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南条あやちゃん関連の2016年現在で閲覧可能なログまとめ

 あやちゃん没後、あやちゃんの婚約者である相馬ヰワヲ氏が立ち上げ、あやパパによって管理されていたドメイン(nanjouaya.com)はリンク切れ状態になっており閲覧不可能となっている。現在、日記・あとがき・写真コンテンツを含んだ「南条あや保護室」はweb archiveを通して読むことができる。(わたしが初めてあやちゃんのサイトを訪れた2008年頃は、web archiveを通さずに閲覧可能だったように記憶している。時の移ろいというのは早いものだ)

web.archive.org

 

服用薬

 あやちゃんのサイトに登場するおクスリには、2016年現在で販売停止(エリミンベゲタミンA/B)・規制強化により事実上一般人入手不可能(リタリン、モダフィニル)などのものがいくつかあるので現在の読み物としては注意が必要。

 

 町田あかね氏と相馬ヰワヲ氏の確執について。

南条あやの保護室◇ともだち ともだち

自殺直前日記(4/2) 南条  匿名希望の某大佐*1

 いつだったか、宝島の編集者と会話していた時に、ライターのクオリティの問題になった。インターネット上で面白いライターはいないかとの問いに、私が真っ先にあげたのが南条あやだった。しかし編集者は南条あやを既に知っていた。そして「本でも出すんじゃないか?既に出版社が押さえているかも・・・。」とまで絶賛していた。数日後、町田さんと会う機会があった。例のココロの薬と付き合う本に関して、薬系HPを主宰している人へのインタビューという形式だった。そこで自分が同じ本に原稿書くとを述べた時にライターの嫉妬というものをひしひしと感じた。そして南条の話しをした時に、南条の日記をまとめた本が出ることを教えて貰った。私はある雑誌の自殺関連の企画の話しをし、南条あやを編集者に紹介しようと思うんだと言った。町田さんは、まだあやちゃんは何も分かってないから仕事は請け負えない、マネジメントも出来ない、締め切りも守れないし、と次々理由を述べて申し入れを拒絶した。その時ほど才能の差というものを感じたことはない。南条本が売れれば印税で私も・・・という町田の言葉に私は南条は才能あるゆえに、いつか潰されるな・・・と正直に言って思った。

 

匿名希望のあやの友達

 彼女の死後、お父様は「あやの日記を単行本にしたい」と言うようになりました。それと言うのも、彼女自身が高校を卒業する頃、病院の紹介をしてくれたり、何かと心配してくれた担任の先生に、自分の本が出るかもしれないと言う内容の手紙を渡していたからだと言います。これは町田氏が企画していた本の事を指すようです。しかし、お父様は町田氏の企画するものではなく、自分の手で出版にこぎつけたいと考えています。親が自分の子供の願いを叶えたいという気持ちになるのは当然の事です。

(中略)

 一方、町田あかね企画の本は話が止まりました。宝島社で開かれた別件の編集会議の席上で彼女が「私、20歳になったら結婚するの」と言った事をきっかけに町田あかねが彼女から離れていったからです。リストカッターで自殺願望のある少女のセンセーショナルな本にそんな幸せな未来が待っていては困るとでも思ったのでしょうか。
 とにかくそれを境に町田氏は周囲の人間にも「南条あやが、うざったい」等と言うようになり、JUNへの態度も冷たいものに変わっていったと聞きます。そして4月から日記は自分でホームページを開いて、そこでやっていってほしいという要望があったそうです。 

 

 結局、あやちゃんの手記本はあやパパの手を経て新潮社より出版されるに至るのですが、もともと南条あやちゃんを発掘し、生前「あかね様」と慕われていたおクスリ系ライターの町田あかね氏はあやちゃん本で一山当てようと目論みていたようです。ダメだったみたいですけど。

町田あかねのおクスリ研究所 http://web.archive.org/web/19981205095148/http://kusuri.net/

 現状閲覧可能な最古の「町田あかねのおクスリ研究所」ログ。「現役女子高生あやちゃんのお部屋」時代のログも残っている。「現役ー」のURLは2000年4月にNot Foundになり、以降の更新は確認できない。超個人的な意見にはなるが、2chで「文才がない」などとボロカス叩かれていたあかね様、たしかに新薬トピックスの記事などを見てもあまり面白くない。

 あかねさんとゆかいな仲間たち あかね様日記にあやちゃんが登場した回。1998年の日記には相当あやちゃんが登場しているみたいだけど、残念ながらログに残っていない。ちなみに、あかね様は現在消息不明。どこで何をしているやら…。

 

薬と鬱と薔薇の世界 あやちゃんの元カレ(前半の「Aちゃん」)KuRI氏のウェブサイト。「スニッフ増進会」「リタリン依存者の会」「全国LSD機構」などなど、危険な文字がずらりずらりと並ぶ。どうやら相馬ヰワヲ氏とKuRI氏の間にはそこまでの確執はなかったらしく、(円満な別れ方をしたのでしょう。今も昔もメンヘラの恋愛は変わらない……)あやちゃん没後にKuRI氏が相馬氏の家に行って一緒にHP作成をしたりしています。(1999年4月後半分日記参照)

 

センター試験の季節だねぇ 1999年1月前半分

20日

この日はちょっと遅く起きて姫と遊覧です。詳細はチョキチョキとカットしておくとして、姫は酒にムチャクチャ弱いです。ライムジン一杯でへろへろになります。その日は、カラオケの得点で、ある曲で姫がボクに勝ったら指輪をプレゼントすると約束して点数を競い合いました。結果は20点差で負け。ちょっとサイケな感じの店に行って指輪をプレゼント!ちなみにボクが勝っていたらどうなっていたのでしょう?

21日

この日も姫と遊覧です。ただし、前日Pさんと飲んだので結構へろへろです。踊る大捜査線という映画をみに行きました。姫の手を握りながらもたれかかってね。ひじかけが邪魔でしょうがありません。ソファーはないのか!で、映画の方ですが、はじめはただの刑事映画だろうなと、なめてかかってたのですが、溺死体を巡る管轄のやりとりあたりからこの映画はちょっと面白いかもと期待にムネを膨らませます。詳細はヒミツとしておきますが、登場人物のなかで一番刑法上罪が重いのはやはり殺人未遂+公務執行妨害の母親なのかな〜?誘拐+拉致監禁+傷害とどっちが罪が重いんだろう。小泉今日子医療刑務所行きだろうな〜。この映画を見たせいか知りませんが、帰りは姫と東急ハンズに立ち寄りました。姫は刃物をみると目つきがかわります。多分刃物をみると心が落ち着くのでしょう。でも武士の心はもってなさそう。ちなみにボクは銃と薔薇が好きでし。GON!の人とそのうちサバイバルゲームをして遊びたいなぁ〜。

28日

この日は姫とおでかけでし。(チョキチョキ)姫はトンカツを食べるきがしないなーと言いながら結局トンカツを食べました。しかもチーズトンカツ…。キャベツが好きなKuRIは姫のキャベツを頂きました。姫は基本的に野菜は余り食べないという偏食家でし。しかも寿司が好きではないそうな。野菜も寿司も好きなKuRIはどうすれば…。アイデア求む!

バレンタインデー目前!デパス入りチョコ募集! 1999年2月前半分

3日

宝島社へ原稿を持っていく。リタリンらぶらぶの文章を書いたら、GON!ならこれでいいんだけどね〜とリライト。P様に見せたら、爆笑してましたけど。ここ数日の鬱の原因となっていた呪縛から解放されました。なんだかわからないけど開放的な気分になりました。ある「章」の終わりをどう締めるかでちょっとこじれたことが原因でした。まあそれなりにいい締め方ができたとは思いますけどね。この章で全体を締めくくるつもりはありませんし、所詮は第1章に過ぎません。

桜は咲き薔薇は散る 1999年4月前半分。相馬氏の本名が「小林」であることがさらりとバラされているのは内緒。

「勉強の歌」リフレイン 1999年4月後半分

1999年の夏休み 1999年8月後半分

某日

 あやちゃんの家に行きました。あやパパは新しい部屋を買ってそこに引っ越すそうです。そう、その日はあやちゃんが育った部屋の最後の夜でした。遺骨だけ残されていて写真とかは片づけられていました。彼女が使っていた不要なものをもらいました。マンガの原稿用紙とかスクリーントーンとか.....なんか粗末に使えませんね。原稿用紙ミスっても捨てられない。

 片づけている途中で、Nさんが指を切りました。メスの刃が剥き出しだったのです。ポタポタと鮮血が滴りました。あやちゃんの血が染みている部屋にもう数滴、罠のように滴ります。最後の夜に、メスの刃にあやちゃんの魂が乗り移ったのかなぁ。

 

追記。 

 あやちゃん没後の「町田あかねおクスリ研究所掲示板」ログ。弔問予定などが書き込まれており当時の雰囲気を感じることができる。KuRI氏がとにかく奔走していたことがわかる。

 はじめに これはメモリアルサイト化する前の相馬氏の前書き文。当初は公開を2000年8月13日で終わらせる予定だったことが興味深い。

 

 わたしはただただあやちゃんの書く文章が好きです。ひょろろろばったーんなあの文体が好きです。ログや没後関連の書籍に収録されていないあれこれが散逸していて非常に読みづらいので、自分用に一通りまとめました。間違いなどあれば遠慮なく指摘してください。それでは。

*1:恐らく、「薬ミシュラン」等の執筆に関わっている相田くひを氏と推測される