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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

映画「ATARI GAME OVER」/クソ舞台の制作は今すぐ社員を集めて見てください

 

 

 厳密にはドキュメンタリーらしいのですが便宜上映画に分類します。撮っている人も、作中で映画監督と名乗っているので。映像の時間は1時間と少しくらいで短いので見やすいです。

 

 突然ですがみなさん、なんで任天堂のゲーム機で発売されるソフトに「海賊版」が存在しないのかご存じでしょうか。

 私はゲームオタクではないので体系的な知識でしか知らないのですが、任天堂が自社のゲーム機で発売されるサードパーティソフト(任天堂の自社制作以外のゲーム/たとえば「ファイナルファンタジー」はスクウェア・エニックスの制作ですね)に厳格な審査を運用している要因には、1980年代前半にアメリカで起こった家庭用ゲーム機市場の崩壊「アタリショック」が背景にあると言われています。

 日本はその頃ファミコンの大ブームでみんな狂ったようにゼルダの伝説スーパーマリオブラザーズをやっていたため、アタリショックという事件はあまり有名ではありませんが、米国ではゲーム史というよりも経済史に分類されるたぐいの出来事であったようです。 これは本筋に全然関係ない話ですが、私の母(50歳くらい)は、私が小学生のときからファミコンで「ゼルダの伝説」をプレイしており、クリアしてもクリアしてもやり続け、私が中学生くらいになるとWiiへの移植版でまた「ゼルダの伝説」をやり続け、最近になっても3DSへの移植版で「ゼルダの伝説」をやり続けています。一向に次作「リンクの冒険」には進む気がないらしく、ずっとあの「ゼルダの伝説」を無限ループし続けています。 恐らく私の母は、日本一「ゼルダの伝説」をやりこんでいるアラフィフ女性です。勝てるという人がいたら紹介してください。

 「アタリショック」とは、当時家庭用ゲーム機市場で最強を誇っていたアタリ社の発売した「Atari2600」用にとアタリ社が調子に乗ってゲームソフトを製造しすぎてしまい、余りまくって返品され、しかもサードパーティソフトの審査制度が無いに等しかったため世間に出回るクソゲーが量産されてしまい、ゲームレビュー雑誌など存在しなかった当時のアメリカでは購入してカセットを遊ぶまで面白いのかがわからない「クソゲーガチャ」状態と化してしまったため、Atari2600の評判が暴落し会社どころか家庭用ゲーム機市場そのものがメチャクチャに崩壊、最終的にアタリ社は余ったゲーム機とゲームソフトの在庫を田舎の砂漠に埋めるハメになったという悲惨な事件です。 田舎の砂漠にゲームを埋めるという発想が島国育ちの日本人には到底できません。パンクです。

 大量生産され大量返品の憂き目にあい、砂漠に大量に埋められたとされているのが一部で有名な伝説のクソゲーE.T.」です。 とにかく理不尽に穴に落ちてプレイが中断されまくることで有名な「E.T.」は、アメリカでは「クソゲーといえばE.T.」という認識で有名らしいです。かの名作の映画化ということで前評判が高かった分、日本でネタ扱いされてるクソゲー、たとえばWiiオプーナとかPS3のアフリカとかよりもボロカスに叩かれたのでしょうね。 TDCで公演やってる2.5次元舞台と小劇場の舞台の脚本が同じくらいクソだったら、当然ながら前者のほうが叩かれるのと同じです。

 インターネットでこの話は有名だったので結構昔からアタリショックについては知っていたのですが、「都市伝説ではないか」と囁かれていたE.T.をはじめとするゲームの砂漠埋葬が有志の発掘によりマジなやつだったことが2014年に判明しました。

 「ATARI GAME OVER」はその過程に密着したドキュメンタリーです。

 ATARI GAME OVERという、巧妙だけど明確に「(社会的)死」を連想させるタイトルが好きです。漫画家のねこぢる、アングラ系ライター青山正明、そして妻の死について赤裸々にかつ淡々と書いた吉永嘉明の著書「自殺されちゃった僕」というタイトルに通ずるものを感じます。

 この映画の主題は「E.T.というゲームが作られてしまった過程」「E.T.という『クソゲー』の名誉回復」にあるのですが、見ているととにかくひたすら「大人の事情でコンテンツが制作されてしまうことの不幸」について考えさせられます。

 「E.T.」の制作責任者であったハワード・スコット・ウォーショウは、アタリに入社して以降数々のヒット作を飛ばす花形プログラマとなり、映画内でも彼が「E.T.」において不名誉を被る以前に制作された「ヤーズ・リベンジ」などのゲームは十分に記録に残り得るとして関係者に評価されています。 が、アタリの親会社であったワーナー社がインディ・ジョーンズシリーズ第一作である「レイダース」のゲーム化で商業的に成功したことで調子に乗り、スピルバーグに無理を言いまくって2000万ドルという破格の値段で権利をゲット、ハワードに「クリスマス商戦に間に合わせたいから5週間で作ってちょ」とハチャメチャな命令をします。普通はゲームを作るのには半年かかるのに、です。

 そんなブラック親会社にもめげず、ハワードは優秀なプログラマなので自宅に仕事を持ち帰るほどの熱意で「E.T.」を制作します。最終的にはスピルバーグ監督にも完成版をプレイしてもらってゲームの出来に太鼓判を押されますが、市場に出たあとの結果は惨憺たるものでした。

 そもそもAtari2600は1000万台しか出荷されていないのに、なんと「E.T.」は500万本も製造されました。 バカです。でもスピルバーグに2000万ドル払っちゃったので、あとに引けなかったのですね。案の定500万本のうち350万本は返品され、「E.T.」は世間でアタリショックの引き金になったと言われるようになり、市場の急激な縮小によって成長企業から一気に転落をたどるアタリ社に耐えられなくなり、社内でもっとも優秀だったハワードはアタリ社を辞めてしまった―― と、いうのが、この作品で語られるハワードと「E.T.」の物語です。

 ハワードの他にもさまざまな人間がさまざまな形で「E.T.」に思い入れを持っていて、彼らはそれぞれに、アラモゴードというド田舎の砂漠に埋められたゲームカセットの発掘を見守ります。

 

 ところで、アタリショックという現象にどこか既視感を覚えてしまったのは、私だけなのでしょうか。 これが紛れもなく、エントリを書こうと思った理由です。

 アタリ社、ひいては北米で家庭用ゲーム機業界が1980年代以降ファミコンの輸入までほぼ壊滅状態に追い込まれ、北米産の家庭用ゲーム機はAtari2600以降なんと2001年に発売されるXboxまで登場しないという悲惨な状況になってしまうのですが、アタリショックの発生した原因を簡潔にまとめるとするならば以下のとおりになります。

サードパーティによる、消費者を落胆させゲーム機本体ひいては市場への信頼まで失わせてしまうような質の低いゲームの乱発

②市場規模を正しく見極めず、楽観的予測でゲームソフトを大量製造し、ワゴン行きソフトの発生で消費者の購買意欲を削ぐ

③親会社の取ってきた実現不可能な契約を現場に押し付け、結果としてクソゲーが完成する

 遠回しに、見覚えある話ですね!とか言うまでもありません。

 アタリショックの原因はそのまま、舞台界隈(とくに2.5次元) の直面している問題につながります。そしてアタリショックの示している「在庫を砂漠に埋葬、市場の崩壊」という悲惨な結果は、まるで2.5次元舞台の行く末を暗示しているかのようです。

①まともに運営する能力のない制作会社による、観客を落胆させ作品ひいては舞台全般への信頼まで失わせてしまうような質の低い舞台の乱発

②市場規模を正しく見極めず、楽観的予測で強気の公演日程やキャパを組み、定価以下や関係者への無料配布乱発で消費者の購買意欲を削ぐ

③制作会社の「イケメン出せば儲かるでしょ」的な考えで取ってきた安易な作品が現場の演出家やキャストに押し付けられ、結果としてクソ舞台が完成する

 この①②③のどれかに当てはまる舞台、いろんな舞台に行く人であれば絶対に1作品くらいは何かしらの心当たりがあるはずです。心当たりがないあなたは幸せな俳優オタクです。

 某舞台(というよりその制作)に関するかなり露骨なアンチ記事をこの前書いたのですがある程度反響があって驚いています。 やっぱり舞台自体は面白くても制作に不手際があったり純粋に制作がクソだったりすると興が削がれるし舞台も台無し、という意見は多いようです。

 「E.T.」は例えるならそのような舞台の例と全く一緒なのだと思います。条件さえ揃えば面白くなったはずのコンテンツが制作会社のクソさや不手際によって全然面白くなくなってしまう。これはあまりにも不幸です。そしてその先に待っているのは市場の崩壊とコンテンツの埋葬です。

 この2.5次元バブルを沈静化させ、イケメン出してウィッグ被らせとけば俳優/キャラを人質に取られたオタクが来るから儲かってウハウハだわとか思ってる制作会社の目を覚ますためには、いっそのことアタリショックのように「舞台直前になって制作会社が倒産し大量のブロマイド・缶バッジ・アクキーが投棄される」などのインパクトのある事態が発生しないといけないのではないか、というのが「ATARI GAME OVER」を見た私の感想でした。 「E.T.」のように、ゴミと化して土まみれになるグッズを目の当たりにすれば、それこそショックで目が覚める気がします。

 この先も長く2.5次元舞台というジャンルで企業がやっていきたいのであれば、それこそ任天堂サードパーティソフトの審査を厳格にしたように、面白い舞台しか生き残らないようにして、まさしくAtari2600のソフトのように「お金を払ってプレイする/観るまで面白いかどうか全くわからない」という状況を改善すべきです。 絶対無理だと思うけどね。

 でないとほんとに市場崩壊するよ。 既にやや崩壊してるか。