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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

「胸キュン営業」について考えること

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜田通さんのツイートを見て救われた。

 

 まあ私のブログやSNSを見て下さっている方ならもうその話いいよと思われるのであろうが、私は握手イベントがあるとめちゃめちゃ券を買うタイプの人間で、毎年100冊単位のカレンダーを抱えてひーひー言い、カレンダーイベントが行われる11~12月の後には会う人会う人に特に欲しいとも言われていないのにカレンダーを配りまくったりしていることを懲りずに毎年毎年繰り返しているのだけれど、握手イベント後の感想をTwitterで見ると、やっぱり「胸キュン台詞を言ってもらう」系のレポートがかなりの数、引っかかるのである。(まあ、私の推しはきっと、他の俳優さんに比べればそこまででもないんだと思う。ものすごく胸キュン台詞を言ってもらうレポートの割合が高い俳優さんは、やっぱりいる。個人名は出さないけれど)

 私は毎年毎年懲りずにモーレツな枚数の券を買って、書店の同じ場所を4時間くらいにわたって延々と徘徊するがごとくループして、最後の方には推しもわたしも疲れ果て、付き添ってくれてる友人に「あとちょっと!頑張って!」とか飲み物を渡されて励まされるというマラソンみたいな様相を呈しながら必死にループしているのだけれど、別に、胸キュン台詞を言ってほしいとか、「好き」って言ってほしいとか、一度も思ったことはない。

 なんで買うか?と聞かれると、その命題は私自身もずっと抱えているものなので考え込んでしまうのだけれど、会話したい、ということが半分、売り上げに貢献したい、ソロのイベントがそれくらいしかないから、せめて年に一度のカレンダーイベントでは力になりたい、というものがあるんだと思っている。

 ただ、レポートを検索して胸キュン的なことを言ってもらっていたり、頭を撫でてください!って要求している人を見ると、羨ましいというわけでは全く無く、どうしてそんなことを要求するんだろう……とずっとただただ恐ろしい気持ちになっていたのだけれど、その恐ろしい気持ちの正体がようやく桜田さんのツイートによってわかった気がした。

 自分のことを好きでもなんでもない相手に、無理やり「好き」と言ってもらっても、それは単なる、音の羅列でしかないし、感情なんてどこにもないのだ。「好き」って言ってもらうのは、本当に相手が自分のことを好きな場合じゃないと、虚しいし、それで喜んでいる人を見るのもなんだか怖いのだ。

 「好きって言ってください」って要求して「好き」って言ってもらうことはたやすいけど、そこに気持ちはないし、それは、すごく露悪的な言い方をすれば、嘘だ。向こうから営業の一種として「好き」と言ってもらうならまだ「営業」という目的があるので理解できるけど、要求して言ってもらうことって、それは果たしてコミュニケーションなんだろうか。もう、それは桜田さんが書いたように、機械的でしかない。だから私個人としては、全く嬉しくない、としか思わない。

 桜田さんが書いたことは本当に正しくて、握手会で数秒話すだけの俳優が、自分の内面を知ってくれるわけはないのだ。私だって四年推しのことを好きだけど本当の本当の内面なんて知るわけがない。もちろん推しだって私の内面なんてなおさら知るわけがない。手紙を書いて、そのギャップを埋めようと試みたりもするけれど、内面を知らない人間に簡単に「好き」とか言えちゃうのは俳優じゃなくたって人間ならば全体的に怖いのだ。

 私は、推しと仕事に関することを話したり、他愛もない、飼い犬がコタツ噛みちぎってる話とか、好きなご飯の話とか、仲良い人の話とか、そういうことが話せれば、もうそれでいい、と思う。それが一番幸せだし、あとで「でも冷静に考えてあんなの言わせただけじゃん」と悲しくなったりしない。何より、仕事に対して真摯に向き合ってくれる姿勢が知れることが一番嬉しいと思う。

 桜田さんのファンは幸せだなー、と噛みしめて、なんだかツイートを読みながらいろんなことを考えていたら不思議と涙が出てきてしまっていた。 こういうことを書いてくれる俳優さんがいることは、本当に救いだと思う。

 

 

“危ない“OTAKU night Vol.00<2018.01.12>

taso0.hateblo.jp

 

 ブログでは事後報告になってしまうのですが、去る1月12日、あやさんにお誘いいただき自主企画新年会イベント「OTAKU night Vol.0」を開催しました。ご来場頂いた皆様本当にありがとうございました!スタッフとして手伝ってくださった皆様もありがとうございました!得体の知れない自主企画に快くイベントスペースをお貸しいただきました高田馬場音部屋スクエアさんも本当にありがとうございました、あと娘が突然「トークイベントに出る」と言って支度を始めたのに特に動揺もせず「は~い」と送り出してくれた両親もありがとう! 絶対に行くまいとヲチっていた皆様はその次の次の次くらいにありがとうです(俳優のブログとかで来られなかった人にも同列にありがとう述べられていると本当にムカつきませんか?)

 サブカル界きっての名著、「危ない1号」の執筆陣が中心になって新宿・ロフトプラスワンで開かれたトークイベントの文字起こし本「鬼畜ナイトー新宿でいちばんイヤ~な夜ー」(https://www.amazon.co.jp/gp/product/4887183992?ie=UTF8&redirect=true)を読んで以来、楽しそうでうらやましいな~なんか面白いイベント開ければいいのにな~と男子中学生の授業中の空想なみの軽薄さで考えていたために、イベント当日になって楽屋入りしても「本当に人は来るんだろうか」という疑問が拭えず、本当に50人以上のお客様にお越しいただいた光景を目にしたときは驚愕で腰が抜けそうになりました。有難いですね本当に。ブログも読んでますとたくさん言っていただいたのですが、今になり読み返すと暗い記事があまりにも多く、自分はかなり暗い時にブログを更新してしまうんだということがやっとわかったので、読者のみなさんは、出来れば私がブログを更新しなくていいような生活であるように願っていてほしいと、願わくばそう思うのです…。

 あやさんのブログにも書いてありましたが、やっぱ、特に本意ではないですが、相談する側よりもされる側というのをいつもやっていると、みんな悲しいことばっかりだしつらいことばっかりなんだな~悩んでるんだな~というのはとてもよく感じて、なんつーか理不尽なことばっかりなので結果シニカルにならざるを得なかったりもするんですが、これは嘘ではないですけど、みんな救われてほしいと思ってるんです。自分が救われなかったからね。せめてみんな救われてほしいけど、そう簡単に救われないし、他人が何かしてくれるような都合のいい世界じゃないけど、せめて自分が悲しい時に誰かに「悲しいよ~」とか「悩んでるよ~」って言えればいいよね。まあ、私は「そりゃそうだよ」とかしか言いませんが…。

 確かに言えるのは、絶対にみんなもっとゲスになった方がいいし、できるだけ素直でいたほうが生きやすい。そのほうが面白いし。「危ない1号」を読んでるとみんな鬼畜でゲスで最低だけど素直だから絶対そういう人間目指して生きていきたいと思ってます。

 イベントでは、1年の活動を振り返ったり、「リアルお題箱」と称してみなさんからの質問に答えたり、推しとの交際匂わせで炎上した女優のブロマイドを抽選でプレゼントしたりしました。受け取ってくださった方ありがとうございました。刑法に抵触しない範囲で使ってください。あとチェキも撮りました!イベントに来てくれた人チェキ撮りに来てくれた人本当にみんな大好きです。ファン嫌いな俳優とかたまにいるけど信じがたいっす。自分のために時間使って会いに来てくれるだけでめちゃめちゃ好き。みんないっぱいDMしてください。

 

 ほとぼりが冷めた頃にまたイベントしたいな~と思ってるのですが私だけだと話が続かないので(続くことには続くけどみんな飽きるでしょう)誰か呼びたいですね。呼ばれてくれるサブカルブロガーの方いたらDMください。本当に。

 生きる日々はつらいことばかりですが、少しでも楽しかったと思える1日が漠然とでも作れていますように…。

 

 

2.5次元作品の制作会社は何を考えているのか

anond.hatelabo.jp

 読んだ。これを書いた人はひとつ重大な気づきをまだ得ていないと私は思うのでここに記す。

本当にネルケは何を考えているのだろう。ネルケは何を考えてこんな決断をしてしまったのだろう。 

  何を考えているのかといえば「金儲け」「収益」に決まっているではないだろうか。金儲けと収益のことを偉い人たちが顔を突き合わせて三日三晩考えた結果がああなのだ。だから本質的には刀剣男士だろうとテニス部の中学生だろうとアナザーワールドだろうと関係なくて、適切なタイミングで適切なコンテンツを適切に制作して収益を上げているだけなのだ。だから、現場で起きていることに対して現場責任者に怒るのはまだしも(歌と踊りのコーナーを設けた演出家に怒る、とかならまだしも、恐らくその構成は演出家の発案ではなかろうという前提のもとに書かれているとは思うが)制作会社に怒るのは、まったくもってトンチンカンだと思う。

 すべてのコンテンツは、適切なタイミングで適切なものを制作し、顧客に提供することによって利益を計上することが目的になっている。現場レベルでどういう人が、どういう熱意を持っているのか、というのはもちろん大切だけれど、現場レベルで出来ることと出来ないことがあるし、「刀ミュが苦手だ」というのはとても主語が大きい。まあこれは例示でしかないので主語は「ももクロ」でも「乃木坂」でも「はれのひ」でも何でも良いんだけど、ビジネス目的で集まっている特定の集団の中において、大半の人間は「指示を受けるしかない」立場でしかないことは理解する必要がある。現場の人間はたいてい搾取される側なので、ビジネス的成功のための試みがどんなに突飛なものであったとしても無抵抗でしかいられないと思う。よって、この場合「刀ミュが苦手」というより、「刀ミュに苦手な要素を付加している人物に嫌悪意識がある」というのが正しいのではないか。元増田の人は、1部のミュージカルには特にヘイトを溜めてはいないようだし。

 俳優の中には本当にキャラを愛している人間もいれば2.5次元なんて早く辞めたいという人間もいて、それが現場レベルの「意識の違い」ではあるんだけども、そういうすべてを超越して前提に存在するのが「収益計上」であり、これはいつでも忘れてはいけないと肝に銘じている。

なんで舞台なのにペンライトを振るの?(中略)そもそもなんで舞台なのにファンサしてるの?

 人間の快楽原則に訴求してより利益を計上するためであろう。

 「ミュージカルでもなんでもない」 というのは確かにそういう部分があるかもしれない(2.5次元ミュージカル論を深く掘り下げるほど知識がないのでここでは避ける)が、しかし「正しいミュージカル」を追求したところで、現状より儲けが出るのだろうか。出ないからそうなっているのではないか。ミュージカルよりアイドルコンサートの方が観客からの評判がよいので、ミュージカルとうたいつつもアイドルコンサートを行っている、という解釈をしたほうがよいのではないかと思う。

 俳優オタ界隈で元増田の人のような意見はごくたまに目にすることがあるのでそこまで驚いてはいないが、言葉の定義に縛られすぎるとこのように不要な苦悩をかかえてしまうことになるとは常々思う。観客から見えるのは俳優、脚本家、演出家といった「現場」の部分なので忘れてしまいがちだが、エンタメというのはそもそも商業作品であることを忘れてはいけないと自戒をこめて書きたい。オタクカルチャーを支持する人の中には同人文化などのバックボーンを持つためか嫌儲主義の人が多いが、言葉の定義について深く考えてドツボにはまるより「こっちのほうが儲かるのか」と諦める潔さを持ちたいと思う。