I READ THE NEWS TODAY, OH BOY

舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

懐古!チャレンジスクールの闇

【宣伝】今週末11/24の文学フリマに出ます。

 

 私は2013年から2015年まで、チャレンジスクールと呼ばれる高校に通っていた。結局高校3年生のときに一生オタクをしていたら単位が足りなくなったので退学し、その後通信制高校編入してようやく卒業をすることになるのだが、世には出ない恐ろしいチャレンジスクールの闇というものをふと思い出したのでブログに残してみようと思う。

東京都立高校のチャレンジスクール一覧│ナレッジステーション

 

 チャレンジスクールというのは、様々な諸事情や、精神がアレだったり、色々とアレだったりして中学に通えなかった生徒でも進学できる、入試に内申点審査のない高校のことである。都内には6校ほどあるらしい。へえ~。

 私は中学の頃、まず都立の某中等教育学校に合格したものの1年生の夏休み前に行かなくなり、その後地元の市立中に転入、「相談学級」という不登校児の集まるクラスにぶち込まれたのだが、そこで度重なる奇行を重ねたため事実上そのクラスを出入り禁止になり、最終的に中学3年生の頃は児童精神科のリハビリ施設に送り込まれて毎日を過ごしていた。発達障害の残念な人の人生じゃん。(このあたりの思い出は今週末に販売するミニコミにも書いています)

 中学にまともに通っておらず、内申点がミジンコほどもない私が高校進学の際に提示された選択肢は、私立高校を受験するか、都立のチャレンジスクールに行くかの二択であった。なぜ結局チャレンジスクールに進んだのかはよく覚えていないのだが、当時はチャレンジスクールの闇を知らなかったので仕方がないともいえる。

 私の通っていたチャレンジスクールは京王線千歳烏山駅にあり、通学路には明らかにキ印の不動産屋が建っているオウム真理教の残党が住んでいるマンションと公安警察の監視小屋があるといった非常に情緒豊かな環境であった。駅前の区民センターには「脱会・解散こそが真の反省 オウムを許さない」みたいなドデカい垂れ幕が掛かっており、よく同級生と広場でその垂れ幕を眺めながら死ぬほどどうでもいい話をするなどしていた。

tokyodeep.info

 烏山ハウジング、私は大好きだったのだが同級生は誰も近寄りたがらなかったため、ついに退学まで誰とも烏山ハウジングの話はしなかった。悲しい。

 

 チャレンジスクールは不登校の者を主に受け入れているのだが、それでも人気はけっこうあるらしく、受験の際にはそれなりに落ちる者も出現する。1.5倍の倍率をくぐり抜けた者たちなので、まあまあ社会性のある集まりかと思いきや全くそんなことはなく、入学して一ヶ月くらい経つとわかるのだが、クラスの1/3は全く学校に来ているのを見ない。日本の高校は制度上6年間まで在籍できるらしいのだが、1~3年生の頃に全く学校に来ていなかったので、6年生になってようやく卒業の目処が立っている先輩とかいた。小学校か?

 入学式とその後の一週間以来姿を見なかったKさん、他いろいろな姿をほとんど見なかった人たち、元気なのだろうか……。

 さて、当時の私はといえば、ジャニオタとアニメオタクを併発しているという面倒くさい特性持ちであった為、入学してからすぐにクラスのオタクたちと男女を問わずつるみ始めた。なぜか男女混合4~5人くらいのグループができていて、一生女性声優とエロゲの話をしたりしていたのだが、チャレンジスクールの恐ろしかった点は、皆バグっているのか恋愛で揉めて学校に来なくなってしまうところであった。

 恐らく中学までまともな人間関係を築いてこなかった人々が高校に入って急に「デビュー」したような気持ちになり、恋愛をしてバグってしまうのだと思うのだが、クラス内で物凄い速さでカップルが成立し、そして物凄い速さで別れてどっちかが来なくなる。私は当時「高校ってこういうものなんだ~」と思っていたのだが、他の学校ではそうではないらしいので驚愕した。

 入学してからも衝撃の連続であった。もはや6年前くらいの記憶なのでうろ覚えなのだが、入学してすぐのオリエンテーリングで、担任が「先輩たちの書いた作文です。皆読むように」と言って配ってきた紙に、誰かも知らぬ先輩の「僕はこの学校に入ったことを後悔しています」という一文があったことは今でも心に強く残っている。その作文は「とにかく学校に来ましょう! でないと卒業ができません!」という当たり前すぎる言葉で締めくくられていたのだが、それくらい皆学校に来ていなかったということである。ちなみに、学校に来ない生徒は、特に担任から何か連絡があるというわけでもなく放置されるので一生学校に来ることはない。

 また、体育教師が「君たちは今までの人生で甘えてきたからこんなところにいるんだ」という趣旨を全校集会のスピーチで始め、その場がお通夜のようになったこともあった。仮にも自分の勤めている高校を「こんなところ」と形容したことが衝撃的で、未だに鮮明に覚えている出来事の一つである。

 チャレンジスクールの狂気エピソードを挙げていけば枚挙に暇がないのだが、生徒会長がエロコスプレイヤーで、コミケでコスプレROMを出したり個人撮影会に出たりしながら生徒会長をやっていて「エロゲ以外でこんなスペックの人いるんだ」と思ったことは良い思い出である。本当にいた。

 そういえば、私はなぜか当時「音楽部」という事実上の軽音楽部に名義だけを置いており、音楽部らしいことは何一つしていなかったのだが、音楽部の部長が大事な会議に出なかったことの責任を部の全体で取ることになり、その禊として教師側から提案されたイベントが「全校集会でのリコーダー合奏」だったことは未だに強烈に心に残っている。思春期の軽音楽部員たちがこぞってリコーダーの練習をさせられているのに嫌気が差して速攻で音楽部は辞めたのだが、高校一年生の段階で大人はこんな風に嫌がらせをしてくるんだと学べたことは非常に有意義であった。

 当時の担任は二浪・二留で東京理科大学の数学科を卒業しており、卒業後はしばらくパチプロとして生計を立てていたのだが、なんか働かなきゃなと思って教師になったという男であり(以下、仮にN先生と呼称する)、彼もまたなかなかの曲者で、今回「チャレンジスクールの闇というブログを書こうかな」とツイッターで発言したところ、当時のクラスメイトから「N先生は生徒に手を出したらしい」という情報が送られてきたりして、私も「確かに手を出してそうだったな」と思うなどの出来事があった。

 N先生にまつわる個人的な思い出としては、高校1年生の時の文化祭で、クラスの出し物でお化け屋敷を作ることになったのだが、リーダーシップを持っている者もやる気のある者も皆無なため作業が全然進まず、職員室にいるN先生に助けを求めに行ったらiPhoneでゲームしていたという出来事があったりもした。結局お化け屋敷は文化祭1日目の昼頃になってようやく完成した。今思えば、大人に対する不信感はあの高校で培われたものなのかもしれない。

 とはいえまあまあ楽しい思い出もあり、また中学に行けていかなかったというだけでそれなりに面白い同級生も多くて、当時のクラスメイトの中にはクリエイティブな仕事に就いて活躍し、リツイートで近影を見かける者もいる。しかしクラスメイトの大半が現在行方不明なのもまた事実であるが……。

 チャレンジスクールに入学してくる生徒には2タイプいて、単純にヤンキーで中学に行っていなかった生徒と、オタクや発達障害をこじらせて中学に行っていなかった生徒がおり、前者のほうが比較的早く学校には適応していることが興味深かった。

 私にとっては楽しい思い出の大半が「授業」だったので、いかに対人関係の記憶が薄かったのかが窺える。来年から私は大学の哲学科に進むことになっていて、その道を志したきっかけになったのが当時受けていた倫理の授業だった。もはや先生の名前も覚えていないのだが、楽しかったので倫理のレポートは毎回びっしり書いて提出し、年度末に返ってきたプリントには「これからも勉強を続けてくださいね」と書いてあって嬉しかったことを覚えている。逆に言うと嬉しかった思い出がそれくらいしかないのだが……。

 一度高校を中退してから私立の通信制高校編入したところ、チャレンジスクールで経験したようなバグった出来事はほとんど発生しなかったので、アレは多分チャレンジスクール特有の"磁場"だったのだろうと今になって思っている。

 皆不登校だったのでいじめ等は特に無かったのだが、クラスの結構かわいい女子が、放課後にファミレスで「クラス全員の悪口を出席番号1番から言っていく」というゲームをしているらしいという噂を聞いた時は面白すぎてゲラゲラ笑ってしまった。なんでだよ。

 そういうわけでチャレンジスクールは特におすすめもしませんがバグった人間がいっぱい観察できて面白いので勇気のある人は行ってみるといいと思います。おしまい。