もう限界なのでガッツ辞めます
タイトル通りわたしはついにガッツを辞める決心をした。いわゆる追っかけもおたくも辞めて茶の間になる決心をした。ファンになってから2年10ヶ月である。長いようで短かった。
振り返れば狂い咲きのようなガッツ人生だったと思う。辛かったかと言われるとそんなことはない。楽しい思い出もそうでない思い出もたくさんあった。夏の暑い中、夜行バスに乗って舞台挨拶を見に行ったこと。初めて推しと目が合った瞬間のときめき。ファンサを貰ったこと。認知されるために必死で固定ファンサを作った日々。同厨が嫌すぎて映画館のエスカレーターで喚き散らしたこと。大箱のイベントでファンサをもらって舞い上がるほど嬉しかったこと。毎朝7時に起きてヒーローショー6公演見てそのあとバイトしても全然辛くなかったこと。推しと一緒に頑張った気分になった全国ツアー。認知されてるってわかったとき、腰が抜けてしばらく動けなかったこと。初めての主演舞台に全通して大千秋楽で人目も憚らず大泣きしたこと。プレゼントをたくさん着てくれて、それがいちいち嬉しかった。舞台のスケジュールが辛くてわたしが倒れてしまって、悔しくて布団の中で泣いたこと。お花を出して素敵って言ってくれたこと。観劇に来ていた舞台で偶然会ったこと。だんだんお互いにタメ口で話すようになって一度も言ったことないけどそれがすごく嬉しかった。カレンダーが出れば誰にも負けたくないし売り上げを伸ばしたい一心で引かれるほど買った。つまらない舞台にも毎日通った。徐々に映像に活動の場を移すようになっても、懲りずにエキストラに行って推しを驚かせた。チケ発のために真冬の路上で徹夜して最前列を取ったこと。推しとどうでもいい話をするのが何より好きだったこと。
正直言うともっと頑張りたかった。体力の限り推しを追いかけていたかった。どんなにつまらない舞台でも全通してあげたかった。仕事が嫌でも推しのために頑張りたかった。
でも突然、推しを見ても気分が落ち込むようになった。推しが売れつつあるのも一因かもしれない。こうやって会えるのも残り少ないんだろうなと思うと暗い気持ちになった。今を楽しまなきゃと必死になった。
幸せなまま死にたい、と思った。
推しがさいたまスーパーアリーナのステージに立った翌日、自殺を試みた。今が幸せのピークだと思ったからだった。あっけなく失敗した。致死量というのは信用ならない。救急病院で手足を拘束されて3日間入院した。助かったとわかったとき、わたしは惨めにも、推しに会いたい、と思った。今どこで何をしているんだろう、と。
退院してふらふらになりながら、翌々日、推しに会いに行った。暗い内容の手紙を渡してしまって後悔した。でも、推しに会えて嬉しかった。それから何度も推しに会いに行った。話せることが何よりの救いだった。 それでも、推しに会っていても、死にたい気持ちは変わらなかった。死ねなかったことを悔やんでいた。
でもそれと並行して、主治医には入院を勧められていた。最初は大丈夫だと断っていたけど、徐々に仕事に行けない日が多くなっていた。死にたかったという気持ちが強くなるにつれて、気分は沈み、とうとう推しのところにも行けなくなった。布団から出られなくて、ただひたすら、生きるのが嫌だという気持ちを反芻していた。
もう終わりだと思った。
どんなに辛くても推しに会えばなんとかなっていたのに、推しのところにも行けなくなった。
なけなしの力を振り絞って推しに会っても、きっとわたしは、謝ることしかできないと思った。
力になれなくてごめんね。頑張れなくてごめんね。
今まで全通とか貢ぎとか積みとかが当たり前になっていたから、自分の精神的な理由で仕事に行けなかったり舞台や現場に行けなかったりするのが、本当に本当に申し訳なかった。今わたしが推しと話しても、ネガティブな言葉しか出てこないと思った。わたしは話に行くことを諦めた。
諦めると同時に、推しに会いに行けないなら俗世にいる意味もないと思い、わたしは医師の勧めるがまま、精神科の半閉鎖病棟に入院した。入院中のことは、他の記事でいろいろ書いたので割愛するけれど、とにかくずっと暗かった。
きのう、一時外泊して、推しの舞台を観に行った。手紙を出した。
いま精神状態が良くないので、ネガティブなことしか言えないのが予想され、迷惑をかけてしまうからしばらく話に行ったりしないこと。体力的にも精神的にも昔みたいに応援できない、それが申し訳ないという言葉しか出てこないこと。それらをささやかに書いて、出した。
来週、退院が決まったけれど、推しの舞台に無理をしてでもたくさん入ろうという気力が起こらなかった。その瞬間、ああ、これまでなんだな、と思った。
ガッツを辞めたというよりは、その資格がなくなったという方が正しい。
わたしはガッツでなくなった。
結局、売れたら離れてくのか、薄情だ、って言われるのかもしれない。そのとおりだ。もし推しがもっと売れていなかったら、わたしがいなくちゃという気持ちでまだ踏ん張れたかもしれないから。
しかしその反面、推しにはたくさんたくさんのファンがいるから、もう大丈夫だろうとも思っている。
過去にいた何人ものガッツとおなじように、わたしのことも、数ヶ月もすれば忘れてしまうだろう。秋のイベントでは「はじめまして」から始めないといけない。かなしいけれど、それが現実だ。
ずっとついていきたかった。わたしの体力と、気力が許すならば。わたしがどこで壊れたのか、どこで頑張れなくなったのかわからない。昔みたいに狂ったように働いてくそ舞台にも全通できるエネルギーがほしい。好きだからついていきたかった。
いままでありがとう。でもわたしは諦めが悪いからずっとこれからも好きでいるんだと思う。好きな気持ちはどうやっても消えなかった。気持ちに身体も心もついてこなくなってしまったからこんなに苦しいんだ。頑張って応援するって言ったのに、嘘になっちゃってごめんね。無理しないでって言ってくれたのに勝手に無理して自滅してごめんね。体調気をつけてって言ってくれたのにぜんぜん気をつけられなくてごめんね。
友人にリプライをもらって気づいたけど、俳優厨は、趣味だ。だからべつに茶の間でもそれが正しいといえるのだけれど、わたしにとって推しは人生に、人生そのものになってしまっていた。とても重かった。勝手にものすごい重荷にしていて、抱え込むことに必死だった。生きる意味を見失ったわたしは推しのために生きていたから、推しのためにすら生きられなくなったわたしは、無価値だ。だからいま、とても死にたい。
いままでありがとう、流星くん。営業がんばって、新しいガッツ掴んでね。たくさんハイブラ貢いでもらって公演にもたくさん入ってもらえるといいね。わたしのこと早く忘れてね。こんなくそオタのことなんて。お金落とさないやつのことなんて覚えてる必要ないよ。だから、ばいばい。
これからどうしよう。
次に好きになれるものが見つかるまで、ぼんやりと待とうと思う。その間は、どうしようもないのでひたすら読書をして、ときどきブログに気持ちを吐き出したい。面白い舞台があれば元気なときに見に行きたいし、推しの活動も、茶の間なりに、無理しない範囲でたまに顔を出しに行きたい。
ガッツだった約3年、楽しかったな。こんなに何かに熱中できたのは、きっと最初で最後だ。楽しい思い出をありがとう。鬱病に勝てないわたしは、俳優厨失格なのです。
ここがダメだよ!舞台「バイオハザード ジ エクスペリエンス」
まず初めに断っておくとすれば今日まで私はそこそこのスズカツ信者だったとゆーことである。「僕のリヴァ・る」も「喜びの歌」もなかなか面白かった、ところどころ難解ではあるけれど。まあ、だから今回もまあまあ期待してた。
しかし、ここまでつまんない舞台を見たのは前代未聞というくらいつまらなかった。「ミュージカル神様はじめました2016」の方がまだマシかもと思ってしまうレベルでつまらなかった。何が根本的に悪かったのかは残念ながら私にもわからない。行くつもりだった神戸千秋楽のチケットも売ることにした。バカでかい稽古場1ヶ月借りて10日間も小屋入りして出来たのがこれかと思うと涙を禁じ得ないという感じだ。もちろんキャストの努力は認めるがあまりにもストーリーに突っ込みどころが多すぎるのだ。
同じゾンビものならモーニング娘。がやっていた「ステーシーズ」の方がよっっっぽど面白かったので観劇中はずっとステーシーズで「再殺部隊」を歌った田中れいなのことを考えていた。あれは面白い。みんな見るべきです。
個人的に面白かったシーンといえば、ラストバトルで推しが覚醒したときに「おいおいそれはただの推しじゃん(空手世界大会優勝経験あり)」と思った時だった。
というわけで以下舞台「バイオハザード」をこきおろす記事なので気をつけてください。
登場人物がすぐパニクる
洋画のゾンビものにありがちな展開だから仕方ないのかもしれないけどとにかくイライラする。特に弁護士の木戸邑弥とIT企業の社長。君たちはダメだ。何がダメかを説明するまでもなくダメだ。何故そんなにキレ性なんだ?もうちょっと落ち着きたまえ。
青柳塁斗がすぐ死ぬ
早すぎだろ。いいのか?青柳厨よ。いいのか?最後まで生き残る横浜厨と速攻死ぬ青柳厨が同じチケット代なのはどうにも納得いかない。青柳厨、最初のわずかなシーン以外はずっと発狂してるし。いいのか青柳厨。いいのか青柳塁斗。ちなみに私はこれ以降脳内でガキ使のように「\デデーン/青柳、アウトー」という音声が流れるようになって笑いをこらえるのに必死だった。
なんか登場人物がすぐ陰謀とか実験とかに話を絡めたがる
日本人が言うとどうにも胡散臭さが拭えない。
東幹久「この殺し合いはすべて実験だったのだ」
山田悠介の小説かよ。今どき中学生は魔法のiらんどで小説連載したりしねえんだぞ。
篠田麻里子はなぜハーブを飲んだのか
説明頼む。篠田麻里子ってゲームマスター側の人間だし殺されてもまた蘇らせてくれる的な発言なかった?意味なくね。
忘れたけど誰かと銀行員の女が速攻で男と仲良くなって速攻で死んだ
もうちょっと引っ張ってもいいと思うんだけど。やるならしっかりやろう。しっかりやらないならいらない。
推し、なぜ最後の最後に篠田麻里子を抱き寄せた
文脈皆無。理解不能。いい匂いかぎたかっただけだろ。
無音で刺さるナイフ
銃声は爆音なのに……。
色々挙げましたが2時間の暇つぶしにはなると思うのでどうしても暇な人は見に行ってみてください。どうしてもね。保証はしない。
死にそこないの惨めなわたしをどうか許さないで
入院生活は退屈だ。朝8時にナースに起こされてふらふらした足取りで朝食に向かう。朝からお茶碗に盛られたご飯ときっちりしたおかずが出てくる。わたしには重いがおちおち食事を残していると退院が先延ばしになるのではないかという漠然とした不安に駆られ、憂鬱な気分で食べる。食後にビニールパックに入った薬が配られ、監視下で飲み干す。この瞬間が一番憂鬱。おろかにも服薬自殺に失敗してしまって以降わたしは大好きだった薬を飲めなくなった。異物だとしか思えない。最悪だ。食後に煙草を吸っている人がなんだか羨ましい。気分転換できるだろうな。(あまりの羨ましさに電子たばこに手を出した。明日あたりから私は喫煙室でバニラのけむりをまき散らしていると思われる)9時、ナースが体温と血圧をはかりにやってくる。わたしのベッドは窓際にあるのでこのとき容赦なくカーテンが開けられ、ああ空は今日も青いんだなと思う。ずっと病院の中にいるので風や気温は感じられない。
今日の午前中は臨床心理士がやってきて、心の疲れがピークに達すると君は自殺してしまうので外に出せないという旨のことを言われた。そしてはっきり鬱だと言われた。わたしは結構へこんだ。鬱かよ、と思った。心の疲れってなんだよ。わたしはずっと死にたいんだ。それがちょっと顔を出しただけじゃないか。鬱ごときで病院にぶちこむ現代社会はとても過保護だ。自暴自棄になりすごく疲れた。かといって、退院したところで、無気力から抜け出せる保証はないのですけど。
12時に昼食。シチューとか出たりする。朝と同じルーティンで服薬まで終わらせる。午後は面会が許されている。父が来た。要望した漫画を置いていってくれたので元気なときに読みたい。不思議なのは、午後になるにつれて徐々に憂鬱な気分が治まってくることで、父とはまあまあ笑みも交えて話せるようになってきた。入院当初は誰の問いかけに関してもはい…かいや…でしか返せなかったのでこれは多分そこそこの成長。
18時に夕食。これはあまりにも早すぎると思う、文句言いたい。とろみのついた人参と細切れ肉のわけわからん煮物と、ご飯だった。今日は珍しく、推しへの手紙を書ける気持ちだったので食後にさらさらとルーズリーフ2枚ほど現状を綴った。
大事な舞台が始まるのに、私は鬱病で入院していて、主治医によると2ヶ月退院できないこと。
病院のテレビで推しを見たこと。 いままで、私なりにファンの最前線で、全力で追いかけてきたつもりだったけど、それが3年目で、ついに叶わなくなってしまったこと。 それはとても不本意であるということ。身体がいうことをきいてくれるならもっと会いにいきたかった。たくさんプレゼントもあげたかった。好きって伝えたかった。お芝居をたくさん観たかった。悔しくて悔しくて毎晩泣いていること。それでも気持ちは浮いてこないこと。死にたいとさえ思うけどいまは推しがいるし入院しているからぎりぎりのところで踏みとどまっていること。
それから、こんな状態なのにまだ好きなこと。
みじめだ、と思う。
人を好きでいる余力がどこに残されているのかはわからないけど、推しのことを考えると心がぎゅるぎゅると痛み始めるんだ。どうして私は限界を迎えてしまったんだろう。もっと頑張れないんだろう。ビニールパックを破くたびに、血圧計を右腕に通すたびに、ベッドのリクライニングを倒して天井を見つめるたびに、どうしようもなく苦しくなる。死にたくなる。
入院してから、しばらくの間は、推しのエゴサーチもできなかった。手紙も書けなかった。逃げたかった。現実から。いっそ忘れてしまえればいいのにと必死に念じた。でも無理だった。あまりにも好きという思念が強すぎた。推しのことを考えるたびに胸が痛むから忘れようとしても忘れられなかった。
今週末には舞台が始まる。
ますます私の死にたい症状は加速すること間違いなしだろう。推しに必要とされないわたしに、生きている価値はないんだと思う。推しの力になれなければ、動員になれなければ、この絶望的によどんだ、悲しいばかりの世界で頑張って生きている意味がない。
気持ちは十分なので、あとは勇気だけだと思う。この死にたい症状は、入院で治るのだろうか。はたして疑問ではある。
たとえ退院して、またおたくに戻ったとしても、推しはどんどん売れていって、いつかわたしを全く見向きもしなくなる日が来るんだろうと思う。現状を見るに、その日は遠くない。そうしたら、わたしの生きてる意味は本当になくなってしまう。亡霊のように生きるか、さっさと死ぬかしかない。
入院中のあまりの暇さに、最近ask.fmをやっていて、ときどき死ね系のメッセージが来るのだけど、どれもなかなかに的を射ていて早く死ななければという気持ちにさせてくれる。多少元気なときもあるけれど、それは刹那的な元気でしかなく、わたしはいつでも心の奥に黒々と希死念慮を飼ってすごしているので、あとはそいつにどうやって鞭を打つかなのだ。
こんな状態になってまで生きてる意味あるのだろうか。ビニールパックを破きながらいつも思う。もう一度推しに会いたいと思う。優しく笑ってこの気持ちをマシにしてほしいと切に願う。でも今のわたしにその資格はないとも思う。八方塞がり。衝動的に訪れる死にたさを膝を抱えて毎日待っています。