このブログの総アクセス数が20万を超えていました。ありがとうございます。本当に好きなことしか書いていないのにこんなに色んな人に読んでいただけるとは大変うれしく恐れ入る限りです。読者数もいつの間にか100を通り越して110くらいまで行っていました。本当にありがとうございます。ブログなんて続かないだろうと昔は思っていたのですけど今ではまとまった文章を書くことが楽しくて仕方ありません。誰に読まれなくてもいいんですけれど、どうせならインターネットに転がしておこう、と思う次第です。
さて。
たいていの(感想を書きたくなるような)舞台は観終わったあとにばーーっと感想をぶちまけるようにブログに書いてしまうのだけれどこの舞台の場合は反芻するのにおよそ2日ほどかかった。とにかく内容が濃いからだ。非常に濃くて胃に負担がかかるような舞台だった。ハイカロリーで肝臓や腎臓に悪そうな感じだった、しかし、とても面白かったです。
最近月1くらいのペースで安西くんを観ている。もう安西くんちーっすって感じだ。(関係各位に怒られる)でも今まで、わたしは安西くんの舞台を観に行ってクソつまんねえなと思ったことが1回もない。これは奇跡だ。なぜなら、本命の現場では8割くらいの確率でこのイベントクソつまんねえな、映画クソつまんねえななどと思っているわたしだからである。性分としては、安西くんのファンの方が合っているのかもしれないとすら最近思うが、胸のトキメキというのは悲しいもので、やっぱりわたしはもうちょっと本命から降りられそうにない。相変わらず本命と安西くんに対するアレは、比較するとエベレストと公園の砂山といった高低差のままだ。
とはいえ、安西くんの出ている舞台が大好きで観に行くと楽しいのは紛れも無い事実である。と、いうわけで観に行きました、喜びの歌。ちなみにいつも通り前情報はゼロです。綺麗にゼロです。通ってる友達が「絶対さぁ~めりぴょんは好きな話だよ~」と無責任なことを言ってくるのでチケット調達しましたよ7800円で。貨幣価値。
冒頭はキング・クリムゾンの名曲「21世紀のスキッツォイド・マン」が爆音で流れて始まる。直訳すると「21世紀の精神分裂病患者」になるけど偉い団体の倫理審査にひっかかるのでカタカナにしたっていう曰くつきのアレである。(なので、マニアは後者で呼称したりもする)名盤「クリムゾン・キングの宮殿」に収録されているプログレオタクなら知らないはずのない一曲である。しかしどうしてこのセレクトなのか。
猫の足 鉄の爪 神経外科医が金切り声をあげる
偏執病患者の毒がしみついたドア
21世紀の分裂病患者
血のついた拷問台 有刺鉄線
政治家たちを燃やす薪の山
ナパーム弾に焼きつくされる人々
詩人は飢え 子供たちは血を流す
歌詞の和訳には諸種類あるけど、おそらく劇中で、安西くんの演じる池田が唱えていたのはこの和訳だった、ように記憶している。(でも、一回しか観ていないので自信がありません。訂正あればコメントください)爆音で冒頭で流れるし、劇中でも流れる。趣味が悪いといえば、悪いし、良いといえば良い、わたしは超良いと思った。観劇後に落ち着いてからツイッターでサーチしまくったものの、安西くんのファンはあまりキング・クリムゾンについて言及していなかった。なぜだーーーーー!!!!! 小学校でキング・クリムゾンとピンク・フロイドとエマーソン・レイク・アンド・パーマーは常識だって習わなかった??(習いません。)とにかく、プログレオタクでもないと気づきもしない選曲です。これはどなたの発案でしょうか……多分、スズカツさんだろうけれど。ステキです。
わたしは実は愚かにもパンフレットを購入し忘れまして、そちらの内容を把握していないのですが使用楽曲の元ネタや台詞の元ネタなどは記載されているのでしょうか?キング・クリムゾンにしろ、「明日死ぬかのように生きろーー」ってガンジーの言葉にしろ…。すみませんどなたか親切な方いらっしゃいましたらそのへん教えて下さい。
喜びの歌、という舞台の、ストーリーはざっくり纏めてしまえばディストピアSFと復讐劇のブレンドといった具合のモノでした。舞台はおそらく近未来で、たぶん20年か30年くらい後で、だから安西くんの演じる池田はいままだ生まれてないか、やっと生まれたかってくらいでしょう。 わたしはディストピアSFが大好きです。ジョージ・オーウェルの「1984年」とか、1927年のドイツ映画「メトロポリス」とか……。
「メトロポリス」は著作権が切れているのか、YouTubeにごろごろ転がっています。面白いので是非暇な方は見てください。エゴサーチしていたら「時計じかけのオレンジを思い出す」って意見があって、それは一理あるな~と思った。まあ、あれもディストピア。
でもこの話の難点はちょっと、というかだいぶ難解なところです。ディストピアSFや、サイバーパンクものによく触れている人なら「あ~、あるある」ってなる演出がちらりほらり見られたのですが、多分まったく知らない人からしたら「???」です。たとえば伏見猿比古のファンでKステのロスモワから入ってきて初めて安西くんのストプレの舞台を観るのが喜びの歌ですってコがいたら私は心からの同情をします。大丈夫、ストプレの舞台はみんなこんなにちんぷんかんぷんじゃないよ、と励ましたくなります。 突然反体制の話になり、世界観があまり説明されないまま話が進行し(しかし、紙の本がほぼ消滅してたり、禁酒禁煙社会になってたり、飲食店の内装は白にするように政府から指導されてたりーーどれも結構「ディストピアSFあるある」の範疇を出ないですけど)「親父は原始的共産主義を唱えていた」とか言い出すのです。みんな、大丈夫?飲み込めてる? でも誰だかは忘れましたけど、誰かが「この話にはなにが正解、とかは無い。そのまま感じたことが正解」と、エヴァを作ったあとの庵野監督みたいなことをおっしゃっていたので(あ、ディスではありません)そういうことなんだと思います。みんな、ちんぷんかんぷんでも心に残るものがあれば、作ってる側としてはそれでいいんだと思います。他者の心に爪痕を残せれば。
しかし、単純な疑問ですが、2010年代以降生まれの池田くんはなぜキング・クリムゾンの歌詞を唱えていたのでしょうか。パパの影響? パパの車で「クリムゾン・キングの宮殿」聴いてたってこと?友達になろうよ池田くん。わたし、太陽と戦慄くらいしか聴かないニワカだけどさ……。
でも冷静に整理してみると、間に挟まれる雑談(と、いっては失礼ですが、便宜上こう呼びます)の情報量が異様に多いだけでストーリー構造としては単純なのです。バーのマスター。確執のある古い友達。復讐心を秘めた常連客。この舞台はダンスシーンと水槽に頭を突っ込むシーンを除けば会話劇なので、(ーーこれもSFにありがちなので私はそんなに不自然には思いませんでしたが)関係あるのかわからないことをぺらぺらぺらぺらと喋ります。マスターや友達や常連客が。でも起こる「出来事」はシンプルです。あとは会話劇の内容をどう咀嚼していくか。その咀嚼でつまずく人は多いでしょう。何をいったい伝えたいんだとか真剣に思っているとこの会話劇の波に呑まれてしまいます。大丈夫です、SF映画の序盤ってよく、全然関係ない会話をだらだらだらだらしてるから。2001年宇宙の旅だって娘とのテレビ電話のシーンとか完全に蛇足でしょ、でも綺麗だから見ちゃうでしょ。それと一緒です。(ということをみんなが知っていればいいのですがそうもいきません。わたしは無意味であるだろうと思うことできちっと整頓をしましたがそうもいかない人が大半でしょう)
会話劇の内容は、生きるとか死ぬとか、向上心とかプライベートビーチとか、世間への愚痴とか。書き起こしてみると改めて気づきますがそれらはあまり致命的に重要ではありません。園部さんのことに関してはちらほら喋られるけどやっぱり、「フラグ」ってほど強烈な印象を残さないし。ああやっぱりなって思いましたもん。なんとなく予想ついてたっていうかさ。それも結局「あるある」だからなのでしょうか。
最後に池田がマスターに銃を向けるけど、抱きしめられて、「お前にはそんなことしてほしくない、俺はお前のことが好きだから」って言うんです。でも池田は、「あんたが嫌い」って返すの。
ありきたりだけどエヴァンゲリオンの旧劇場版(THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に)のラストを思い出した。アスカが「気持ち悪い」って言ってぶつっと幕が切れる。受容の拒否。愛情の拒否。憎悪からくる拒否。
マスターは水槽に頭を突っ込むけど、死なない。池田に殺意を向けられた「悟りを開いた」マスターは自殺を企図したけれどーー生を選んでしまう。池田は父である園部さんのことをキリストに例えて、キリストの弟子になれなかったふたりを断罪しようとする。原始的共産主義を遂行しなかった(できなかった)ふたりのことを。マスターは、他者に殺されることを拒否したけれど、やっぱり死のうとしているのです、それはキリストの弟子になれなかったという罪を、ずるずると引きずってここまできているということで、そう考えてみると冒頭からの暗い態度にも納得がいくし、自称デイトレーダーの友達は明るく「拝金主義」的に生きていくことでその罪悪を吹っ切っていましたがーーマスターはそのようなことに向いていなかったのでしょう。
1回しか観なかったことを非常に後悔しています。無理してでも借金してでももう1回くらいは観ておくべきだった。仕方がないのでDVDを買いたいと思います。布施ってやつです。私の好きな話でした。特に、哲学の話題が頻出するし。面白い舞台を好きな俳優さんがやっていることほど幸せなものはありません。 というかはっきり言ってしまえばキング・クリムゾンが爆音で聴ける上に安西くんも観られるなんて贅沢です。贅沢の極みです。焼肉のあとにスイパラくらいハイカロリーです。
ただし、好き!っていうのを抜きにして客観的に見てみると、21世紀のスキッツォイド・マンを爆音で流した上に今をトキメク安西くんに和訳詞を絶叫させるというのは、脚本の人か演出の人か知りませんが(ーーあえて私はスタッフ欄を見ていません。ごめんなさい。なんとなく)純粋に「そーゆーことがしたかった」という欲求が透けて見えます。小劇場あるあるの舞台の趣味私物化ってやつです。面白ければ全部許されるからいいんですけどね。「分かる人にだけ分かってほしい」ってのがチラチラ見えてうすーく笑ってしまいます。特に会話劇の内容が。
舞台をやるなら責任を背負う代わりにやりたいことを思いっきりやるっていうのが演出家の特権ですよね。それが刺さる人もいれば、刺さらない人もいる。喜びの歌は、正直2.5次元流れのファンからすると賛否の分かれる舞台なのでは、と勝手に思っています。私のようなサブカルかぶれクソ女には好評だと思います。わけわかんねぇって人もいれば、ちょっとわかってニヤニヤしてる人もいる。(私とかね)それを見つめるのが演出家の特権なのでしょう。いいなぁ、スズカツさん……。(←言っちゃった)