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#もえのシチュCD修行 その4<ミッドナイトキョンシー 第六ノ封印 色芭>

 

カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー」 第六ノ封印 色芭 CV.木村良平

カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー」 第六ノ封印 色芭 CV.木村良平

 
カレに死ぬまで愛されるCD 「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」 第参ノ封印 色芭 CV.木村良平
 

 

 いや~~~シチュCDって本当にいいもんですね~~~~

 

 回ごとに異様にテンションが違うことでお馴染み、シチュエーションCDレビューも今回で4回目を迎える運びとなりました。本当に同じブログ? 賢明な読者の方であれば、そろそろ私のテンションからツボだったかそうでないかがわかる頃合いではないかなと思います。今回は相当ツボだったCDの話をするので冒頭からウキウキです。当たりを引いたときの風俗レビューブログの中の人ってこんな気持ちなんだと思います。もう私は日ピン研を笑えません。

 このCDが本当に好きすぎますし、私がNASAの偉い人だったら、ボイジャーのゴールデンレコードに「ミッドナイトキョンシー 第六ノ封印 色芭」と「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯 第参ノ封印 色芭」を収録すると思います。仮に遠い未来、地球が滅亡しても新しい文明にこのCDを届けたい。あとフォロワーに勧められた作品をただただ聴いているんですが今のところすべてRejet作品なのがヤバすぎる。オタク女は若手俳優や地下アイドルを経て最終的にRejetにハマるな。

 さて皆さんは気だるげなヤンデレの美少年は好きですか?

 私は大好きです。

 「ミッドナイトキョンシー」と「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」は合計2時間ぐらいの作品なのですが、本作を聴いたとき私はシラフではありませんでした。ハイプロンを3錠ほど飲んで楽しくなった状態で再生したのですが、なぜか色芭くんの声とハイプロンの相性が異常に良すぎるせいでドンギマリ最終的に号泣していました。夜中にシチュCDを聴いて涙を流す成人女性、怖すぎる。犯罪。ハイプロンは決して怖いドラッグではなく、個人輸入で購入できる、飲むと妙にシャキシャキして楽しくなってしまう眠剤なのですが、ここまでキマったことは過去に無かったので普通に怖くなりました。なぜ異常にキマってしまったのか翌朝冷静に分析してみたのですが、恐らく色芭くんの声の浸透性が私の脳に対してやたら高かったんだと思います。浸透性の高い声って何?と思った人は試聴してください。

 気だるげで色素の薄いヤンデレの美少年というだけで私にとっては役満なのですが、全体的に脳に対して異常に効くのでシラフで聴いても相当キマります。こちらを終始洗脳してくる色芭くんの語りかけが非常に良いです。何でこんなに脳に効くのかは不明です。

 「ミッドナイトキョンシー」の前半ではデレる前の色芭くんが存分に堪能できるのですが、これがなかなか良くて、イライラして部屋中の家具を破壊した色芭くんがこちらに対して「君の存在価値ってなんなの?なんのために生きてるの?」などの相当洗脳度の高い罵倒を繰り出してきます。何度でも聞きたい罵倒。大好きですね。「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」では学校に行かない色芭くんに強要されているのか気づいたらヒロインが不登校になっており、ヤバい共依存の極みといった感じで相当良いですし、学校に行かずに喫茶店でチェリーパイを食べるというめちゃくちゃエモい展開には意図せずとも引きずり込まれを禁じ得ません。なんでこんなにエモいんですか?

 個人的に号泣したのは「ミッドナイトキョンシー 天頂遊戯」のトラック5なのですが、色々あって狂気の淵に落ちてしまった色芭くんが廃墟に火をつけ、燃え盛る炎の中で語りかけてくるという良すぎる展開。パニック状態に陥った色芭くんのやたら脳に効く混乱度合いとか、ヒロインのことが好きすぎるあまりに狂ってしまっている色芭くんの、ガチ恋経験者には妙に刺さる語りが涙を誘います。シチュエーションCDのキャラの気持ちがわかりすぎて泣いたのは初めてです。ヒロインに抱きしめられた色芭くんの「本当、嫌になるよ……これだけで気持ちが落ち着くなんて」という呟きとかリリックが冴えすぎているとしか言いようがありません。脳に効く。色芭くんは完全に無意識下なのでしょうが、「もうどうする気も起きない……生きる理由もないもの、だって君に愛されないんだから」「君に愛されないなら消えたほうがマシだし、俺を愛してない君なんて生きてても仕方ないよ」とか、感情をリリックにする能力が冴えまくっています。もっとも、キョンシーなので色芭くんは既に死んでいるのですが……。

 本作を完走するためには色芭くんの暴走特大ガチ恋感情を終始受け止める必要があり、正直言うとめちゃくちゃハードなのですが、気だるげで色素の薄いヤンデレ美少年が好きな人は是非聴いてほしいですね。洗脳の純度が高いので、「君が何かを考える必要はないよ」とか言ってくるのが最高ですし。恐らくドラッグとの親和性が異様に高いのはそういう思考を放棄させてくる発言が散りばめられていることが要因だと思います。全体的にめちゃくちゃエモいのでメンヘラ女の皆さんには是非聴いてほしい。あと健康保険を適用してほしい。絶対に電気けいれん療法よりも効くので…………。

#もえのシチュCD修行 その3<大正偶像浪漫 帝國スタア 参番星 参邇>

 

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

大正偶像浪漫「帝國スタア」 参番星 参邇 声:梶 裕貴

 

(ネタバレを含んでいます)

 

 近代以降における日本の歴史は、発展の歴史であると同時に災害の反復の歴史であるということはもはやここで詳述するに足らないであろう。先日、「TOKYO2021」美術展を観に行った。キュレーションを担当した黒瀬陽平氏は、戦後日本の「災害と祝祭の反復」についてこう述べている。

つまり、この国の祝祭はいつも、災害に先行されている。災害が繰り返すからこそ、祝祭もまた繰り返されるのである。この認識を抜きに、祝祭について考えることはできない。

このような繰り返しを、災害大国であるこの国に宿命付けられた「忘却と反復」であり「もうひとつの永劫回帰」なのだとする歴史観もある(「悪い場所」)。しかし、今まさに眼前で繰り広げられようとしている忘却と反復のなかで、「宿命」に抗い、反復の外へ出るための術を模索することこそ、芸術の「使命」であるはずだ。 https://www.tokyo2021.jp/bizyututen/

 本作が発売された2014年は言うまでもなく東日本大震災の3年後であり、また作中では関東大震災が大きなターニングポイントになっている。ヒロインを「不細工」と罵り、泥水を飲ませる攻撃的メンヘラの参邇はDisc2において最終的には穏やかな形でヒロインとの恋愛的コミュニケーションを成立させるのだが、その大きなファクターとなるのが関東大震災だ。

 関東大震災を「萌え」のために、いわばギャルゲーのイベント的に消費する、つまり学園系恋愛シミュレーションゲームにおける文化祭や卒業式と同等に消費する態度が本作の中では顕著にみられる。そのような態度は一見すると不謹慎にも感じられるだろう。しかし日本人と「萌え」の歴史において、この「萌え」消費の形態はまさしく反復であり、例えば終末妄想ともいえるであろう「セカイ系」消費が日本のサブカルチャー界で成立していることがそれを示している。痛々しい災害の記憶さえも「萌え」に転化する態度の浸透は、映画「君の名は。」がヒットしたことにも現れている。

 東日本大震災の3年後に、関東大震災というイベントを攻略キャラの改心のためのファクターとして消費する態度はまさしく反復であり、また「震災以後」のサブカルチャーの気分を端的に示す興味深い例だ。

 また、本作においては参邇のメンヘラリティが全面に押し出され、特にDisc1においては参邇が暴虐の限りを尽くしている。個人的にDisc2は参邇が徐々に正気に戻っていくのであんまり好きではないのだが、それはともかくとして、参邇の生育歴からくる不幸、売春行為、養父からの虐待といったテーマが、大正時代を舞台にしているものの、現代とあんまり変わらないためにこれもまた反復になっていることが非常に興味深い。

 参邇はヒロインに構ってほしいために、瓦礫の下敷きになったと嘘をつく等の「試し行為」を繰り返し行う。彼は非常に境界性人格障害っぽい言動と行動を取る。このメンヘラリティが持つ"気分"はあまりにも現代的だ(決してリアリティの欠如と批判したいわけではない)。

 この参邇の不幸が持つ"気分"がどうして現代的に感じられるのかといえば、参邇の語りが極端にリアル系ケータイ小説のようだからだろうか。参邇を心配し、華族相手の援助交際(と定義していいのかは不明だが。どちらかといえば「パパ活」に近いだろう)を辞めるように説得するヒロインはまるでケータイ小説に登場する諭し役のようである。本作ではその不幸気分さえも萌え要素として消費するに至っている。

 災害、攻略対象の不幸、そして最後に萌えにおける問題の重なりがみられるポイントが擬似家族の構築である。「家族」は繰り返し、萌えコンテンツにおける大きな問題として取り扱われてきた。さまざまなフィクションの中で本物の家族を作れない者たちは擬似家族の構築というかたちで「家族」にありつこうとする。(ゲーム「家族計画」などはその顕著な例である)

 本作において最後に参邇は不幸な子供たちを救うために「孤児院とはいえないまでもそういうもの」を設立し、自らが「父さん」になり、ヒロインを「母さん」にしようとする。この異様さは作中前半~中盤における暴力と試し行為によってやや霞んでいる感があるが、文に起こしてみるとかなり怖いことがわかる。参邇はメンヘラリティを抱える中で最後に擬似家族への憧れに辿り着き、震災後、崩壊したセカイの中でヒロインとの擬似家族を作ることで自らの居場所を再構築しようと試みる。その心の動き自体は平凡なもののように思えるが、しかし作中前半~中盤における参邇の態度がかなり異様なものであるため、急な感は否めない。とにかくシンプルに怖い

 萌えコンテンツは繰り返し「災害」「不幸」「家族」というテーマに対峙してきたが、シチュエーションCDという形態における左記のテーマへの向き合いの臨界点が本作であるように私は感じた。

 あとキャストトークにおける梶裕貴さんの態度が参邇に対して「難しいところでした……」という感じなのが一番面白かった。素直すぎる。

 

#もえのシチュCD修行 その2<VANQUISH BROTHERS 第四夜 マサムネ>

  昨日このエントリーを上げたところ、普段書かないジャンルであるにも関わらず予想以上の反応が返ってきて驚いた。どうやらVANQUISH BROTHERSは一部でカルト的人気を誇っているらしく、 RT先を見に行くと「フォロワーが6000人もいるツイッターアカウントでVANQUISH BROTHERについて発信していただいて本当に嬉しいです。ありがとうございます。」「フォロワーのフォロワーのすっごい面白いフォロワーぐらいだと思ってホーム飛んだらフォロワー6800人ぐらいいて体調崩した 6800人のTLにVANQUISH BROTHERSの感想記事を叩きつけたの……?」という感情がデカい上に忙しいツイートが散見され、普通にウケた。

plus14.hateblo.jp

 VANQUISH BROTHERSは他の作品も相当にヤバい要素を持っているらしいので、とりあえずプロらしき人の記事で紹介されているうち一番狂っていると思しき作品を聴いてみることにした。 こういうコンテンツは狂っているゾーンから攻めていくに限る。

kano-oozk.hatenablog.com

 さて、本作に登場するマサムネは端的に言って電波を受信しているヒトである。実際に遠くでパトカーが走っている音に対して真剣に「今度は不審な音を傍受したぜ……」と言っている、完全に統合がご失調なされている方であり、いくらアンダーグラウンドを中心に消費されているシチュエーションCDジャンルといえどもかなりギリギリの線ではないだろうか。

 彼がどうしてこのような誇大妄想狂になってしまったのか真剣に考えてみたのだが、自らに対してなされた「マサムネ」というトンチンカンな命名が引き金になり、自らを伊達政宗的なすごい力のある人だと思い込んだ上に、ドーパミンが過剰に分泌されてしまいこのような残念な結果になった……としか思えないのである。時代が時代なら私宅監置案件なので、現代の比較的自由な精神医療制度に感謝、圧倒的感謝。というか兄弟のうち誰でもいいので彼を精神医療に繋げるべきだと思う。さもばくばハートネットTVとかで「若年者における統合失調症由来の妄想の実態とは」みたいな感じで特集されそうですから……

VANQUISH BROTHERS 第四夜 マサムネ CV.浪川大輔

VANQUISH BROTHERS 第四夜 マサムネ CV.浪川大輔

 

  マサムネはなぜか作中で終始ヒロインのことを「ダークマター」であると定義し、彼の説明によると「ダークマターはこの世のどんな物質とも反応しない超レア素材であり、弟とゲームをやっているうちにわかったのだが、宇宙レベルのレア素材といえばお前のことじゃね? 俺は選ばれし者だし、他の奴らには見ることのできない敵と戦っているので、お前がダークマターだったとしても全然関係ねえし、この竜眼の力があれば見えないものも触れないものも勝てないものもない。俺が右目に竜の力を宿した時点で家督を継ぐのもお前を手に入れるのも運命だった」(要約)とのことである。どうですか、この本物の電波。全然わからない。中二病という範疇を逸脱した電波。本シリーズでは「ヒロインの初夜を奪ったものが家督を継ぐことができる」というそれも一種の電波だねといった感じの設定がなされているのだが、マサムネの発言から推測できることは彼の電波世界においては正直そんなことは取るに足りていないんじゃないかということのみである。

 「電波萌え」(この場合、エロゲ「雫」などにみられる本当に毒電波に操られてしまっている系のものではなく、単に電波系の性格のキャラクターに萌えることを指す)というジャンルは一応萌えの歴史において成立をみており、ちょっと懐かしの「電波女と青春男」なんかはその典型であるが、この「VANQUISH BROTHERS 第四夜 マサムネ」は明らかにそのようなライトノベル等の文脈から切り離された、異質な電波系キャラの造形なのである。「○○っぽい」とも、「○○に影響を受けている」とも定義することができず、強いて言うならガロ系漫画の文脈とでも言ったところか。

 「片目に眼帯をしている中二病」というキャラクター類型はしばしば見られるものであるが、この作品はシナリオの突飛さ、脈絡のなさが悪影響をもたらしたがゆえに中二病という優しい解釈で済ませることができず、結果として聴いたときの印象からするとマサムネは本当に危ない人になってしまっているのが妙といったところだろう。

 あとトラックリストの上で2.が「お前は俺の暗黒物質」になっているのがどうしようもなく面白いし、良い感じのムードに持っていくときのセリフが「お前のバリア破壊してやっから、な?」なのもどうしようもなく面白い。

 しかし、私はこのマサムネに対して一概に「頭のおかしな人」として切り捨てた批評をすることができない。なぜならば、彼の抱いている「妄想」は私たち聴き手、つまり乙女系コンテンツ消費者にとっての「妄想」と不可分のものであり、石丸元章氏が著書「覚醒剤と妄想」で述べた言葉を引用するならば、「他人の妄想を嗤うな。」という点に最終的には行き着くからである。 私たちもまたこのCDを聴くときに妄想世界への没入を楽しんでいるのだ。

 さらに、覚醒剤脱法ドラッグ使用により"妄想気分"を体験したことのある石丸元章氏は、妄想についてこう述べている。(著書内では対談形式で記述がなされている)

牛丸 かつて妄想世界に深~く陥ってしまった自分の実感としては――妄想者てのは、「世界との意味的な関係が壊れてしまった人たち」のことを言うんじゃないかと理解しているんだよね。そして同時に、妄想てのは、「世界との意味的な関係を再び修復しようという努力である」(中略)難しいかな。通常ヒトは、世界と安定した意味的な関係を結んでいるんだよね。カラスが鳴いたら「ゴミ収集所が漁られないかな」と考えるとか、皆が共通して理解できるような意味において、いろんなことを思ったり考えたりしてるんだ。

あけぼの ですよね。

牛丸 カラスの鳴き声に対し、この世界を読み解くための重大な意味があるのだろうか? とか、じゃあウグイスの鳴き声にはなぜ意味がないのか? なんてことをいちいち深く考えたり、悩んだり、迷ったりすることはないわけ。(中略)なぜか?というと、必要がないからだね。カラスの泣き声と世界の秘密が結びついていないことくらい、大抵の人は、日々の経験とか学習を通して知っている。せいぜい気にするのは、ゴミ収集所のこととか、ベランダに巣を作られないかとか、そういうことだよね。

あけぼの そうですよ。

牛丸 どうでもいいことを、どうでもいいと感じられるのは、オレたちと現実の世界が安定した意味的関係で結ばれているからなんだよ。たとえば、目の前の信号が赤だったら、「いまは渡ってはいけない」と(考えて)――立ち止まる。(中略)ところが、妄想のはじまりにおいては、こうした安定した世界との意味的関係が一気に崩壊しちゃうんだ。

あけぼの 一体どうなるんです?

牛丸 怖いぞ~。楽しくなることもあるが、たいていはものすごく怖い。

  この「妄想気分」にマサムネが陥っているとすれば、ヒロインを「ダークマター」と呼んで自らの妄想世界に引き込もうとするマサムネの行動にも納得がいく。彼はどちらかといえば、家督争いのためではなく「世界との意味的関係」を取り戻すためにヒロインを自らの壊れた妄想世界に無理やり引き込み、そして性的繋がりを持とうとする。

 その点からして、本作はかなり切ない性質も持ち合わせているのである。

 しかし本作が怪作であることに間違いはなく、彼の妄想気分に付き合えるか否かという点で相当に聞く人間を選ぶ性質のある作品であることにも間違いはない。なぜこんな怪作が商業流通で発売されてしまったのか、そしてなぜこの怪作に電波系についての識者からの言及がなされていないのか、とにかくそれは"謎"の一言に尽きる。

 相当に面白いし正直言うと笑顔になれるので、是非元気のない人に聴いて欲しいなと思うのでありました……。