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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

ロスモワがつらい

 舞台 K -Lost Small World-を観てきました。なぜ観に行ったかというと、急に「そういえば安西くん元気かな」と思い立ったのと、ロスモワは文学だという話を2人位から聞いていたのでこれは観に行っておかなければと突如として感じたからです。共依存とか境界例とか、そういう面白そうなワードがロスモワ読者の間でポンポン飛び交っていたので絶対観るぞと張り切って当日券の列に並びにAiiA 2.5 Theater Tokyoに行ったら早速人がいっぱいいたのでつらさを感じました。当たらない気がするし当たらなかったら方針転換して平和にテニミュでも観に行こうと思ったら、なんと当たった上、なぜか最前列でした。最近、運を変なところで使ってしまう傾向にあり、友達の付き添いで行った俳優のイベントで旗揚げゲーム対決に優勝してしまい俳優の私物をゲットしたり、俳優の生電話に最初に繋がったり、1分で完売したイベントの5列目を確保したりしているので、そろそろ早死にするのではないかという感じがします。

 友達に「最前列だったので早くもつらい」と報告したところ、頑張れという漠然とした励ましをされて席につきました。事前に断っておくと、私は定期的に安西くんを観たくなるという不定形の持病をかかえているため「安西くん元気かな~」という軽い感じで観に行ったのでKステの再演も初演も観ていないし、Kのアニメも観てないし漫画も読んでないです。アニメは俳優厨じゃないころに1話だけ観たけど話が難しそうなので切りました。いま思うともったいないです。なので、(仕方ないのですが)ぶっちぎりにアウェー感を抱え込んでいました。しかしロスモワは面白いと聞いていたので、話が全然わからなくても表層的な面白さだけでなんとか3時間もってくれと祈りながら祈っていたところ、気づくと照明が落ちていたのでした。

 

 末満氏作品はもともと好きなので(TRUMPとか、LILIUMとか、TRUMPとか)演出の節々に末満氏っぽさがあって「良い」と思いました。伏見猿比古は魔性でした。観終わったあと、「伏見猿比古がつらい」「なぜ世界は続いているんだ」「人生とは」しか言えなくなりました。個人的に立風館ソウジ以来のクリーンヒットです。伏見猿比古のことを考えるだけでつらい気持ちになります。死にたい度★★★★☆という状態です。帰り道にツイッターで「ロスモワ つらい」で検索したところ、多数の他者のロスモワつらい情報が得られたのでつらいのは私だけじゃないんだ~と思って安心しました。

 箱庭だった世界がどんどん外的要因に浸食されていき、最後には完全に崩壊し、箱庭は虚無り、箱庭の中で平和に生活していた八田と伏見という子供たちは成長するにつれて箱庭からの離脱を余儀なくされるというのが話の大筋でしたが、しかし救済が見事に無い。八田は最初から最後まで変わらないし、伏見もまた最初から最後まで変わりはしないのですが、お互いが折れないことによって、一瞬だけ交差していたそのキラキラした時間は超高速で消え去ってしまい、そのキラキラにスポットライトを当ててクローズアップして見せているので観客がその後超つらいという地獄のように悲しい展開になっています。

 個人的には、伏見猿比古は最後まで徹底して厭世的なのですが、最初から厭世的だったのを思い返すと「変わらないということは呪いだし、変わることで脱出できるカルマもこの世にはたくさんあるのに」と思ってしまいました。八田美咲は世界が消えればいいのにという悲観的思考から脱することに成功しましたが(吠舞羅という家族に迎合する体験によって)伏見は強烈な成長時の体験からくるコンプレックスに起因して家族への迎合を失敗し、悲観に取り憑かれたまま生きていく、そして圧倒的好意のあった八田のことも、なにか雑然とした嫌なものに迎合してしまった人間として拒否するようになる、しかし思い返してみれば、八田と伏見が一瞬のあいだ感性とか情熱とかそういうのを交差させて時間を共に過ごしていたのは奇跡なので、奇跡が崩壊してしまうのもまた仕方ないといえば仕方ないのですが、読者は物語に対してしばしば奇跡を求めてしまうのでその奇跡が継続しないことを受け入れられない。よって、感想が「つらい」となってしまうのです。

 中盤で伏見は死んだ父親の霊につきまとわれ、幻覚とか幻聴とかに悩まされ刃物とかを振り回しますが、阿耶の仕業だと説明されたあとも「しかし伏見にそのようなことが起こるにふさわしい霊媒があったからそのようなことになったのでは」と思ってしまったのでした。父親が嫌いで嫌いで嫌いで仕方ないことに起因する自己嫌悪という霊媒が伏見に霊をつきまとわせ家族的な共同体を拒み冷酷にさせていった、のではと。父親はエキセントリックでアッパードラッグやってそうな感じでした。ああいうのを真に毒親と言うんだと思います。毒親持ちのキャラを見るとキャラなのにどうしてこんな報いを受けなくてはいけないんだ…と真剣につらくなってしまいます。

 3人で追いかけた飛行船という象徴は、箱庭からの脱出を暗示しており、その後3人は願ったとおり箱庭から脱出することになるのですが、しかし世界の外側というのは厳しく、世界の外側でのつらさや生存の難しさに対してどう折り合いをつけるか?というのがひとつのテーマになっているのではと感じました。折り合いをつける方法として家族的共同体への帰依を選択できた八田はある意味では無神経である意味では幸福な人間であり、折り合いをつけられなかった伏見は過去に存在した箱庭に永遠に思いを寄せながらしかし箱庭の登場人物は箱庭への執着をとうに捨てているという取り残され感に耐え切れず、折り合いをつけてしまった八田を(ポーズとして)見捨て、折り合いをつけたものの歪みをかかえたままの阿耶はその歪みを上手に転化することができず、箱庭の登場人物だった伏見を不幸に陥れることで歪みの解消を図ろうとする。

 伏見が八田に要求していたのは、面白さであり、負的思考にとらわれない発想と発言であり、伏見の言う「ときどきある、的の真ん中を撃ち抜いてくること」であり、表面的には不良性の高かった八田よりもずっと、伏見のほうが、八田にアウトローやサイケであることを求めていて、でも人は誰しも成長するにつれて「世界を破壊しよう」とか「つまらない世界死ね」とかそういう野望は消失していき、その大多数の人のカテゴリに含まれていた八田は本人も意図していないのに伏見を失望させてしまった。伏見はずっとつまらない世界死ね、世界を破壊したいと思い続けていて、つまらない世界の中に出現した面白そうなカケラとして八田のことを大事に大事に想っていたのに、だからこそ途中サイコヤンデレっぽい行動も散見されるのですが(専用のメールソフト開発するの本当にサイコヤンデレの頂点だと思う)、伏見も自己の中で、八田は八田であり、自分は自分であり、決して同一の思考には到達できないということを(彼は頭がいいから理解できていたはず)わかっていたけど、それでも追い求めてしまった、追い求めるのをやめることができなかったので結果として精神が自滅した、というのがロスモワの概要なのではと思いました。

 ロスモワはまあ聞いていたとおり共依存の話でしたが、共依存の例としては圧倒的に失敗していました。しかもかなりどうしようもなかった。「観客としてはたいてい、「じゃあどうすればよかったんだ?」と観劇後に糸口を辿ってみるものの、どうしようもないことに気づく」というつらさが多分、ロスモワのつらさの正体です。伏見は感情を上手く発露することが生来おそらく困難であり、八田との交流の中で多少それらが緩和した素振りが見えたからこそ、後の悪化にどうしようもなさを感じます。確かに境界例っぽい感じがあるので、伏見と付き合った場合すぐ別れようって言ってきそうです。ロスモワは確かに文学でした。太宰文学にありそうな話でした。片方は丸く収まり、片方は先鋭し続け、馬鹿であることは愚かだが、愚かであることは生きることを楽にし、賢いことは人生を有利にするが、苦悩を常にかかえこむことになる、という説法を2時間かけて聞いた気分でした。

 観たあとの感想が、「洗剤飲んで死にたい」しか出てこなかったのは以上に挙げるようなつらさをロスモワから感じたからです。Kが面白そうだなと思ったので、アニメも観るし、漫画も買うことにします。極度に生育環境が歪んだ人間の前には愛も無力だという結末は、観客に全くもって救いをもたらしません。しかしその結末の成形過程が美しい場合、救いをもたらさなれないことはわかっていても観てしまうというひずみが生まれます。

 愛は決して万能ではありませんでした。そういうこともあるというのはみんな知ってはいるものの、いざ喉元にそうつきつけられてしまうと「苦しい」と、言ってしまうので、ロスモワはつらいです。

 あとアイドルKはつらさの緩衝材になってくれるので、良いと思いました。文学を感じたい人、愛の万能でなさに打ちひしがれたい人、奇跡の起きない話が好きな人、こういう人はすぐにでもロスモワを観に行く準備をしたほうがいいと思います。本当に面白かったので、オススメです。つらいけど。希死念慮のある人は、頓服を用意して観たほうがいいと思いました。