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I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

わたしがヒカグラを克服するまで

この記事ただの愚痴です。

ヒカグラというのは、俗にいうカップリング名称である。ヒカリとカグラだからヒカグラ。「烈車戦隊トッキュウジャー」のキャラクター同士をくっつけた、ヲタク発祥だが最終的に公式用語になったものだ。

この前、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」が最終回を迎えた。わたしはトッキュウジャーのおたくなので、これでわたしはいよいよ名実ともに2代前のOGになってしまったことになる。さみしいといえばさみしいし、ようやく自分の中でトッキュウジャーを忘れられそうな目処が立ってきてほっとしている面もある。
 
2年経ったのでもう時効か。書きます。腰が重いけれど。
わたしは最初、カップリング萌えからトッキュウジャーに入った人間だった。今でこそただの俳優オタクやってるけど、最初は作品オタやりつつ推しくん好きで〜す、みたいな人間で、推しくんはあくまで副業だった、気がする。
しかし色々あって推しくんにハマってしまい、いつの間にかわたしは作品オタをやめてしまっていた。作品は好きだけど、推しくんのことで大変でそれどころじゃない。
 
2014年春のハマりたてから2015年、年明けのヒーローショー公演期間中まで、わたしはカップリング厨を(こっそり)していた。こっそりというのも身の回りの推しくんファンにはやはり「ノマカプ営業まじ無理」「東映死ね、撮影所は燃えろ」みたいな意見が多く、わたしもやりすぎた公式のカプ売りには辟易していた面があった。
しかし大友の怨念というのは時に見ていて「これは言いすぎだろ」というレベルに達するときもあり、例として挙げるならば横浜くんと森高さんの画像に対してついた「荷物持たせてんじゃねえよ」「財布くらい後ろのテーブルに置いとけよ」という意見はいろいろ通り越してジワった。まあわたしもちょっとそれは思ったけどさ。

 

特にトカミオは結局公式になっちゃったし、子供向けの作品だから大友がやれこれは無理だ、これはやりすぎだ、って大騒ぎするのまじで痛いよなとか思いながらもやっぱりどこか公式でキャラをくっつけるという行為にキツいものがあるのは否めなかった。
推しくんのファンは、ヒカグラ好きって人とヒカグラ無理って人の二種類にはっきり分類された。ヒーローショー公演ではまだその辺りのことは浮き彫りにならず一部のオタクが騒いでいるくらいですんでいたが、3月から始まったツアーの内容がもうこれどう考えても公式がヒカグラ売りしてんだろという脚本であったゆえ、いままでぼんやりとした考えしか持っていなかったオタクたちはいきなりその問題に直面することになった。ちなみにその脚本のライターは小林靖子だった。
 
戦隊は毎年毎年ノマカプ営業がある。らしい。ニンニンジャーショーに何度か行ったし全通している友達がいるのでその辺のことも聞いているけれどやっぱり今年もノマカプ営業はしているらしい。
推しくんにも森高さんにも、特にヒカグラに対する執着も、(格別な通常の域を逸した)愛着も無かったようなので、どちらかといえば周りの大人たちが政治的商業的理由でそうしていたんだろうなあといまは割り切って解釈できるが、もしヒカグラ苦手でツアー観るのがキツくて推しくんから離れてしまった人とかいたらどうするんだろうなー、それは悲しいなー、とも思っていた。
あまりにもキャラと本人のイメージを結びつけてしまうことは俳優側の自滅にもつながってしまうので、ほどほどにしてほしいし、東映の大人たちが商業的理由でノマカプ売りをする行為の中にその後の俳優への配慮は一切含まれていないことをわたしは烈車戦隊トッキュウジャーファイナルライブツアー2015から学んだ。
 
わたしは2月に体調を崩し、しばらく寝込んでいたがそこからまた起きたとき突然ヒカグラが無理になっていた。
当然ながらもともと一番好きだったのはヒカグラなので、この関係は非常にエモーショナルだなあ、運命的だなあ、と思っていたし、その反面わたしはヒカリくんのことがマジで好きだったので、妥協の末に六条御息所的な立ち位置からヒカリくんを応援していた。ヒカリくんにとってあくまでも本命はカグラちゃんなのだ。ヒカリくんは最終的にカグラちゃんとくっつかなければいけない。それは神によって定められた、小林靖子によってひかれたレールだった。なのでヒカグラを推すという行為はわたしにとってリストカットと一緒だった。自傷行為だった。無意味なことをわかっていながら必死に追いかけたのだ。
と、そのようにあくまでもカグラちゃんの存在によってわたしは許容されるのだと思っていたが、なぜかある日突然わたしはヒカグラが無理になった。そもそもヒカリくんは創造主なのだから、彼は終始孤独であるべきで、世界の誰とも対等な関係を築いてはいけないのではないだろうかという考えに至った。そうすれば誰も苦しまないし、平等にみんな苦しい。
カグラちゃんは確かにヒカリくんの世界の中でかなり大きな存在を占めているが、確実に個なのだ。ここはとても申し訳ないが、ヒカリくんには孤独でいてもらおう。
鬱病の私は完璧主義だ。知らなくていいことに振り回される」 ー漫画「ミッションちゃんの大冒険」より

その後、2015年の冬までわたしはヒカグラが駄目だったが最近またヒカグラが平気になった。要するに、わたしからヒカリくんへの執着が薄れたのかなと解釈している。

俳優オタクとして何度もヒーローショーを観ていると、ある日突然、ぷつんとノマカプ営業に嫌気がさすときがある。それは本人たちが決して自発的にやっているわけではないことに感づいてしまうからなのか、それとも東映が商業的に大きなお友達を喜ばせようとしているのが気持ち悪いからなのか、それは結局わたしにはわからなかった。

 

夢とかキラキラとかを求めて現実逃避のために特撮を追っているのに、ノマカプ営業されるとめちゃくちゃ「現実~~」って感じがするのが嫌なのかもしれない。

わたしは小林靖子作品に詳しくないので、ほかの作品でも同じような事態になっていたのかはよく知らない。けれど仮に、ファイナルライブツアーのようなあからさまな商業的ノマカプ脚本を彼女の意思で書いていたのだとしたら、あなたはとても偉大な人だけどそれはやめてくださいと言いたいし、東映の大人事情によってあのような展開になったのだとしたら、俳優のオタクは実は半分くらい嫌がってるからやめたほうがいいよと東映の人に言いたい。

東映が1年で200万使うオタクと、50年かけて4万ずつ使ってくれるオタクのどっちを大事にするのかについてずっと考えていて、当然ながら彼らは後者が大好きなんだな、という結論にいたって嫌になった。

いろいろあってわたしは特撮のことがめちゃくちゃ嫌いになったんだけど、その嫌いになった理由の中にはこういうこともあるな、っていうだけの話です。

毎年くるくるとコンテンツが変わって、黙ってぼーっとしてても新しい萌えが運ばれてくる。1年の中である程度安定した展開が繰り広げられ、ささやかな波があって、特撮鎖国はずっと楽しいまま続いていく。

でもその鎖国で1年ごとに祀り上げられ終わったあとには放り投げられる俳優のオタクをしていると、ツアーの最後のほうとか「あぁもう東映的にはこの人たちって用無しなんだなぁ」と思ってしまって嫌気がさすのです。

みんな特撮俳優から特撮俳優にスライドするのもおいしいとこだけ舞台挨拶とか行って楽しみたいだけでしょ。そのスライドしていく特撮鎖国の中の人たちのために用意された、餌なんだ。ノマカプ営業って。飽きないもんね、適度に萌えるし。

うまくやってるなとは思う。すごいよ東映

わたしはよく口癖のように「戦隊なんて足掛け何年も何年も追うものじゃない」というんですが、それは本気で俳優のオタクをしていたら絶対に東映のやり方には嫌気がさすはずだからです。ずーっと特撮鎖国の中でぬるぬるオタクをしている人たちは、ある意味頭のよくて能天気なひとたちです。楽しいことだけを楽しくずーっと見ていたい。本当ならそれでいいんです。楽しいもんね、特撮俳優のオタク。次から次へスライドして、特撮終わったら適当に忘れて。

でもわたしは、戦隊を追っているうちに気付いてしまいました。過去何年、何十年にわたってこういうことが繰り返されてきて、年数×複数人の特撮俳優が輩出されて、でも結局みんな特撮終わると忘れられるし、そのあとに俳優が出てる舞台とか、実際ぜんぜん埋まってないじゃん。がらがらなの。特撮終わったあとまで追う気なんてみんなさらさら無いのに、「これからもずーっとファンです」とか平気で嘘をつく。だから信じられません。特ヲタほんと嫌い。

 

特撮鎖国から抜け出していろいろ客観視してみて、「ヒカグラ」自体にたいして意味はなかったんだな、と結論づいて、最近ではほんとうに何も感じなくなりました。

毎年ある恒例行事のワンパターンでしかなかったんだ、ヒカグラは。

という、ただの愚痴だったんですけどね。あぁ、特撮オタクの人に怒られそうな記事また書いちゃった……。どうぞ存分に怒ってくださいまし。