラえもんだから世代の人にとっては気が散るのかもしらんけど…(今年20歳、水田ドラしか見たことねーです!)大山さんの素材でどーにかならんかったですかね、そんなにセリフ変わってなかった気がする。契約上の問題ならしかたないな!

・初演のときに花村の自分語りうぜー!って散々思ってたのに改善されてるどころか2倍くらいの長さになってたのでまじ発狂した、いらねーよ。あのキャラは誰に需要があって生み出されたキャラなんだよ。ランダム方式のグッズとかで、あいつ入ってたら、こまえだの厨とかが売り場の地面に捨てて帰る懸念があるだろ、確実に。デブキャラでキモキャラで変態とか、救いようなくね。

・罪木ちゃんのおしおき、ロケットまたいで舞台を走り回るのはややコント感が拭えなかったし、将来倉持さんや高野さんがバラエティタレントとしてテレビに出た際などに秘蔵オモシロ映像としてスタジオで爆笑をさらってしまう可能性があるのだけどアレでいいの?

 

あー、なんか長くなってしまった。再演、誰でもわかるバリアフリー舞台に進化してるので興味あるけどポカーンってなる舞台はやだなーって人ははやく観に行ったほうがいいですよ、チケット超あまってるから。26日までやってるって。

初演が戦犯だと、再演のイメージも割をくってしまうということを心にきざんだ観劇でした。ふつーに面白かった。希望と絶望の相転移ですね。 初演通ってたときに、毎公演イミフでしんどかった自分をようやく供養できた気がしました。おつかれ。

舞台「スーツの男たち」ー頭の中がカユいんだ

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観てきました。もーそろそろブログのカテゴリに「安西慎太郎」を開設すべきか悩んでいます。昨年8月の「喜びの歌」、10月の「幽霊」と同じシーエイティ制作でした。半年強で同じ制作の舞台に3本も出る安西くんはなにかの政治的策略に巻き込まれているんだとおもいます(テキトー)。でもそんだけ一個の制作に気に入られてるっていうのは羨ましいなあ…。

最近昼夜逆転してるのに何かうっかりマチネ取っちゃったからひーひー言いながら起きて顔の血色が死人みたいになってるのをみながら高円寺いきました。アトリエファンファーレ高円寺、キャパ80です。人生で入った中で一番小さい箱かもしれない…多分。ここがすごいよ!アトリエファンファーレ高円寺→ステージ横にトイレがある(入るのが何かこわい…)

https://www.stagegate.jp/stagegate/performance/2017/men_in_suits/

時にユーモラスで、時に切ない、男たちの物語。 

 みなさん騙されてはいけません。 ユーモラスとゆー言葉に油断して、んー、愉快なマフィアたちのコメディ会話劇かな??ってかんじで観に行ったらホラーを見せられて「…………」ってなりました。暗い。鑑賞後の感想が暗さしかないです。

安西くんはけっこう知的でクールな殺し屋・マックス、章平くんはその相棒をつとめるお調子者でお喋りな殺し屋・ボビー、この二人芝居で基本的に話は展開していきます。ボビーがもうずーっと喋ってるしマイペースだしやかましいから霞むんだけど、なんか、マックスは危ない雰囲気をただよわせてるんですね。ボビーは結構、うわー割と人間として一緒にいるのめんどくさいわーってタイプで、具体的にいうと無人島にこいつとふたりで流れ着いたら真っ先に崖から蹴り飛ばしたいなーってタイプなんですけど、そういうボビーにもなんやかんやで付き合ってあげるマックス優しいな~って思ったら幼馴染でした。情かい!

マックスの、「なに考えてるのかよくわかんない」感じが圧倒的に伝わってくるのです。物語中ずーっと。ささいな掛け合いでボケとツッコミが成立して場内から笑いが上がるときがあってもずーっと何か不穏……それは雰囲気としか言いようがなかったけど……そしてボビーが何も考えていないというかノーテンキなので(上司に謝りにいく前にビール飲むの、社会人としてごみだな!)こいつは歩く死亡フラグなんじゃねと思ってしまった……。

結果として、マックスは形容してしまうとビョーキになってしまったので、嫌気がさし、平凡な生活に憧れるも、良くも悪くも忠犬たるボビーにざんこくな殺され方をされてしまうのですが、ボビーもまたびょーきになってしまうという、救いようのない終わり方だったのですね。多分これは無限ループものだなーと思ったら暗ーくなってしまった……。逆説的にいえばマックスも昔はボビーみたいな性格だったのかもしれないですね。考えると暗くなるけどね…ツイッターで検索したら「マックスとボビーを日替わりでやってほしい」とゆー意見があってそりゃ輪廻だなぁーと深く納得した。片方を殺すことでもう片方が新たな世界線へと踏み出す物語構造なのでそれは非常にあっていると思う。わたしの大好きな「TRUMP」が代表例ですけどお互いの死がつづくかぎり輪廻は閉じないんですね。

暗い暗いといってますけど話の構造としてはもーほぼ完璧でケチのつけどころがないんですよ。すごいいい脚本をすごいうまい俳優が演じてるからこれだけ感情がゆりうごかされるのだ…功罪だね。ロードムービー的構成のなかで地道に風呂敷を広げて最後に風呂敷をちゃんとたたむ…とゆーよりは風呂敷ごと炎上させるので鑑賞後の気持ちとしては結構きれいな気持ちなんです。まー、暗いけどね…。上演時間が1時間半で二人芝居なのでやや単調になるのではと初めは懸念していたのですがそんなことなかったです。とてもあっという間だった。

個人的には安西くんが寝るときに上着をぬぐのがツボでした。イケメンのスーツ姿、すばらしいねー。ボス(羽場裕一さん)もいいイケ感だったので、スーツがフェティッシュな人が観に行ってもいいんじゃないかなーと思います。気分の保証はできかねる!

あとは、話の途中でなんら関係ないシーンなのにBGMの旋律がマックのポテトが揚がる音と一緒とゆー演出家どうにかしろよ案件があるので、そこは小笑いです。しかもメロディーが徐々にオシャレになるせいで、ポテトがオシャレに揚がっていくのもどうにかしろよ案件です。この制作でそーいう感じのギャグ案件を見たのは初めてなのでちょっとずっこけ通り越して感動すらしました。

 

安西くん演じるマックスは、殺しのトラウマにさいなまれているのか、悲鳴がきこえて夜眠れないノイローゼ状態という、現代社会なら休職案件なビョーキなのですが、それが明かされるのはかなり終盤なのに、観客にかなりの説得力を与えているのは、ひとえに安西くんが「頭の中がカユい人」の演技がめちゃくちゃ上手いからだとおもうんですね。

昨年7月に観劇した「K -Lost Small World-」でも安西くん演じる伏見猿比古は父親の亡霊につきまとわれる(という他者に原因を発する妄想)せいで頭の中にいろいろ沸いてる人の役をやってるんですが、リアリティが、すごいね。「幽霊」でも本当にビョーキ(性病だけど…作品世界では死に至る病と認識していたので)の青年の役をやっているので、安西くんって何かずっと病みっぱなしだな~と思ってしまったのですが、それだけ上手いってことだよなあ、しゃーない。

今作のマックスしかり、「幽霊」のオスヴァルとか、ロスモワの猿比古とかに共通する、自らの思い込みが強固になってしまって具現化してにっちもさっちもいかない的状況に苦しむ安西くんの演技を、どう形容しようかと考えると、中島らもではないですが、「頭の中がカユい」という感じになるのです。

頭の中がカユいんだ (集英社文庫 (な23-21))

頭の中がカユいんだ (集英社文庫 (な23-21))

 

 ↑名作。みんな読もう。 結局最後にはマックスはボビーに殺されてしまい、そのうえ無慈悲にも腹パンされまくってしまうのですが、ボビーはマックスに対してもともと親愛の情を抱いていたはずであり、一緒に仕事をし、ボスの前で「いいやつ」とまで言い切っていたのに、そこまで容赦なくなれるというのは、マックスに死に際の恨み言を吐かれたからなのか、それとも人間本来の業とゆーやつなのか……すべては虚しいのです。例え話「ボーイスカウトのバッジ」が、ボビーの心にどれだけ根ざしていたのか、という話です。ボビーも最後にびょーきになってしまうのは、死体蹴りをするとこわいよーという、ある種の寓話的でもありましたが…。

テーマがそんなに難解じゃないし、演出も全く凝ってない、とゆーかほぼ何もひねってない分、なおさら人間の純粋なこわさが浮き彫りになり、フルパワーで観客の心にビョーキの疑似体験をくらわせてくれる音響もあわさってホラーになっているのですね。完成したホラーだと思います、本作。ホラーっていうのも、ゾンビやオカルトの、ある種不条理な恐怖感じゃなくて、すごくシンプルな、人間と人間の生み出してしまう恐怖感なので…。

ただこれはつらいなーと思ったのは、作品として完成度が高いのと通いやすいのってまた別の問題で、これはめちゃくちゃ通いづらいなーとおもいました。トラウマになっちゃうよ。わたしなら全通分チケットもってても土下座して制作に返して逃げるね。音響が本気だしてて観客みんながマックス状態におちいる…みんなビョーキになっちゃうしみんな不眠症になっちゃうよ…つらい。暗転もアトリエだから本気の暗転でブルーシアター(笑)の生ぬるい暗転しか最近みてなかったわたしはおびえました。ひーこわ。通いのみなさんは、体調をくずさない程度に通ってください…。何卒…。

充足感のある暗さを味わえるので、ひまな方はみなさんぜひ見に行ってください。いい演劇の感想はインターネットにかこう。4/2までやってるって……長いね!

 

 

大森靖子「kitixxxgaia」1万字レビュー/大森靖子はサブカルを見捨てたのか

今日は大森靖子の新譜の発売日だった。メジャー3rdアルバムにあたる1枚である。早速聴いた。全体的に思ったより明るくなっていて腰が抜けた。レビューを書こうと思う。

 

Tr.1 - ドグマ・マグマ feat. fox capture plan


大森靖子「ドグマ・マグマ」Music Video/YOUTUBE Ver.

1曲目にパンチの強い曲を持ってくるスタイルはインディーズ2ndアルバム「絶対少女」から変わらない。PVが公開されたときから「ドグマ・マグマ」は聴きまくっていたのだが、これはめちゃくちゃ良い。メリーゴーラウンドのように繰り広げられる変調、大森の唱える「神様」論が存分に繰り広げられる詞、文句なしのパンチの強さである。どんなもんじゃいと1曲目を聴いてみたリスナーにその後も進ませるインパクトは十二分にある。大森とバンドといえば大森靖子&THEピンクトカレフとして出したアルバム「トカレフ」の印象が強いが、コラボレーション相手のfox capture planがジャズロックバンドということで、ロックというよりはやはり乾いたジャズっぽいドラム、そして珍しくギターの音は目立って鳴らず、代わりにAメロでは童謡ちっくに、Bメロでは情動的に、サビではエモくピアノが鳴る。BiS等を手がけている松隈ケンタが第一期BiSの解散前末期(2014年位)にピアノを多用した曲を乱発してエモ~い!とヲタに言わせまくっていたことは記憶に新しいが(今もピアノ多用してるかは知らん)、ピアノはとにかくサブカルオタクに響く。あと、やっぱりジャズドラムにはグルーヴ感があると思う。YMOのレコーディングではグルーヴ感を出すためにドラムセットの1つ以外に毛布をぐるぐる巻きにしてそれぞれ別録りになる手間を惜しまず1つずつ音を録っていたらしいが、ま、多分グルーヴ感というのはそれくらい出すのが難しいのだ。

もしもーし?もしもーし。わたしだよ、わ・た・し。神様!え?わかんないの?証拠?うーん……

このセリフに、大森靖子のなかの自己肯定度合いが集約されているのではないかと思う。大森は「クソリプ&DM神社参拝歓迎」として約10万人いるツイッターのフォロワーから手広くクソリプとDMを募っているが、"神様"と崇められる(それは自らを"神社"と形容していることにすなわち通じる)反面、「証拠」をだせと世間やファンから突きつけられることもある心情をそのまま表しているようにも思える。この点、大森の自己分析はかなり的確な域に達している。「誰でもなれますGOD」と、リスナーへの励ましとも、自虐ともとれる詞を書いているのがまさにそうだ。大森靖子という神は、けっして傲慢ではなく、むしろ「神」といわれることに対して自嘲しているように思える。「私に生きる意味がないと/おまえが決めるなさっさとアーメン/神様だとも知らないで/アーメンアーメンさっさとアーメン」という、「神社」=リスナーに間口をひらいているその中で牙をむく神の姿が垣間見える。

前作のリードトラック「TOKYO BLACK HOLE」で地獄、死、絶望という重厚なテーマをリスナーに盛大にぶつけた大森は、今作では人種、戦争、愛、神という、例えるならやや国連っぽいテーマにグレードアップし、一般層からすれば耳触りもかなりよくなったと思う。アルバムを通してこの傾向は変わらず(後述するが)、これは大森靖子なりの「売れたい宣言」なのか、「脱・メンヘラの神」なのかはわからない。それとも大森の情動が単に今作ではそっちに傾いているだけなのかもわからない。何はともあれ、大森の音楽史の中で「kitixxxgaia」を分類するならば、間違いなく「売れ線」寄りではあると思う。

 

Tr.2 - 非国民的ヒーロー feat.の子(神聖かまってちゃん


大森靖子「非国民的ヒーロー feat.の子(神聖かまってちゃん)」Music clip

神聖かまってちゃん・の子とタッグを組んだ1曲。これは、泣ける大森靖子のアルバムはなぜかいつも2曲目が強烈である。(魔法が使えないなら「音楽を捨てよ、そして音楽へ」、絶対少女「ミッドナイト清純異性交遊」、洗脳「イミテーションガール」、TOKYO BLACK HOLE「マジックミラー」)

の子といえば、昔は「僕のブルース」とかの破壊的な曲ばかり作っていた印象だが、今作はメロディーメーカーとしての参加で、かなりキレイな曲を見事に提供している。といっても、の子は曲だけ見ると昔からすごくキレイな曲を作りまくっていて、2010年の「つまんね」収録「美ちなる方へ」は大傑作だと思うし、有名どころでは「23歳の夏休み」なんかもそうだと思う。しかしそれにしても、の子は最近さわやかな曲を作りすぎていて、彼の心に何があったのかを考えるとビビってしまう。


神聖かまってちゃん「きっと良くなるさ」MusicVideoフルVer.

これなんか、もうファンキーモンキーベイビーズ顔負けの詞である。の子、これでいいのか!?「嫌なこともそりゃあるよな Come on baby! 気にすんな」って……。そんなバンドでしたっけ、神聖かまってちゃん……。

話がそれました。それはいいとして、この曲は、大森が得意とする「ドルオタの繊細な心情ソング」で、無力なヒーローの歌でもある。ヒーローというのは、理想形として「君」を救い世界を救うものだけれど、この曲で歌われている「僕」は、「本当は誰も傷つけたくない」「すぐには許せない、だけど引きずられたくない」そして「傷つくのも慣れてきたし、僕じゃ何も出来ないかな」という、弱いヒーロー、どちらかといえばヒーローになろうとしてもなれない人の姿である。(大森曰く、「非国民的ヒーロー」はの子の歌らしい)けれどこの歌には、救いがある。「愛する気持ちだけでは報われない」けれど、「愛する気持ちだけでも折れずに生きてりゃ充分」だとはっきり歌っているのだ。全体的に弱い歌ではあるんだけれど、それでも「そのひとつのミスですべてを否定されても怯むな」とスローガン的なことばが随所に散りばめられていることで強さが生まれている。この「弱さ」と「勇気」によるギャップでこの曲には大きな「泣き」が生まれた。

 

Tr.3 - IDOL SONG

この曲は、大森靖子の趣味である。最初っから最後まで、潔いほど大森の趣味である。この曲をエイベックスから出せる大森靖子はすごい。延々とひたすらアイドルのキャッチフレーズを羅列し、アイドルではない大森が「理想のアイドル」として勝手に(といってはこれこそが勝手だが)アイドルになりきった詞を書いてアイドルの歌を歌っているのだ。これは夢小説の書き手にも通ずるワナビ精神だ。ドルヲタが「ねえアイドルが楽しい!いっぱい愛が舞ってる!ステージから見る景色がずっと宝物さ!」と声高らかに歌い上げているわけで、これはアイドルの気持ちを歌った歌というより、ドルヲタの理想を歌った歌という点に留意する必要がある。その点、共感できる人もいるかもしれない。しかし私は、こりゃ「IDOL SONG」じゃないだろ、と思ってしまい、そんなに手放しでの賞賛はできなかった。

これは大森が道重さゆみヲタであることにも通じているかもしれない。確かに道重さゆみは「理想のアイドル」なので、「アイドル」に夢を見るという点ではかなり適した人材であるといえる。もっとも私は道重さゆみの出で立ちに反リアリズム的なものを感じてしまうし、たとえ道重さゆみ相手だろうと現実を知ったときにダメージを受けてしまうことは絶対にあると思う。夢見るドルオタは現実から逃げているだけだと私は思う。(没頭することが悪いとかそういう話ではなくて、アイドルに対して幻想を抱く一辺倒なのは馬鹿なので、現実を知ってその上で応援していく必要があるという話だ)この曲のコンセプトは男子中学生のノートの落書きみたいなもんで、「アイドルはみんなハッピーで、キラキラで夢と希望に溢れていて俺たちに幸せを届けるためにがんばってくれているんだ!」という傲慢さと理想の押し付けを感じないこともない。

サウンド面は正統派のアイドルソングっぽい。いい曲なのだが、これも混乱に拍車をかけている。あんまり聴くことはないと思う。

 

Tr.4 - JI・MO・TOの顔かわいいトモダチ

東京生まれ東京育ちなのでこの感覚は若干わからないといえばわからないところがあるんだけど、「鮪漁船のうた」に出てくる松山港に通じる閉塞しきった田舎の匂いというのは初期大森作品に散見され、それらの着地点として大森はこの詞を書いたのかもしれない。でも、「あんたは恋より大事な一生もののトモダチよ」っていうのはどう考えても薄っぺらい。これに共感できる~!!って人はそもそも大森靖子聞かないと思う。そういう詞を歌う役目は西野カナとかが果たしてるから、別に大森靖子がやる必要は全く無い。とある演出家が「いい感じのBGMが鳴っているときにいい感じの演技をする役者がいるが、その時は役者に「その役割はBGMがしているので君は別のことをしろ」と言う」と言っていたが、全くそれと一緒で、わざわざ詞にすると非常にくどい。大森靖子は考えてないのかもしれないが、こういう価値観を丸出しにすることで、所詮田舎者じゃねーかという誹りは免れないし、サブカルとは全く反対の地点にあるだろうマイルドヤンキー的な、さらに言ってしまえば小学5年生女子が持っているファンシーグッズに書いてある「大切なトモダチ」「心友」的なものを感じてしまう。まあ、別にスタイリッシュな人になってほしいという熱烈な希望を持ってるわけでもないので、いいんだけど。これもあんまり聞かないと思った。

 

Tr.5 - 勹″ッと<るSUMMER feat.あの(ゆるめるモ!

www.youtube.com

初聴時の印象は、やや歌謡曲っぽいというか、なかなか渋いコード進行をするなあというものだった。昭和の匂いがする。途中から乱入してくるストリングスとブラスバンド(かな!?)のおかげで、年末番組でよく流れている懐メロ番組で歌手の後ろにずらっと演奏陣が並んでいる光景が脳裏に浮かんでくるのだ。歌詞は散文的で、JKがツイッターのプロフィールに書きたくなるいい詞だと思う。大森にとって夏とはなにか?聴き込んでも、よくわからない…。けど、それがリスナーの受け止め方としての「大森靖子らしさ」なので、すごく良いものに仕上がっていると思った。

 

Tr.6 - 地球最後のふたり feat.DAOKO

おしゃれジャズなのかな?と、いう印象を受けた。歌詞はSFをイメージしているのかもしれないが、大森詞にしては珍しくあんまり頭の中にするっと入ってこない。多分、AメロとBメロとサビの区別がよくわかんない(DAOKOのラップのせいもややある)からだと思う。

 全体的に、おしゃれなのは間違いない。おしゃれなピアノとおしゃれなベースとおしゃれなドラムのおかげで、映画の挿入歌にしても遜色ないおしゃれさに仕上がっているが、大森靖子大森靖子っぽさを期待していると拍子抜けしてしまう。

 

Tr.7 - ピンクメトセラ


大森靖子「ピンクメトセラ」MusicClip (short ver.)

「kitixxxgaia」ではシングル曲をリマスタリングして収録しているらしいが、一番違いがわかりやすいのはこの曲だと思う。オーヲタにはドンシャリと叩かれそうなバランスに振れているが私はこれが好きだ。背後でぴろぴろきらきら鳴っている音とボーカルの響きが際立ってかなりいい。ベースもドラムも音に深みがましている。そして、「ピンクメトセラ」はこのアルバムの中で一番の名曲だと思う。新録「ドグマ・マグマ」もかなり強烈なインパクトを残していったが、やはりピンクメトセラの中毒性に勝るものはない。不思議の森に迷い込んだようなメロディーライン、メルヘンを貫き通した歌詞の世界観がとにかく「ゆめかわいい」のである。これほどまでにゆめかわいいを体現した曲は他にないと思う。

防波堤もトラウマも地続きのストーリー 踏んで潰して 痛い 痛い 痛い

「きれい」と「きたない」が表裏の位置関係にあるように、かわいい曲の中にもリスナーの中にある「トラウマ」「痛い」を喚起させる表現がぎゅっとつまっている。「ゆめかわいい」と「黒歴史」を大森が表裏一体にした瞬間であり、そこから「命がけで逃げよう」とシャウトする。ゆめかわいさの中に毒を力いっぱい込めているのだ。そして「逃げる」という行為は、メルヘンでロマンチックである。映画「卒業」でダスティン・ホフマンが結婚式に乱入し花嫁になったヒロインをさらって逃げるシーンはあまりにも有名だが、古今東西であの作品のパロディが無限に繰り返されるのはやっぱり逃げるという行為、さらに日本人は駆け落ちという行為にあふれるメルヘンとロマンを感じているからであろう。

「喜びも悲しみも一秒ごと全部君に伝えたい 痛い 痛い 居ない」という、めいっぱい切なくて、エモい、そう、ピンクメトセラはエモいのだ。エモい歌詞が私たちに充足感を与えてくれる。捉えようによっては、これは恋の歌だと思う。

 

Tr.8 - POSITIVE STRESS


大森靖子「POSITIVE STRESS」MusicClip

最近、小室哲哉が提供曲を乱発している気がする。BiSHにも曲作ってるし、超特急の「スターダスト LOVE TRAIN」とか(こちらはコテコテのTK節が堪能できる)、果てはアニメ「パンチライン」のキャラソンまで作っているらしい。……借金が、返し終わらないんだろうか……。そんな邪推はいいとして、小室哲哉の曲にいきなり「カリスマ全滅」という詞をあてたり、「スーパーの袋からはみだすネギだね あたしの才能」という詞をあてられるのは大森靖子だけだろう。大森靖子は、ロックだ。

この曲で大森は歌いたいことを思いっきり歌えているのではないかという気がする。それらは「逆もあるし/だけど君はわからなくていい」という一文だったり、「馬鹿にされて馬鹿のフリしちゃったら負けだったら」という一文だったりする。曲も巨匠らしく技巧に満ちていて、エレクトロニカから始まり、ロックになって、サビで重厚なコーラスをかますことで聴き応えを生み出している。歌いたいことを本曲で歌い通している大森は、巨匠の曲だからといってブレることなく全力で大森らしさを出しており、相当なパワーを感じた。それだけに、アルバムのカラーから微妙に浮いている気がすることに残念さを覚える。

 

Tr.9 - 夢幻クライマックス かもめ教室編


℃-ute『夢幻クライマックス』(℃-ute[Dreamlike Climax])(Promotion Edit)

℃-uteへの提供曲のセルフカバー(歌詞違い)。やはりハロヲタというべきところなのか、Bメロ~サビのコード進行に結構なハロっぽさを感じる。詞もサビで「夢幻クライマックス 時を越えて」ってすぐ時を越えたり、「同じ地球踏んでいられるわ」ってすぐ地球規模に話を広げたりと寺田イズム満載。ただ、「あの子と僕」や「教室」というテーマは前作に収録されていた「少女漫画少年漫画」に繋がるものがあるのか、似た匂いを感じる。

ちなみに、℃-uteに提供した方は全然歌詞が違う。

 

Tr.10 - オリオン座


大森靖子「オリオン座」MusicClip

実はあまり好きじゃなかった曲。だけどじっくり聴いてみたら、結構いい曲だなと思った。泣きのギター、ストリングス、ベース、ドラムが絡み合う中で大森の歌声が響いてくる。

色を重ねて滲む世界を抱きしめた

手を叩いて見るものすべてを喜んだ

死を重ねて生きる世界を壊したい

最高は今 最悪でも幸せでいようね

昨年秋のTOKYO BLACK HOLEツアーで観客に「オリオン座」を斉唱させたように、この1曲にはいまの大森靖子が歌いたいことが詰まっていて、それは出産を経て得たであろう生への喜びであったり、「いろいろあったけど、世界は美しい」ということであったり、そのままストレートに「最悪でも幸せでいようね」というメッセージだったりするのではないかと思う。それは冒頭「ドグマ・マグマ」で提示した「神」としてのスローガンであり、この曲はいわば「宗教・大森靖子」としてのテーマソングなのだ。真摯に伝えたいことを歌う1曲だからこそシンプルな構成で6分間も聴かせる音になっているのだろう。

「願いは叶えば消えるかしら/消えても愛して」という一節からは、諸行無常すら感じさせる。音楽のコンテンツとしての消費速度が著しく上昇している中で、「魔法が使えないなら」で注目を集めてから4年、活動開始から10年もの間「信者」を引きつけて離さないのは、大森のストロングなメッセージ性はいつでも変わることがないからだと思う。「kitixxxgaia」で大森が生み出す「愛して」というリビドーは、「オリオン座」でいったん頂点に達する。

 

Tr.11 - コミュニケイション・バリア

曲調としては「続・ロックンロールパラダイス」を感じさせる。正統派アイドルソングのようなじれったい曲と詞、正統派に入る間奏のギター、正統派の大サビと、良くも悪くもひねりが全く無い。ただし詞は「ダメな17歳が延々と妄想を含んだ片想いをする」という、ちょっと「こっち側に寄せてきた」風味なので、まー共感できる人はできるのかもしれない。ストライクゾーンは、めちゃくちゃ狭いと思う。箸休めの1曲。

 

Tr.12 - 君に届くな kitixxxgaia ver.

一大組曲のように聞こえる。死ぬ前に、フルオーケストラでこれを聴いてみたい。「kitixxxgaia」では結構前向きなこととか夢想世界のこととかを歌っている傾向にあると思うのだけど、そのツケがここに全部一気にまわってきたのかと思うほど内向的で暗い詞。「オリオン座」が神の「陽」部分だとすれば「君に届くな」は神の「陰」なのである。ただ、「その全てを全世界にぶち撒けたい私のことを/君にだけは届けたくないほど/君が好き」と、好きであるがゆえの苦悩を歌っており、これは心にガーンとくる。

大森靖子という神は本作でかなり正直になっているなと思ったのは、「誰かが私の中の私じゃなさにお金を払った/気持ち悪い/こうして食べて、生きて、こころが膨張して/なにかが削られて気持ち悪い」と、クリエイターとしての苦悩みたいなものを正直にぶちまけているからだった。この曲だけは「歪み」や「憂鬱」を含んだ自閉的な感情をありのままに描いていて、終始売れ線、おしゃれさに寄ったアルバムの中にぽんと「君に届くな」を入れてきたのはリスナーへの挑戦のようにも感じられた。

 

Tr.13 - アナログシンコペーション

Tr.1が「ドグマ・マグマ」でTr.13が「アナログシンコペーション」なのは非常に上手くできている、と、思う。というのも、「ドグマ・マグマ」で提示した「神」としての大森靖子の姿が「アナログシンコペーション」できれいに昇華されているように思えるのだ。

ただ 私のかなしみはこの世界の犠牲ではなくて

それ自体が喜び

大森靖子はアルバムのラストナンバーになる本曲で自らが望む世界の形をはっきりと表明し、まさしく大森靖子の創造する「キチガイア」観として完結させた。曲においても「Hey Joy,ur my friend 平常に生きてる」部分にみられるような独特のリズム感は健在で、三拍子から四拍子へのトリッキーな変化も軽々こなす。ただ、この曲がラストに来ることで、結局「kitixxxgaia」で歌いたかったことは大きい愛とか大きい世界とかであって、大森靖子はそういう人なんだと思われてしまうと、やや損をしてしまうんではないかといらぬ心配をしてしまう。

 

総評

大森靖子は、メジャーで出した「洗脳」「TOKYO BLACK HOLE」を経てとうとう神になってしまった。これまでは個人的な憎悪とか個人的な愛とか外食で好きな人に会うと気まずいとか割とそういうことを歌ってきていた大森だったが、本作ではかなり圧倒的なスケールアップを達成したことになる。以前大森靖子はどっかで自虐的に「私の歌詞にはトイレがよく出てくるらしい」と言っていたが、まさに脱・トイレを果たしたのだ。

それはなんでだろうかと考えてみると、やっぱり、売れたいのかもしれない、と思った。これまで取り上げられてきた「サブカルの神」「メンヘラが泣けるアーティスト」という像を捨てて、耳触りのよく、大衆に受け入れられる詞のかけるアーティストになりたかったのかもしれない。大森靖子がそう考えていなかったとしても、深層心理下や、あるいはレコード会社からの圧力の具現化としてそうなってしまったのかもしれない。

もちろん、これはこれで新しいリスナーを獲得するきっかけになるだろうし、そもそも大森靖子ハロヲタだし、広い世界や大きな愛を歌いたかったのかもしれない、と考えたときに、「kitixxxgaia」は道重さゆみのコンセプトアルバムなのではないか、という可能性に行き当たった。そう考えるとアルバムを通したテーマや、ポップなサウンドにも納得がいく。「さゆ」の体現する、カワイイ!や嬉しい!や楽しい!を素直に音楽に起こしたときに、大森靖子ならこうなるのかもしれない、と思った。「ミッドナイト清純異性交遊」に代表される「さゆと私の世界(の妄想)」というよりも、「さゆのいる世界」という広いテーマに移行したような印象を受けた。つまり、「私」像が希薄になってきているのだ。聴き手にとってこの変化は小さいようで大きな革命である。

やはり、アルバムとしては前作「TOKYO BLACK HOLE」に比べると全体的にかなりパンチが弱まった印象を受けた。しかし、歌っている内容が確実に売れ線に近づいていることは事実だった。例えば「ブルースを捨てたら空っぽになってしまうけど君が好き」と歌った「超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISS」だったり、「ねえ私消えたくない/カラオケにお金も払いたくない/留置所って歌うたえないんだって」と歌った「■ックミー、■ックミー」だったり、ラストに「教室には34の塊が/出し抜かないように見張り合って/外の世界を拒んでいる」と内向的な世界を歌った「少女漫画少年漫画」だったりと、空虚・破滅・閉塞の色がやや強かった前作だけに、「神」になった大森が創造した世界は「たのしいアイドル」観や地元の友達やダメ女子の片想いといった普遍的なことであり、それはもしかすると、大森が内心強烈に望んでいたことなのかもしれない。神になった大森靖子が望んだのは、意外と普通のことだった、というのが「kitixxxgaia」で大森靖子リスナーの得られた結論だったのだ。

曲のパンチが薄い原因には、アルバムオリジナル曲の半分ほど(Tr.4/Tr.6/Tr.11)に外部の作曲者を起用したことがあげられるように思う。大森靖子は曲が書けなくなってしまったのか、それともただ単に書いていないのかはわからないが、年1回アルバムを出すのが無理なら、別に無理して出さなくてもいい(これは、けっして否定的な意味ではなくて、肯定的な意味である)。来年も同じようなアルバムをだされても困るし。

聴き込めばまた違った印象になるのかもしれないが、そこまで当たりのアルバムではなかったように感じてしまった(期待値が高かった分)。その要因としては、先行で公開されていた「ドグマ・マグマ」が良すぎたこと、そしてシングル曲が粒ぞろいでそれに比べたインパクトが薄かったこと、スローテンポの曲が多く、「激情」を期待した聴き手は置いてけぼり感を食らったことにあると思う。しかし、なにはともあれ高いクオリティを維持してアルバムを出せるのはすごいことだ。ひとまず、発売おめでとうございました。